【竹島問題】「米政府の立場変わらず」 国務省 

2008年07月29日 | news
【竹島問題】「米政府の立場変わらず」 国務省 
2008.7.29 08:35
 【ワシントン=有元隆志】米国務省のガリエゴス副報道官は28日、米政府機関の地名委員会(BGN)が竹島(韓国名・独島)の領有権を主権未確定と変更したことについて、「われわれは韓国と日本の主張に対し、見解を示したことはなかった。(BGNの記述変更は)米国の政策変更を意味するものではなく、政策の一貫性を確実にするための措置だ」と説明した。
 副報道官は今回の措置について、BGNの判断で決められたものであるとして、国務省と協議した結果ではないと強調。「(竹島の)問題は以前からの懸案であり、これまで両国は抑制的に対応してきた。今後もそう続けることを期待する」と述べた。
 BGNの決定によると、島の名称は「リアンクール岩礁」を基準とし、竹島や独島の名前も記載されている。

http://sankei.jp.msn.com/world/america/080729/amr0807290837003-n1.htm



「竹島は無主の島」で韓国大騒ぎ 米、韓国の主張を拒否
2008.7.28 18:11
 【ソウル=黒田勝弘】竹島(韓国名・独島)問題で反日・愛国ムードが高潮している韓国で、今度は米政府機関の「地名委員会(BGN)」が島に対する韓国の領有権主張を退けていることが判明し、大騒ぎになっている。BGNの公式資料によると、島の名称は中立的な「リアンクール岩礁」を基準とし、領有権については「主権未確定」としている。
 韓国のマスコミはこのことを連日、大々的に報じ、韓国政府の対応不足を激しく批判。同時に「この背景には日本政府の執拗な工作がある」と日本非難を展開している。韓国政府は緊急対策会議を開き、在米大使館を通じ経緯の把握に乗り出すとともに、米側に韓国の立場を伝達するよう指示。さらに各国での実情調査も進めるという。
 「リアンクール岩礁」は19世紀にこの島を“発見”したフランス捕鯨船の名称からきたもので、海外の文献にしばしば登場する。BGN資料には「竹島」や「独島」などいくつかの名称も“別名”として記載されているが、韓国マスコミは「独島」より前に「竹島」が紹介されていることにも不満が強い。
 BGNは、領有権が対立しているという客観的な事実にのっとり中立的な措置を取ったものとみられる。しかし韓国では政府、マスコミをはじめ官民挙げて「あの島はわが国固有のもので紛争の対象ではない」という建前と思い込みが強いため、今回のような国際社会の“中立的態度”にも極度に反発する結果となっている。

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080728/kor0807281812001-n1.htm






「エリツィン大統領は4島返還を約束していた」 英亡命の元クレムリン番記者(産経新聞) - Yahoo!ニュース

「エリツィン大統領は4島返還を約束していた」 英亡命の元クレムリン番記者
7月26日17時55分配信?産経新聞
 【ロンドン=木村正人】1997年から4年近くクレムリン番記者でプーチン政権を批判、その後、英国に亡命したロシア人女性ジャーナリスト、エレーナ・トレグボワさん(35)が産経新聞と会見し、97年11月にクラスノヤルスク郊外でボリス・エリツィン大統領が橋本龍太郎首相(いずれも故人)と会談した際、「あなたの求める島をすべて返そう」といったんは北方4島の全島返還を約束していたと証言した。

 当時、クレムリンの記者クラブに所属していたトレグボワさんがエリツィン大統領に同行していた側近から独自に取材した話によると、大統領は橋本首相との非公式会談で4島返還を約束。これに驚いたヤストルジェムスキー大統領報道官が同大統領の前でひざまずき、「大統領、止めてください。少し待ってください」と翻意を迫った。

 大統領は不服そうに「私はリュウ(同首相の愛称)に約束した。お前はそれを許さないのか。大いに不満だが、よし、分かった。向こうへ行け」と同報道官に対応を任せたという。

 この会談では結局「2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」との合意文書が作成され、「メガトン級の歴史的合意」と日本側の交渉団も驚いた。橋本首相はこのあとロシアのアジア太平洋経済協力会議(APEC)加盟を強力に後押しするなど、“ボリス・リュウ”の親密ぶりを強烈に印象付けた。

