峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

ありがとうございました。<m(__)m>

2006年12月30日 21時42分54秒 | 最近の出来事
昨日は実家に行きました。
実家では 「テンちゃん」 という猫を飼っていますが、元は天井裏に入り込んでいた野良猫だったので、(だからテンちゃん)
警戒心が強く、母と妹以外にはなかなか懐きません。
前の家では姿を見せない忍者猫でしたが、引っ越してからは 昼間は母の布団の中に引きこもるようになりました。
布団をめくって写真を撮ったら、嫌そうな顔して布団の奥にもぐっていきました。


テンちゃんのおしり


さて、今朝 目覚めて起き上がったら、部屋の中に光が乱舞していました。
(左側に掛かってるのは服)










あれは、なに?
朝の妖精さんが、私を誘っているのかしら?
ふふふっ



じつは、太陽の光が部屋の中に差し込んできて、舞い上がった埃に乱反射しているのでした。

はやく掃除せえっちゅう、メッセージ……とも取れる……。


                 


明日更新できなかったら、今年はこれで最後ですので、ご挨拶申し上げます。

この1年、いろんなことがありました。
3月に長男の友人 (16歳) のバイク事故があり、「とめどなく涙が流れる」 悲しみを知りました。
そして、5月に義母の乳がんの手術。
6月に1年4ヶ月勤めた介護老人保健施設の入浴介助を辞めて、その頃から時々実家に行って片付けは始めていたものの、
11月初旬にいよいよ引っ越さなければならないことが決まり、10月からは頻繁に通いました。
片付けもさることながら、途中でお弁当買って行って、食欲がないという母といっしょに食べるのも目的でした。
母の努力や妹の底力、そして兄と兄嫁たちの助けにより、無事に引越しできたのには本当に安堵しました。

昨日、実家に行って父の御守りを整理しながら母が言いました。
「こんなに御守り持ってて、ご利益あったのかしら」
私は、「お父さん、一番良い時に亡くなったのかもよ。生きてる間にこうなってたら、(家が人手に渡ったことなど) どんなにパニックになってたことか」

と、言ってから、ふと思いました。
「まてよ。あの土壇場のギリギリ状態で この家を買うことができたのは、お父さんの力じゃないかな」

今考えても、時間の無い中で よく今の家にめぐり合えたものだと思います。
母や妹の頑張りはもちろんだけど、良い不動産屋さんに廻り合えたことなど、
父が助けてくれたのかもしれない。
そんな気がしました。

話が逸れましたが、そのようないろんなことがあった毎日の中でブログを書き、
優しく温かい方々に見てもらい、コメント戴くのは大きな励みとなりました。
皆様に心からお礼を申し上げます。 

本当に、本当にありがとうございました。
来年もどうぞ峰猫のつまらぬ呟き、覗いてくださいますよう よろしくお願い申し上げます。
                



彗星が地球に衝突する前日の夢

2006年12月29日 23時36分31秒 | 思い出話
下の   から   までの記事は、11月17日に書いたのですが
暗くてマジメな内容だから下書き状態で放置してました。
でも、せっかく書いたんだし、おめでたムードの新年になる前にアップしちゃいます。


                                
        

中学生の自殺が相次いでいる今日この頃。
ふと、自分の中学生時代を思い出しました。

とくにイジメられているわけでなくても、小学校高学年~中学生くらいの時期って、
自殺について考えることはあると思います。
みんながみんなじゃないかもしれないけれど、私も考えました。

正直なところ、私はブサイクです。成績も良くはなかったです。
中学時代、「こんなに目の小さい人って初めて見たわ」 と言われたり、
「西さんって、足が短いよね」 と、私が後ろにいることを知らずに、友達同士で囁いているのを聞いちゃったりしてたし。 
そのくらいの年頃って、容姿が大きな比重を占めているものなのです。   

だからといって、別にイジメられていたわけじゃないし良い友達もいました。
(元々、無理に友達を作るよりは一人で本を読んでるタイプだったから、自然に出来た友達だった)
もし自殺を考えたとしても、容姿が原因でもなかった気もするし。

試そうとするまでいかなかったから、それほど真剣に考えたわけじゃなかったかもしれないけれど、
でも、とにかく勉強とか、いろんな嫌なことから逃げたい気持ちがあって 「自殺」 が頭をよぎった時期がありました。
中学2年生のときでした。


