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峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

猫の話 5 ~サブロウ~

2006年05月07日 15時45分36秒 | 動物や昆虫など生き物の話
我家の玄関は、ガラスのはまった引き戸でした。
普段開けない方の端のガラスを小さく切って、猫は自由に出入りしていました。
トイレに行きたいときは勝手に庭に出て行けるし、猫集会に行くにも、いちいち人間の手を煩わされることはありません。
便利でしたが、難点はヨソ猫も自由に入れることでした。

しかも母親が割り箸と端布を使って のれんを作り、猫の出入り口に掛けたものだから、
「お、こんなところに店があった。どれ。美味しそうな猫まんまの匂いがするぞ」
と、時々見知らぬ猫が我家でお食事を召し上がっていました。

パウロたちがある程度大きくなった頃、ポケはよく玄関で授乳をしていました。
あるとき、パウロたちよりも一回り大きい子猫が外から入ってきて、ポケのおっぱいを一緒に飲もうとしました。

ポケもさすがに、怒って追い払いました。
そりゃそうでしょう。
私だって、「ごはんよ~」と、子供たちに声を掛けたら 見知らぬ子が入ってきて、
「わーい ごはんだ ごはんだ
って食べようとしたら、
「ちょっと待て、どこのガキだ
と、なるでしょう。
ましてや、母乳飲みに来られたら………いや~んなにすんじゃい

しかし、その子猫は何度も何度も来ました。
親の姿はなかったので、よっぽど母親が恋しかったのかもしれません。

ポケもついに折れました。
いつの間にか、その子猫もパウロたちと一緒にポケのお乳を当然のように飲んでいました。

結局その子も飼うことになり、名前は父が「サブロウ」と名付けました。
公的な理由は、俳優の坊屋三郎
           

に似ているからということでしたが、
本当の理由は父の知り合いの、○○三郎という方に似ているからでした。

サブロウは顔に似合わず、可愛い声を出す猫でした。
しかし、ポケの子たちは金魚を遊びで捕ることはあっても食べることはなかったのに、
サブロウは捕った金魚を食べました。
だから、時々なんとなく生臭い猫でした。

そういうとき、父は、
「ほらみろ。サブロウって名前がピッタリだったろう」
と、わけのわからないことを言っていました。
父よ。気に入らない知り合いの名前付けるなよ。

猫の話 4 ~奇跡のような帰り方~

2006年05月03日 19時12分23秒 | 動物や昆虫など生き物の話
昨日の続きです。

ガンカイがもらわれた日の夕方だったと思いますが、母は母方の祖父母の家に行きました。
祖父母の家は歩いて3分ほどの距離でした。
帰ってきたとき母は、「ねえ、これ、ガンカイじゃない?」と子猫を抱いていました。
たしかにガンカイでした。

「どうしたの? なんで?」
と聞くと、
「おばあちゃんちの車の下で猫の声がしたから、覗いてみたら居たのよ」

たしかに、猫をあげた人の家は我家と祖父母の家の延長線上にあったようなのですが、
東京23区内の住宅地ですから、他にも家はたくさんあります。
むしろ、家ばかりといってもいいような場所です。
それに、祖父の家の車は門の中に停めてありました。
ガンカイは、帰るための一番の近道で待っていたのでした。

私はそれから自転車で近所を回り、パウロを探しました。
パウロが行方不明であることを、ボッチの兄弟をもらってくれた友達‘トカゲ’さんには話しました。
私は学校から帰ると、毎日パウロを探しました。
数日して、トカゲさんから電話がありました。

「うちの前で子猫が鳴き続けてるんだけど、パウロじゃない?」
すぐに行ってみると、たしかにパウロでした。

トカゲさんの家は、猫をあげた人の家と近いとはいえません。
みんなに猫が行方不明になったことを言いふらしたわけでもありません。
それどころか、その辺りではトカゲさんだけがパウロのことを知っていました。
パウロは、‘帰り着くために有効な家’をピタリと探し当て、を発したのです。

