
画像は、後ろの鉛筆画は うーんと若い頃の美輪さん。
前がもう少し後の頃の美輪さん。
青年時代の美輪さんは顔の輪郭が逞しくなりすぎたし、
赤いドレスの美輪さんは女っぽく線が細くなりすぎた。
しかし写真じゃなくて絵だからこそ少し違ってくるのであって、これでヨシ。

「創作楽市」に、『親切な愛川くん』 というユーモア小説をアップしました。
これは私が初めて「作品市場」に登録した作品で、当時は違う名前でしたが、今の名で発表し直しました。
前がもう少し後の頃の美輪さん。
青年時代の美輪さんは顔の輪郭が逞しくなりすぎたし、
赤いドレスの美輪さんは女っぽく線が細くなりすぎた。
しかし写真じゃなくて絵だからこそ少し違ってくるのであって、これでヨシ。



「創作楽市」に、『親切な愛川くん』 というユーモア小説をアップしました。
これは私が初めて「作品市場」に登録した作品で、当時は違う名前でしたが、今の名で発表し直しました。
「ヨイトマケの唄」は、美輪さんが子供の頃、母親がヨイトマケ(道路工事の地ならし)をしている同級生がいて、その子は苛められていたけれども ある日の授業参観日にその母親が子供の鼻水を自分の口で啜ってやっているのを見て、ものすごい母親の愛を感じ、それから、その子と遊ぶようになった…という思い出から作られた歌です。
歌ではヨイトマケの子供と苛められていた主人公が立派な大人になっていき、その心の拠り所として母親のヨイトマケ(するときの掛け声)の唄を思う様子が歌われています。
これは一時「差別だ」とされて放送禁止にした放送局もあったそうですが、実際の労働者からは支援を受け、感動・感謝の手紙が多く寄せられたとのことです。
ああ。つい、長くなりました。
で、自画像をPCに取り込んだんですか?
夜な夜な出ますよ。 擦りゴマ舐めに。
~~~(m-_-)mウラメシヤァ
>って!(人のことだと思って…
人のペンネーム考えるのって、自分のを考えるのとは別の面白さがあることを知りました。
「無料姓名判断」で検索すると、名前を入力すると判断してくれるサイトが出てきますよ。
一休さんのRESが間に挟まりましたが、
この1つ前の書き込みをした直後、「プロフィール」のところに
例の「幽霊の絵」が掲載されているのに気づきました。
。。。この絵について、一見して即「幽霊の絵」と観じた(?)
三郎兵衛くんのセンスというか直観には脱帽の思いです。
そして、この絵をもっと美人に読み替えて(?)見るように
すれば、峰猫さんその人そのままである、ということですね?
→ゴリゴリ。。。(=ゴマをする音(^_^;
なお、この肖像画は期間限定で掲載のようですので、今のうちに
PCに取り込んでおいて。。。とさせていただきましょう。
ところで一休さんのペンネームとかは、どうせ(多分)
「コレコレのナニナニの介」という、ご先祖の名前を借用
したものになるのでありましょう。。。
(と、およそ予想しておりますれば。。。
>…は、決まりましたか!パチパチ。。
って!(人のことだと思って…
ところで、その「ヨイトマケの歌」、私は、なぜか題名しか記憶に
残っていず、残念です。
なお、峰猫さんには、優雅な(?)お出かけでもあったようですが、
お疲れさまであったことと思います。
・・・日常をシバシ忘れて、大いにリフレッシュ出来たことと
思いますが!
きゃーきゃー
(旅の疲れで頭がボーッとしています)
一休さんも盲目の愛人なんて、なかなかやるなあ…
ならない立場、およびタイミングにあるように思われます。
なぜか一休さまの「名付け親」(?)とかに私めがなって
いるらしいですが、名付け親とかになった意識は、私め
これっぽっちも持っておりませず。。。(^_^;
思い起こせば、峰猫さんが「いっきゅう」と書いた
のがコトのハジメであったように思うのですが?
その前後の文脈から(!)
これは「一休」のことにあらむ(?)