そんなある日、2階の自分の部屋で、昼寝…というか夕寝をしました。

          
                 


いつの間にか、世の中は大変なことになっていました。
明日、彗星が地球に衝突することがわかったのです。
街にはトラックを奪い、略奪に走る人々がいました。
兄たちもそのようなことをしていました。
みんな、突然命が終わるという現実を突きつけられて、どうしていいかわからなくなっていました。

私は茶の間でその様子を見て、悲しくなって鼻水が出てきました。
持っていきようのない怒りをぶつけるようにして、母に向かって乱暴に、
「そこのチリ紙取ってよっ」 と言いました。

すると、母はものすごく悲しそうな顔でチリ紙を取ってくれながら、
「ああ。こんな子になっちゃって…」 と、言いました。

母の悲しそうな様子を見たとたん、悲しみが押し寄せてきました。

自分はまだ、何もしていない。
善いことも、悪いことすらも。
何にもしていないのに、明日は死ななきゃならないんだ。

        
                  
   
    
わーわー泣きながら目が覚めました。
一度泣き止んでから、家族がいる茶の間に降りていったけど、
やはり悲しみを抑えることが出来なくて、家族の前でも泣き出しました。

それから30何年も経つのに、まだ善いことあんまりしてないけど、
それでもあの強烈な夢は、自分の中で意義があったような気がします。


                                

ここまで11/17に記載。以下、本日。


夢判断では、たしか、「死ぬ夢」 や 「殺される夢」 は、古い自分から脱却し、新しく生まれるという意味で悪くはないようです。

だから、来年はまた新たに生まれ変わるつもりで、過去に見た死ぬ夢・殺される夢を列挙してみます。

最初に見たのは、たぶん3~5歳くらいのとき。
当時住んでいた自宅の門のところで母親に横抱きにされた私は、男の人に大きな刀で首を切り落とされました。
母は首のない私をそのまま抱いていたように思います。

次は10歳か11歳くらいのとき。
古い時代の日本(戦国時代くらい?)の滝のそばで小刀で自分の首を切り、自害しました。
目覚めたときに首がヒリヒリしていたので印象に残りました。

この後は10代の終わりから20代以降だと思うけど、
私は兵士で、脱走して祖母の部屋に逃げ込みます。
観音開きの扉の作り付けの棚に、後ろ向きに背を丸めて隠れていると、上官たちが入ってくるのがわかりました。
じきに背中から撃たれるだろう、というところで目が覚めました。

現代。麻薬か覚せい剤の取引現場を目撃してしまい、こめかみにピストルの銃口を突きつけられ、指に力が入るのがわかります。
次の瞬間には撃たれるという一瞬、死を覚悟しなくちゃという考えと、諦めきれない、ものすごい恐怖が交錯しました。
(この夢を見たあと、八王子のスーパー強盗の事件があり、撃たれて亡くなった方々の恐怖がどれほどだったかと胸が痛みました)

どこかの国の民族組織で ②兄の裏切りと通報により、銃殺される寸前の夢。


幼い頃に見た首を切ったり切られたりする夢ですが、25歳のとき、海で波に打たれて頚椎を損傷しました。(いわゆるムチウチ)
それと関係あったりして。
今でも手が痺れることがあります。
30代の終わりに将来障害が出る怖れがあるからと、喉から切って頚椎の骨を削るとかいう手術を勧められましたが、
そのためのMRIを撮る数日前に胆石症で別の病院に緊急入院、結局首の手術はそれきりになりましたけど…
もしかしたら、胆石で助かってたんだったりして。
首切り手術はやらなくて良かったような気がしてます。



今年もあと2日。
更新できればしますし、出来なきゃしません。 






料理上手な私の…

2006年12月28日 20時11分30秒 | 最近の出来事

タイトル、「料理上手な私の…」 の後には、「長男」 が付きます。

長男がさっき買い物行ったんだけど、生クリームとスポンジ台買ってきたらしくて、
いつのまにかケーキ作ってました。
クリームにラム酒が入ってて、上には砕いたカシューナッツが振ってあります。

長男、私がチャーハン作ると、
「かあちゃんの作るチャーハン不味いんだよ」 といって、自分で作ります。
それが美味しいのが悔しい。“(*`ε´*)ノ彡☆バンバン!!