さて、その後しばらくして、猫をもらってくれた人が
「まだ猫はいますか?」と、来ました。
「じつは、この前、連れて帰る途中で逃げられてしまって」と、言います。

母が、奥にいた私に「どうする?」と聞きに来ました。
私は泣き出してしまいました。


もう猫をあげたくありませんでした。
必死の思いで帰ってきた猫たちを、このまま家で飼ってやりたいと泣きました。

母は、断ってくれました。

このとき、私は強く思いました。
「うちの猫は全部で9匹 もうあげないんだから
そう。このとき、家には猫が9匹いました。

おや
と、思われた方は、かなり賢い方です。(というか、普通そこまで数えない)
ポケ・ボッチ・ワル・チャメ・パウロ・ガンカイ・シャリホツ・清二………
(ギザ耳は野良猫だから、うちの猫ではない)
8匹じゃん

いえ、じつは、このとき もう1匹いました。
ワルたちより小さく、パウロたちより少し大きい猫。
この子はポケの子ではありません。
白と黒の♂猫、サブロウ。

サブロウは何故、ポケ一家だけで精一杯の我家に来たのでしょう。
それもまた面白い経緯がありました。

次回、猫の話はサブロウのことを書きましょう。





猫の話 3 ~ボッチ兄さんのこととキャッチボールのこと~

2006年05月02日 16時40分11秒 | 動物や昆虫など生き物の話
今日も猫の話です。

ボッチの次に生まれた猫のうち、2匹が育ちました。
1回のお産で、たいてい4~5匹産まれますが育つのは全部とは限りません。
このときは♂と♀が生き残り、♂は「ワル」♀は「チャメ」と名付けました。

子猫たちは、少し歩けるようになると押入れから抜け出して冒険を始めます。
ワルたちだったか、その次の子たちだったか、
歩けるようになると階段に近づくようになりました。
子猫たちは2階にいるので、足を踏み出せば転がり落ちます。

ポケは母親だから、首筋を咥えて階段から離します。
しかし、ボッチも誰が教えたわけでもないのに、子猫たちが階段に近づくと引き戻しました。
首筋を咥えるのではなく、足の間に子猫を入れ、にじって階段から離します。
ボッチは立派な兄さん猫でした。

そのころ、私はよく猫たちとキャッチボールをしました。
キャッチボールといっても使うのはボールではなく、新聞広告のチラシをクシャクシャと丸めたものです。
いつの頃からか、チラシを丸める音だけで、猫たちはワクワクするようになりました。

外に出て、猫たちから少し離れたところに立ちます。
チラシをさらに丸めて音を出します。
猫たちは期待に胸を膨らませて待ち構えます。

ポイ、と投げると、上手な猫は空中で口キャッチしました。
上手くない猫も、転がる紙を夢中で追いかけました。

その後、エサを与えるわけでもありません。
猫たちは、純粋に遊びを楽しんでいました。

さて、その後さらに4匹の子猫が産まれますが、
もう我家では飼い切れないと、玄関前に《子猫差し上げます》と張り紙をしました。

4匹の猫には既に「ガンカイ」「パウロ」「シャリホツ」「清二」と名前を付けてありました。
ガンカイ(孔子の弟子の名)は茶トラと白の♂、
パウロ(キリスト教の聖人の名)と清二(映画『悪名』に出てきた田宮次郎演ずるヤクザの名)は白に茶が少し入った♂、
シャリホツ(釈迦の弟子の名)は三毛の♀でした。

張り紙を見て、猫をもらいに来てくれた人がいました。
最初にもらわれたのがパウロ。
しかし翌日、「帰る途中で逃げてしまった」と、同じ人がまた猫をもらいにきました。
次にあげたのがガンカイ。
けれど2匹の猫たちは、不思議な方法で(?)うちに戻ってきました。

その話はまた次回に。

猫の話 2 ~ポケかあさんとギザ耳とうさん~

2006年04月30日 12時04分28秒 | 動物や昆虫など生き物の話
この写真が私が10歳のときに拾った猫、ポケです。
♀猫なので、子供を次々と産みました。

最初の子は次兄の布団で夜中に、次兄に手を握ってもらって産んだらしいです。
初めての子育ては猫にとっても大変だったらしく、おっぱいを飲ませるのも下手でした。
おままごとの哺乳瓶やスポイトを使ったのは、もしかしたらポケの子の記憶だったかもしれません。

なんとか母親のおっぱいを飲むようにと、ポケを横に寝かせ、赤ん坊を乳のところに持っていきました。
しかし最初の子どもたちは弱かったみたいです。
間もなく死んでしまいました。

ポケは動かなくなった子供を母の前に連れてきては横になり、
「ねえ、おっぱい飲まないの。飲むようにしてよ」
と訴えたそうです。
「ポケ、この子はもう死んでるよ。もうおっぱいを飲めないんだよ」
と、言い聞かすのが辛かったと、母は言いました。