と、ごく自然に発生したものであったと思うのです。
それらともかくとして、「ボウズ」は嫌いとのこと
ですが、かの「一休禅師」はおよそ坊主らしからぬ
面白い・変った人物であったようなので、
=盲人の女性を愛人にしたとかのことも?=
その点、一休さんが、「坊主嫌い」であっても
似合わないことはないような気がするのですが。。。
そこで「一休」もダメ、「○○清兵衛」もダメという
ことであれば、いっそのこと、
峰猫さんの敬愛して止まない「美輪明宏」さまの
名を拝借するとか、コーギーちゃんの本名を拝借
するとかされるのも一案ではないかと思います。
「あきひろ」の名で峰猫さんの作品に感想文を付ける
と、峰猫さんは、
「ひょっとしたら、これは、あの美輪様が出て来て
くださったのかしら。。。?」
「まさかネ。」 「いや、ひょっとしたら。。。」
・・・と思っているうちに、だんだん思いこみが
強くなって、「これは、あの美輪様なのだ!」
と確信するようになって。。。ということも?
・・・そのうち、現実とバーチャルの区別もつかなく
なって、あらぬことを口走るようになって。。。
というようなことを心配せねばならないことに(?)
なっても困りますので、筆名の扱いや記事の書き方
については十分慎重にするよう、あらかじめ留意
される必要があろうかと考えます。
。。。フン、勝手に考えておれ ッて?
「あきひろ」であれば、「キャー 美輪さまあ。。。」
と受けるのではなかろうかと、やはり思いますが?
秘密にしよ。。。
ペンネームの件ですが、いっそ、たそがれ清兵衛で…と思ったけど、それではそのまま過ぎますね。
「坊主」が嫌だというなら、「水清ければ魚なし」も嫌だろうから、
清濁併せ持つように、『濁(にごり) 清兵衛』 などはいかがでしょうか。
ん? 2つ3つ考えろ?
では第2候補。『そのまんま清兵衛』
第3候補。『ラッシャー清兵衛』
第4候補。『つまみ清兵衛=枝豆』
生まれる前から自分の中に脈絡と流れる歴史を感じられるって、素晴らしいです。
そういう実感は、幼い頃から祖父ちゃん祖母ちゃん・父母から語られる物語によって育まれるものだと思います。
今はテレビやゲームに時間を取られて、そういう大切な語りの時間が無くなりました。
また、本を薦めてくれる人というのは、有難いですね。
薦め方が押し付けにならないで、またその人にとって滋養となる本を丁度薦められるかどうかによりますが。
例の「亜」の字さん?
私のおばさんの家と、川ひとつ、へだてた向こう側の町にあります。
私の故郷は、何本もの川が交差しながら、市街を流れている。川沿いにはいくつもの古刹の寺院の巨木が、鬱蒼と繁り、川面には藻がたなびいている…。時折、朱鯉がゆったりと泳いでいる。(水の汚れが悲しい)
故郷の記憶は「川」を抜きには語れない…。
徳川の時代、250年間、一度も藩主(酒井氏)が変わったことがない、稀有な城下町です。一度転封(転勤)を幕府に命じられた時には、領民がこぞって嘆願して、事なきを得たという歴史もある。(酒田の豪商、本間氏の富も効いたらしい…)
幕末には官軍の指揮官の横暴に怒り、反乱した。決して「大政奉還」に異議を唱えた訳ではない。庄内藩は官軍に負けなかった東北唯一の藩です。(日本海の北前船貿易で、最新の武器も多数有していたのです)
西郷隆盛の調停で、武器を捨て、降伏の時は城内に整然と並び、見事な侍ぶりであったという。(涙)
今も郷里の人達は、西郷隆盛の公平さを尊敬して止まない。西南の役では、庄内藩士の幾人かが、恩義に報いるべく、参戦し、戦死している。
西郷の滞在中、彼の言行を聞き書きして、その徳を学ぼうと、記録まで残している。(決して保守頑迷な風土では無い…)
私は意識することなく、こうした風土に育って来た。
私の信条は、勝つことではなく「負けないこと」にある。
それが実は、自分の育った故郷の歴史と風土に由来するものであると気付かせてくれたのは、歴史小説をすすめてくれた、若い女性のおかげです。「後世おそるべし」で、感謝に耐えない。
そこで「お願い」が
私のペンネームを2、3考えて戴けませんでしょうか?「一休」は亜無様が名付け親ですが、実は僕は「坊主」が大嫌いで…(釣り人は皆嫌う…)
よろしくお願いします。(もしか投稿する愚行も…)
美輪さまは(下の方)竹久夢二が描く女性に目元が似てると思います。(乙女チックです…)