朝、何種類もの整髪料を並べた鏡の前で、長めの髪の毛おっ立ててるくせに(偏見)、なんで料理がうまいんだ。


さて年末につき、ペットの報告を。
金魚たち、元気です。
黒井さんはすっかり橙井さんになりました。 夏美も色が薄くなったかな。2匹とも同じような色になりました。
もう1匹はその後入った新人、田代魚政。(三男命名)





ドジョウのモンテ・クリスト伯(もしくはヘレン・ケラー)も元気です。
オットセイになるまでは、まだ時間が掛かりそうです。





トトも相変わらずのノーテンキな寝顔です。




シャルル ・ アズナブール

2006年12月26日 16時29分53秒 | 自作品
由紀さおり をして、「アズナブール流しながら この手紙を書いてます」
と歌わしめたシャンソンの大御所、シャルル・アズナブールが来年2月に日本に来ます。
82歳だそうです。

先日、『徹子の部屋』 に出ていましたが、さすがアズナブール。
媚びることなく、偉そうでもない自然な威圧感。
徹子さんも、あがっていたように見えました。(見えただけかも)

アズナブールの画像を検索したのですが、うんと若い頃か、コンサートのチラシに使われるこの写真ばかり。




この写真、なんかイメージ違います。
それで、録画した 『徹子の部屋』 を流しながら、リモコン一時停止一時停止を繰り返し、
これと思ったベストショットを写真に撮って絵にしたのが、トップ画像。
こっちの方が本物の雰囲気出てると自画自賛。( ̄´-` ̄)ノ
口元がフランス語しゃべってるでしょ。

2月のアズナブールコンサート、私の生活レベルからするとムチャクチャ高かったけど、チケット予約の電話してしまいました。
でも、母も誘ったらチケット代全部払ってくれました。
ラッキー。 ヽ(^◇^*)/ ワーイ

ところで今日は、今年最後のシャンソン教室でした。
雨がひどいせいか、人数が少なかったのは寂しいけれど、今年最後の歌い納め、
気持ちえがっだ。(* ̄▽ ̄*)ノ"

皆様にも日頃の感謝を込めて、私の歌声を文字にしてお届けします。




ほげーほげほげほげー
                                 

   



20歳のときの詩 その2

2006年12月24日 13時01分03秒 | 自作品

そこの2人 なにやってんのよっ 


バカップルは、ほっといて…と。
さてさて、20歳の頃の詩、第2弾です。
昔はいっぱい詩を書いてて、そのノートが何冊も出てきたんだけど、暗い詩が多くて。
前回のも今回も、その中でもそれほど暗くないのをアップしてます。
暇つぶし程度のつもりで、どうぞ。 r(^ω^*)))テレマスナ


山の里

夕焼け 眠った 山の里
追われたうさぎは穴の中
いたずら坊主もあくびに勝てず
こたつの中で ねんころりん

重くなったねと目を細め
ばあちゃん 坊主をふとんに移す
軒の下には秋の虫
坊主の夢では銀の笛

銀の音色は 空へと昇り
山から山へと 銀の橋
静かな山里を憧れて 流れ星ひとつ
銀の橋から落ちてきた



                


猫の呟き

あたしはね 考えているの
考えている間に いつのまにか 眠っちまうの
だから次の朝には また別のことを考えるの
すると雨が降ってくるでしょう
あたしの考えは ふっと消えて
ただじっと雨を見て 時を流してしまうの
しばらくして雨があがるでしょう
おひさまも射してくるでしょう
とたんに日の光に透けるような
柔らかな毛に憧れて 身体中お掃除しちゃうの
しっぽの先まで なめおわると
ちょうど地面も乾く頃だから
おひさまの下へ出て 美しくなった自分を眺めるの
するとだんだん ぽかぽかして
コロンと横になりたくなっちゃう
横になったら また考えるの
でも風が耳元で囁くように歌うでしょう
おひさまは暖かく あたしを包むでしょう
結局 本当の幸せっていうのは このまま眠ることだなあって考えて
また コトンと眠っちまうの
あたしって哲学者だなあって
つくづく感じるんだわ




20歳のときの詩

2006年12月23日 15時18分03秒 | 自作品

トップ画像は、何年も前に動物園で撮った 2匹のミーアキャットの写真です。

今日は20歳のときにノートに書き綴った詩を紹介するつもりですので、まったく関係ない画像なのですが
なんか絵がないとつまんないでしょ。
この画像、以前 亜無さんのHPにアップしたことがあるような気がしますが。