しかし間もなくまた子供を宿したポケは、3匹の子供を産みました。
一匹は我家にそのままとどまり、「ボッチ」という名前を付けました。
一匹は私の中学校の友達、‘トカゲさん’の家に貰われていきました。
もう一匹はやはり中学の友達の‘ヨシコちゃん’ちに貰われていきました。
この、‘トカゲさん’は、その後の猫の不思議話に登場します。

その次もまた子供を産みますが、今度は2階の押入れで子育てをしました。
ポケは自分でそこを選び、子供たちを連れていきました。
その頃には父親が誰なのか、私たちにはわかっていました。
野良猫の「ギザ耳」。
白と黒模様の猫で、ケンカでもしたのか、耳が少しギザギザになっていました。

ある日のこと。
ポケがどこかに出かけていったので、子猫を見ようと押入れを覗いてみました。
すると、そこには子猫たちを抱いたギザ耳がいました。
びっくりしました。

きっと、
「ああもう子育てなんてウンザリ たまにはあなたも子供の面倒みなさいよーーっ
と、ポケに言われて、
「わかったよぅ。 しかし、いいのかな。しがねえ野良猫の俺が入り込んで…
とか言いながら、子守してたんでしょうねぇ。

猿の話

2006年04月27日 11時22分29秒 | 動物や昆虫など生き物の話
猫の話を続けようと思いましたが、猿の話。

大学時代、私は手品奇術研究会にいました。
ただし、今では全く出来ません。興味もありません。

余談ですが、そのころデビュー前のMR.マリックさんが五反田にマリックという手品ショップを開いてらして、
そこで数回にわたってコインマジックの個人レッスンをして戴いたことがあります。
ただし、繰り返しますが今では全く出来ません。やりたいとも思いません。
(MR.マリックさんは、とても善良で親切な方でした)

さて、その手品奇術研究会では、夏は野尻湖、春は西伊豆に合宿に行っていました。
ある年の春合宿で、野猿の生息地である波勝崎に行きました。

間近に猿がいる場所で、一匹の子猿が風に吹かれていました。
細くてフワフワした毛が揺れています。
私はそっと手を伸ばし、思わず触ろうとしました。
すると、少し離れたところにいた大きな猿が足元に飛んできて、私の足の腿のあたりを両手でドン、と叩きました。
顔が怒っています。

恐くなったので、「ごめんなさい」と言って慌てて建物の中に退散しました。
建物の中にいたシニア世代の係員さんに、
「子猿に触ろうとしたら、あの猿に叱られました」と言ったら、
「ああ、あれはボスだよ。あんた、猿に触っちゃダミだよぉ。彼氏じゃないんだからよぉ」
と、言われました。

猿苑では決して猿に触ってはいけません。
引っ掻かれて大怪我することもあるそうです。

しかし、さすがは群れのボス。
私に邪気のないことを察し、怪我をさせることなく教え諭してくれたのでした。
男だねぇ。惚れ惚れ。

25年くらい前の話でした。


猫の話 1 ~my猫史のはじまり~

2006年04月26日 17時43分49秒 | 動物や昆虫など生き物の話
今は犬を飼っていますが、結婚する前、実家では猫を飼っていました。

物心ついたときに家に居たのは、「猫」という名前の白猫。
こいつは生意気なやつでした。
私の3歳の七五三のお祝いに、屋内用のすべり台を買ってもらったのですが、
よく、その てっぺんに座っていました。
私が滑ろうと思って、階段を上がりかけると、私の頭をペチペチ叩いてきました。

私は泣きました。泣いて母親に訴えました。
母が怒ると、猫は逃げました。
その頃末っ子だった私は、完全にナメられていました。

その後、短い間 子持ちの三毛猫もいましたが、一番縁が深かったのは、
私が小学校5年生のときに友達の家の庭先で拾った子猫でした。
まだ乳飲み子のその子を連れ帰り、スポイトや ままごとの哺乳瓶でミルクを飲ませました。
母親は反対していましたが、飼うことになり名前を家族投票。
それぞれ勝手な名前を付けようとしましたが、
示し合わせたわけでもないのに、「ポケ」が2票入ってました。
その後、ポケは子供を何匹も産みながら14年間一緒に過ごすことになります。