 エリツィン大統領時代はのびのび仕事をしていたトレグボワさんだが、プーチン大統領になって状況は一変。01年、政権批判記事でクレムリンの記者クラブを除名された。03年10月、ロシアで『番記者が見たクレムリン』を出版、この中でロシア連邦保安局(FSB)長官だったプーチン氏に誘われ、スシレストランで2人きりで会食したことなどを暴露した。

 翌11月には勤務先の日刊紙を解雇され、04年2月、自宅前で爆発が起き、「しゃべりすぎる奴は舌を切り落とされる」と脅されたこともあった。トレグボワさんは、かつての同僚でプーチン政権批判の急先鋒(せんぽう)だった著名ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤさんが06年10月に射殺された後、亡命を決意。今年4月に英国への亡命が認められた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080726-00000927-san-int







引揚者の悲劇語り継ごう 助産師平田さんと書表現作家阿羅さん 水子地蔵を供養 「二日市保養所」跡
2008年7月24日 02:30

当時の看護婦だった村石さん(右)から話を聞く阿羅さん(左)と平田さん(中央)
 第2次世界大戦末期、旧満州などに攻め込んだ旧ソ連兵に乱暴され、妊娠した引揚者が多くいた事実を語り継ごうと、助産師の平田喜代美さん(66)=福岡市中央区=と田川市出身の書表現作家、阿羅(あら)こんしん(本名・大友慶次)さん(68)=東京在住=が23日、博多港に着いた妊婦に中絶手術を施した「二日市保養所」(現済生会二日市病院、筑紫野市湯町)そばにある「水子地蔵」を訪れ、罪もなく亡くなった胎児に手を合わせた。

 二日市保養所は当時違法だった中絶手術の専門病院として1946年、京城大医学部(韓国)の医師グループが中心となり開設。47年秋ごろまでに500‐600人ほどが手術を受けたとされる。水子地蔵は82年、当時の勤務医らが安置。12年ほど前から毎年5月に関係者が供養している。

 障害者施設で長年働き、「障害者を産んだ私が悪い」と自分を責める親と多く接したという阿羅さん。先月、福岡市で開いた個展会場で平田さんと知り合い、堕胎した引揚者の話を交わしたことから、供養を計画した。

 この日は、当時看護婦だった村石正子さん(82)=筑紫野市=も出席。「乱暴されないよう男装した女性がトラックで運ばれるたび、涙があふれた」「泣き声を聞くと母性本能が目覚めるので、(堕胎後の)胎児が泣きだす前に首を絞めた」などと証言した。

 供養の後、平田さんは「極秘で実施していたこともあり、医療関係者も事情を知らない」。阿羅さんも「中絶の事実を通じて戦争の悲劇を語り継ぎたい」と語った。

=2008/07/24付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/36712?c=210






木祖村の元日本兵が中国での体験語る
7月26日(土)
戦争体験を話す奥原さん(右から2人目)ら
 旧満州(現中国東北部)で終戦を迎え、旧ソ連軍の捕虜になった後、1953(昭和28)年まで中国・八路軍(後の中国人民解放軍)の衛生兵として戦線を渡り歩いた木曽郡木祖村の男性が住民有志の求めに応じて初めて戦争体験を証言した。「いい機会に体験を伝えられた」と話している。
 男性は同村小木曽の奥原宗一さん(85)。戦争体験者の証言を集めている有志が村内で24日夜に開いた「戦争体験を記録する会」で、10人余を前に話した。
 奥原さんは終戦前年の1944年に召集されて満州に渡り、歩兵と衛生兵の訓練を受けてソ連国境近くの陸軍病院に配属された。終戦でソ連軍の捕虜となり、同じ捕虜となった傷病兵の面倒をみる日々を過ごした。「発心チフス、栄養失調、赤痢でバタバタと死んでいった」と奥原さん。
 ソ連軍は翌年に引き上げたが、今度はやってきた八路軍から「感染症が落ち着くまで協力を」と求められた。「2カ月くらいとの話だったが、野戦病院に組み込まれ、軍とともに各地を渡り歩いた」という。短歌が唯一の楽しみだったが、「思想教育が激しく、気持ちの余裕を失って書けなくなった。帰国後はあいつは共産主義者だと言われ、就職がなかなかできなかった」と話した。
 奥原さんは取材に対し、「八路軍とともに川を渡っていた時、上流から国民党軍の兵士の死体が次々と流れてきた。同じ国民同士が戦う内戦は本当に切ないと感じた。戦争はあってはならないこと」と力を込めた。
 会には、同じく中国で終戦を迎え、47年に帰国した同村薮原の湯川勲さん(86)も出席。当時の中国での写真などを見せた。
http://www.shinmai.co.jp/news/20080726/KT080725SJI090023000022.htm