このミーアキャット、なにしてるんでしょう。
ケンカ? 相撲? などと考えながら、詩にいきます。



自分のために 作った マネした詩

雨ニモ和シ
風ニモ和シ
雪ニモ夏ノ暑サニモ調和スル
平和ナココロヲモチ
慾ハナク
瞋ルベキトキニハ瞋リ
イツモTPOニ順ジタ顔ヲシテイル
一日ニ太ラヌヤウニ
適当ニ食ベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
杉並ノ○○3丁目ノ一角ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ家事ヲ手伝ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテ蔭カラソット念佛唱ヘ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
後々ノタメニ見学シ
ヒデリノトキハ赤十字ニ寄付シ
サムサノナツハチャリティニ参加シ
ミンナニ寒山拾得トヨバレ
ホメラレタトシテモ素直ニ受ケトメ、調子ニノラズ
クニモサレナイホウガイイケドサレタトシテモ気ニモセズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ



この2匹のミーアキャット、この後に撮った写真で ちょっと驚きの展開となります。
それは次回の記事にアップ。 





秋のツケ

2006年12月21日 15時36分01秒 | 動物や昆虫など生き物の話

トップ画像は、昨日完成した押絵のイノシシです。
押絵とは、羽子板などに浮き上がった絵が付いているのがあるでしょう。
つまり、ああいう芸術です。
来年は押絵に嵌るのです。σ(-_-)ワタシ
なぜ、急に押絵なのか。
それは、先週、新・実家に行ったときのこと。
帰りの電車の乗り換え接続が悪く、持て余した時間を本屋で過ごしました。
そのとき手芸本コーナーで目にしたのが、押絵の本。

そういえば、去年の地域役員で作らされたストラップがこんなのだった。
(交通安全週間に、どこかで配ったらしい)
最初は面倒臭くてイヤだったけど、作ってみたら素敵だったっけ。

日本的な雰囲気が漂い、ちりめん生地のふくらみが何とも温かい。
「これだ!」 と思った私は、3日後にはユザワヤへ。
とりあえず作り方の流れだけでも掴もうと、製作キットを買ってきました。

それで出来たのがトップ画像です。
オリジナルな部分が全く無い上に、我ながら仕上がりが汚いです。 
えーい、私はこういう細かい作業に向いてないのよっ
でも、慣れればきっと、もっと上手になります。
来年はオリジナルデザインで作るつもり。
出来上がるごとにブログで発表します。
できるかな~。┗┓ ̄旦 ̄┏┛フフフ

     

ところで、タイトルは 『秋のツケ』。
いったい、何の話でしょう。


先日、次男の怪しいお面を、トトにも被せてみました。



まあ、怪しい。




ウサギのふりして、可愛いわよ。 ふふん。


しかし、そのお面を取ると……



ちょ、ちょっと。 その頬に寄った皺は、なに。
そういえば秋からトトの食欲が増してたっけ。
顔に皺が寄るほど太っちゃったの? アンタ。

これが、『秋のツケ』 。 
( ひとごと ではない  )






天使の宅配

2006年12月19日 16時58分35秒 | 自作品

これは平成8年に実家に送った脅迫状?です。
昨日アップしたのと同じ年のようです。 息子たち、7歳・5歳・1歳。
紙はB4ですが、スキャナはA4サイズまでなので、全体は携帯カメラで撮りました。
絵の部分だけ、スキャン。



書いてある文章は、

天使とすごすクリスマス

12/21~23、あなたのお宅に 3人の天使をお届けします。今年のクリスマスは天使とともに過ごしてみませんか?
お問い合わせ お申し込みは下記まで。


注 ・ お申し込みは必ず3人でお願いします。
(「ずるいー」 と言い出す天使がいると当社で持てあましますので。)
・ 天使の中には わがままなのや、排泄のしつけのされていないものもおりますので、御希望の方にはスタッフ2名を同行させます。


(㊑)エンジェル派遣コーポレーション


子どもが小さいときって、たまに実家に行って楽したいのよね。
実家では迷惑だったに違いないけど。 ヽ( ´ー`)ノ フッ
もちろん、このときも有無を言わさず派遣しました。 ↑_(ΦwΦ;)Ψウケケ

