8月25日 水曜日
コドモたちの夕方のお散歩のあと、旦那とふたり、いつものスーパーで夕飯のお買いもの
レジ待ちしてるとき ふっと店内の時計が目に入る
「もう、7時すぎだよ!」
急いで帰宅したら 息子も仕事から帰ってきてた・・
この日のメニューは、夏バテで食欲が落ちてる息子のリクエストで 冷やし中華
薄焼き卵を焼いて、キュウリやロースハムなど みんな千切り・・・ トマトは輪切り・・
誰も聞いちゃいないのに 「この千切りがめんどくさーい」と ひとりキッチンでボヤいてみる
食後、「ママ、9係観る!」の意見を無視され パパは他チャンネルを楽しむ
仕方ないので私もお付き合い
お腹のふくれたわんずはクーラーのあたる特等席でゴロ~ンとくつろぎ
息子は自室でテレビゲーム・・
そこには、我が家には、いつもと変わらない時間が 確かに流れていた
10時すぎ、家の電話が鳴った
家族全員が携帯を持つようになって 夜に家の電話の鳴る頻度は皆無に等しい
一瞬、熊本で一人暮らしをしている実父が頭をよぎった
「イヤな時間の電話・・・」
恐る恐る、電話をとる・・
「あ、し○こ(私の名前)?」
電話の声は実父、ほ―っとした
でも、69歳の父でさえ普段の健康お伺いや用事は携帯メールか携帯電話なのに・・、気になった
「うん、し○こ、どした?」
「あんまり良か話じゃなかったい、拓也が交通事故に遭って・・・・・」
「はー?、たっくん怪我したんね?」
「死んだったい・・・」
こんな時、頭が真っ白になるんだろうけど、そうはならなかった
あの子のくったくのない笑顔が浮かんできて、受話器持ったまま絶叫、号泣した
私の実妹の長男16歳
午後7時10分頃、友達とふたりで帰宅途中、青に変わった横断歩道を渡り始めた直後に前方不注意の車にはねられ・・
幸いにも友達は跳ね飛ばされてかすり傷の軽傷・・
車は甥をはね、押したまま道路わきのポールに突っ込み、車とポールに腹部を挟まれた甥は
1度は蘇生したけど・・・、再度の蘇生術も空しく 運ばれた病院で午後9時半すぎ、亡くなりました
我が家が、なんらかわりのない日常をすごしているとき
甥は命の危機と闘い、力尽きた
私の子供(長男20歳・長女18歳)と 妹の子供(長男16歳・長女13歳)は
愛知、熊本と離れていたけど 小さい頃からとっても仲良し
ウチの子供が中学に入学して、部活動で盆も正月もなくなり(対外試合や遠征) 帰省の足が遠のいてしまい
5年前の夏休みに1ヶ月間愛知に遊びに来た、それが甥に直接会った最後になってしまいました
それからは電話だったり手紙だったり、携帯を持ったらメールだったりのやりとり
久しぶりに会った甥は、少年から青年に成長していて・・・、月日の流れが哀しかった
いとこ同士、あんなに会いたがってたんだから、早く帰ってやればよかった・・・
残された家族、特に義弟はひどく憔悴しきっていて、立ち直り心鎮まるまでとても時間がかかりそうだけど
何より甥本人が一番悔しいはず!
どうか安らかに・・・
そしておばちゃんに たくさんの微笑みをありがとう
ティファとバディは初めての帰省、その移動距離950キロ
新名神の開通のおかげで距離が短縮しました^^
深夜に出発したからか、あるいはみんなの気持ちをくんだのか
道中おとなしくしていられたおふたりさん(ありがとう)
朝になり、九州自動車道・古賀SAのドッグランで やっと弾ける♪
通夜・告別式の間、パパの実家でお留守番だった ティファとバディ
念のため2個ソフトゲージを持ってって個々に入ってもらってたけど
おウチフリーのバディは 「なんでやー!!」 とガリガリして破ってしまいました
仕方なく、畳しかない部屋でフリーに
でも、他は破壊することなくおりこうさんにできました
障子を破って顔をだしてましたけどね^^
ティファが6ヶ月頃まで愛知に住んでいた実父は 5年ぶりにティファと再会
あの頃のティファは超お転婆で お父さんも手を焼いていた記憶しかなくて
「おとなしなって~、歳とったね~」とティファを撫でまわしてました
みんなの折れそうな心をコドモたちの笑顔で ほんの少しでも癒せてたら嬉しいなぁ
私は本当に助けてもらってるから^^