派遣したあと、「絵と違う」 と、お客様からクレームが付かないようにもしてあります。





いやはや、なかなか気を使っております。


天使の輪っかは、足下に。


印智気広告

2006年12月18日 14時15分56秒 | 自作品

昔はブログなんてなかったから、思いついた冗談や面白ネタがあると、実家に送り付けていました。
これはそのひとつ。
10年前に作ったみたいです。

三男の怪しげな (いや、普通に見れば普通の写真) を、このようなインチキ臭い言葉で飾りました。




その下の文章はインチキ体験談と団体名。


体験者から寄せられた喜びの声

☆ K先生の写真を見つめてからは信じられないほどのラッキーの連続でした。
渡ろうとしたとたん信号が青になったり、私の前を横切ろうとした黒猫がUターンして戻っていったり…。
(神奈川県 E・Hさん 27歳)

☆ 写真を見てから、私のまわりで何かが変化しています。先日も紙くずをうっかり落としたら、見ず知らずのおばさんが教えてくれました。
みんなが親切にしてくれるみたい! 
(群馬県 T・Oさん 19歳)

☆ ゆうべは まつたけごはん だった (埼玉県 K・○くん 7歳)

☆ おにいちゃんが おもちゃ かしてくれた (埼玉県 S・○くん 5歳)

☆ 1歳の息子が畳の上にジュースをこぼして遊んでいたが、
布団をたたんだ後だったので被害が少なかった。超ラッキー 
(埼玉県 M・○さん 37歳)


    -----------------------

度をルーツとする
恵と
のパワーを科学する
印智気協会



7歳と5歳と1歳の子どもを抱えて、暇だったワケがない…………。


あの頃この眼は若かった

2006年12月16日 14時01分47秒 | 自作品

これは、若い頃に作ったポケットティッシュケースです。
デザインはクロスステッチ刺繍の本に出ていたもの。
元はたしか、ピアノカバーか何かのためのデザインだったんだけど、
細かい目のクロスステッチ用の布地に刺繍したら、丁度このサイズになりました。

細かいっすよ~。 この刺繍。
前のユニコーンペガサスと同じ布地です。
いきなり老眼のキタ今日この頃、とてもじゃないが作る気がしません。

ティッシュペーパーを入れる部分は中に。
バラも本に出ていた図案のままです。



これはたしか、「眠れる森の美女」 のお話の一部で、この他にもあと二つ、別の図案のを作って人にあげました。

仕上がりは気に入ってるけど、所詮人様の作ったデザインの通りに刺しただけ。
稚拙な絵でもオリジナルの方が自己満足します。




ところでもうすぐクリスマス。
昨夜、三男を寝かせながら言いました。

私  「あのね、サンタさんはね、子どものためを思って来るのよ。
だから、今年はプレゼントを届けに来るんじゃなくて、ゲーム機を取り上げに来るの」


三男 「そんな


私  「サンタさん、きっとトナカイさんに こう言うわ。
(サンタの声で) ほっほう。 ゲーム機、食っちまいな」


三男 「俺、今年のクリスマスはゲーム機抱えて寝る


私  「(トナカイの声で) よう、抱えて離さないから、こいつの頭から食っちまってもいい?」


三男 「それでも渡さない


私  「(サンタの声で) 子ども食っちゃマズいわい。それより、耳の穴でも舐めてやんな。
(トナカイの声で) ふふん。べろべろ。 足の裏とヘソの穴も舐めてやろ。 べろべろ」


三男 「あ…ホントに涙出てきた…」




他にもこんなスプーン

2006年12月15日 10時50分13秒 | 実家の話

やっぱ、年末は忙しいですね~。
この忙しいのに、怪しいトラックバックが昨夜から11件も入ってました。
申し訳ありませんが当分、「トラックバックは受け付けません」 の設定にさせて戴きます。


さて、ニュルンベルクのスプーンほどのインパクトはないけれど、同じときにもらってきた他のスプーンも紹介します。

まずはトップ画像の文字入りスプーン。「福徠壽」と「福壽」に通貨みたいの。
別に面白かないです。


           


次は東京みやげ?





二重橋と皇居と富士山かなあ?


         


次はどこの土産かわかりません。



上に風車小屋がついてて、下の部分は浮き彫りになっています。
風車の羽部分は手で動かすと回ります。




風車小屋の中だかわかりませんが、下では なにやらドラマが。
最初は粉引きの仕事してるのかと思いましたが、よく見ると酔いつぶれた人と、それに絡んでるんだか、励ましてる人?



ちょっと不思議な人間模様。


そして、このスプーン。 意外な場所に意外な人が。
どこでしょう。

 ここよ、ここ。





 ナンチャッテおじさん






ニュルンベルクのスプーン

2006年12月11日 10時34分07秒 | 実家の話
 
もうネタがないし、掃除に専念しなくっちゃ。
ほら、今日はお日様が照ってるから、シーツの洗濯もできるわよ。
と、思っていたのに…
また、へんなもん見つけちゃいました。


スプーンをね、数ヶ月前に百円均一ショップで何本か買ったですよ。
でも、そのあと実家の屋根裏を片付けていたら、スプーンが何本も出てきたですよ。
それほど必要なかったけど、せっかくだから貰ってきました。
で、この2ヵ月くらい使ってたんですけど、昨日 一本のスプーンに仕掛けがあることに、次男が気付きました。

上の部分になんか付いてる…とは思ってたんですが…。
お地蔵さん? いやいや、西洋の物のようだから、聖人か何かの像?




そこが開く? なんで?
しかも中に出てるものは何?




こ、これは… と思ったとたん、次男が、
「おおっ、アイアン・メイデン」 と言いました。
なんで知ってるんだ。
私だって日本語の、「鉄の処女」 なら知ってたけどさ。




スプーンの下の部分に書いてあった文字をネット検索して、どうやらドイツのニュルンベルクのお土産らしいということが わかりました。




ニュルンベルクは最初に拷問具 ”鉄の処女” を所有した町として知られるそうな。

でもねぇ。 スプーンにそれを付けるって、どうよ。



菅原道真公の話

2006年12月09日 13時59分10秒 | 不思議だったり、そうでもなかったりの話
この写真は、アップしようかどうしようか迷ったのですが……
簾越しの写真だから、いいかな。

数十年も前のことになるけれど、母方の祖母の実家(M家)のおばさんが、私の父に託したものがあります。
それはM家に代々伝わっていたらしい、菅原道真公を描いた掛け軸。
なにしろ、直では恐ろしいということで、絵の前に御簾をかけて直接顔が見えないようにしていたとか。
私の父なら粗末にしないで、ちゃんとしてくれるだろうから…ということで、託されたのでした。
かなり古いもののようで、傷みが激しくなっていたため、父はそれを額装にして ノン御簾で部屋に掛けていました。

引越しのとき、私はその額のことも気になっていたので その部屋を見ましたが、
私の記憶にある、ちょっと恐い顔とは違う、漫画チックな道真公の掛け軸しかありませんでした。
母に、「Mのおばさんからの道真公は?」 と聞くと、
「え? そんなのあった? あの掛け軸じゃないの?」 と、覚えていませんでした。
「おかしいなー」 と思いつつ、私が最後に実家に行った日。 
もう行くつもりなかったけど、行くことになって、坂本龍馬とか見つけたあの日。
これも、その時と同じ奥地から発掘されました。

「これだよ、これ。 M家からお父さんに託された道真公~」 と、母に言うと、
「あー、そういえばこんなの、あったわね」 

呪いの正体はこれか~!!
「恐いから、このまま置いてっちゃおう」 という意見もなくはなかったのですが、
「いずれ私の方に引き取るから」 と言って、とりあえず母の新居に運んでもらいました。

さて、母たちが新居に引っ越したころから、妹は2度ほど高熱を出しました。
そして数日して、母から私に電話がありました。
「今、台所でいきなりお皿が割れたんだけど、あんたんとこ、みんな大丈夫?」

聞けば、母が茶の間にいたところ、誰もいない台所でいきなり、ガチャーンと音がしたので見に行くと、
水切り台に平らに置いてあったガラスのお皿が割れて、破片がいくつか飛んでいたそうです。
お皿の上に箸を置いてあったんだけど、その箸はそのまま。
お皿が下に落ちたわけでもなければ、上から何か落ちてきたわけでもない。
破片は洗い場の方と、流しの下まで落ちていたそうだし、音までしたんだから何かの衝撃があったのだろうけど、原因がない。

その電話を聞いて、私は、「道真公の額は?」 と聞きました。
「リビング (台所からすぐ) にそのまま置いてあるけど」
「あの絵、昔は御簾を掛けて直接顔を見れないほどにしていたのに、あのままじゃまずいから、とにかく何か掛けておいたら?」
というと、母は早速、ランチョンマット用の簾を洗い、塩で清めて額に掛け、
七福神のガラスケースの上に飾って水もあげてくれました。

その後異変はないようだし、妹の熱も下がって元気になりました。

それにしても、母が菅原道真公の絵も、実家に来た経緯も忘れていたのも不思議だし、あんな奥地に埃まみれで置きっぱなしになっていたのも不思議です。

妹が言うには、
「絵が飾られていた部屋を父が寝室にしていたとき、父が体調が悪くなったので部屋から一番遠い、あの場所に移したのではないか。
そのときはまだ、そこは物置状態になってなかったし…」
とのことですが、真相はわかりません。

でも、もしあのまま置いてきてたら…解体工事の方たちとかに何かあったかもしれないし。
持ってきて良かった…と思いたいです。



昨日から 「呪い」 で楽しんでた? かのような記事を書きましたが、本当は呪いなんかじゃなくて、自業自得とか因果応報とか人間万事塞翁が馬なんですよね~。
ただ、やっぱり そーいう物は、粗末にしないように気をつけなくちゃね。



七福神の話

2006年12月08日 13時46分29秒 | 不思議だったり、そうでもなかったりの話


最近テレビドラマでやってる、『のだめカンタービレ』 、面白くて好きです。
その中で、バイトしながら音大に通っている女の子がいて、
遅刻ばかりして練習もろくに出来ないその子の家に、主人公たちが行きます。
その家は莫大な借金を抱えて会社は傾き、家も差し押さえられているのに父親が高価なバイオリン収集家。
主人公たちは友達のためにバイオリンを全部売っちゃえと談判します。
すると、売ったとたん父親は目が覚めて、会社も立ち直り家も売らずに済んだ。
なぜなら、売ったバイオリンの中に、‘呪いのバイオリン’ が一本あったらしい。……
という話がありました。

引越しの片付けの最中に妹に その話をしたら、「どれが我家の呪いだろう」 と、出てくる物出てくる物、「これか」 「いや、これだ」 と、盛り上がっちゃいました。

さて、その中で怪しいのが まずこれ。

これは10数年前になると思うけど、元々トップ画像のように一緒にあったのを、
ワケあってバラバラにして分けました。
恵比寿大黒が両親。 妹が技芸の神である弁天。 あとはアミダくじで分けました。
我家は布袋で、単体でずっと茶の間の一員でしたが……

家の売り渡しで兄妹が揃ったとき、母が別の七福神も分けようとしたところ、
②兄が言いました。
「もう、こういうの分けるのをやめた方がいいんじゃないか。 どうもあの七福神を分けてから、ろくなことがない」

神主やってる③兄とか、オカルト好きの私ならともかく、元々そういうことを言うタイプではない②兄が言うものだから、ちょっと驚きました。
兄妹みんな、あまり こだわるタイプじゃないので、 
「あ、そう?」 みたいなノリですんなり再び集まり、今は母のところにまとまってます。
この七福神を置いた母宅の茶の間、なんか妙に落ち着きます。
家自体は、前の家よりずっと小さいけど、今の方が暖かくて くつろげる感じ。
不思議です。

では、個々に紹介。


恵比寿




大黒




毘沙門




布袋




寿老人




福禄寿




弁財天
 


一見、焼き物に見えますが、木彫りに彩色してあります。
大きさは25cm~30cmくらい。


答えはストーブ

2006年12月07日 15時40分05秒 | 実家の話
はじめは電球がはずしてあったもので、母は、
「なんて物の入らない物入れなんだ」 と思ってたようですが、
数年前に、他のところから新聞紙にくるまれた電球が出てきて、これにぴったりだったもんだからストーブだと気付きました。
使おうと思えばまだ使えるんだけど、電気代食うばっかりなので使うことは断念しました。
いつの時代のものか、よくわかりません。
こういうストーブは、他で見たことも聞いたこともないんですけど、どなたか知ってます?
電気使うんだから、古くても明治以降とは思います。


  



さっき妹から、こんなメールが来ました。


                  
昨日の夕ご飯にキムチ炒飯が出たの。  (夕食は母が作っている)
ちょっと焦げてたけど、めちゃ美味しかったの。
だけど、リンゴジャムが入ってた…。
「何、これ!? リンゴ!?」 って言ったら、お母さんが、
「いたずらしちゃった あんたんとこに入ってたんだ~♪」 だと。
本気のセンスじゃなくて良かったけど…、おい~っ 」
                     



母のいたずら、昔から度々ありました…。