「きぼう」商業利用:宇宙飛行士作業料、1時間500万円

「きぼう」実験室で作業する星出彰彦宇宙飛行士ら=NASA提供
 宇宙飛行士の作業料1時間当たり500万円、宇宙への荷物の送料1キロ300万円‐‐。宇宙航空研究開発機構(JAXA)は23日、国際宇宙ステーション(ISS)の日本実験棟「きぼう」を、企業の宣伝や研究開発などに商業利用する際の最低単価を明らかにした。これに基づいて、2回目となる来年度分の商業利用テーマの募集を週内にも始める。
 最低単価は同日の文部科学省宇宙開発委員会に報告された。JAXAによると、宇宙で実験などを行いたい場合、機材の打ち上げは1キロ300万円、成果を地球に持ち帰る場合は1キロ当たりさらに500万円が必要となる。既にISSの商業利用を始めているロシアの例を推計して算定したという。作業は5分単位、荷物は10グラム単位から依頼できる。これらの利用料はJAXAの収入となる。また、安全審査や他の参加国との調整などの実費が別途かかる。
 来年度分の利用は、荷物の打ち上げ総量が15キロ以内、持ち帰り総量が7キロ以内。宇宙飛行士の作業時間は最大17時間で、予定期間中にISSに滞在する野口聡一飛行士を指名することもできる。
 きぼうの有償利用は、科学実験以外の新たな宇宙利用の需要を掘り起こすため、今年度から始めた。菓子メーカーの宣伝や、植物の種を使ったベンチャー企業の教育事業など3件が選ばれた。これまでは「利用者側で価値を提示してほしい」として価格を示してこなかったが、「目安がほしい」という要望が多く、初めて最低単価を公表した。
 3件の利用料は非公表だが、いずれも最低単価を上回っているという。JAXAの山浦雄一・事業推進本部長は「提示したのはあくまで最低単価。宇宙利用に、より大きな価値を見いだし、高い価格を示してもらった利用者を優先して選定する」と話した。応募の締め切りは9月30日。
【西川拓】
http://mainichi.jp/select/today/news/20080724k0000m040102000c.html

宇宙開発委員会(第10回)議事録・配付資料-文部科学省
(2)議題2.『平成20年度「きぼう」有償利用のテーマの選定結果について』

【青江委員】
 5つも手を挙げてきてくれるとは思わなかった。大変結構なことではないか。関係者の方は傍聴席に来ておられるのか。もし可能なら、何に価値を感じられて、今回やってみようということになったのか。今後、有償利用をもっと活発にさせるに当たっては、まさに今回申請なさった方々に教えていただきたい。

【株式会社ロッテ】
 株式会社ロッテである。このたびJAXA(ジャクサ)さんの方に選定していただいて、本当にありがたく思っている。
 今回、「LOTTE XYLITOL MISSION」ということである。実はキシリトールというチューインガムであるが、虫歯を予防するというような新しい機能性を持ったチューインガムとして1997年から事業化している。我々はお菓子会社であるので、非常に大きな夢をお客様と共有したいということがあって、最初は、本当に夢みたいな話だが、これから宇宙ステーションでは長い間宇宙飛行士の方々が生活されるときにキシリトールガムが宇宙飛行士の方々の歯の健康に寄与できるのではないかというような大きな夢も持った。今、弊社はキシリトールをグローバルに、日本、韓国、インドネシア、タイというふうに広げているので、そのときに、世界の方々の歯の健康みたいなものを地球の外側から見られるような、そんなことができたらいいなと。お菓子の夢と今回の宇宙の大きな夢といったところで、是非JAXA(ジャクサ)さんと御一緒にやらせていただけないかということで、応募させていただいた次第である。

【青江委員】
 話は社長まで上がっておられるか。

【株式会社ロッテ】
 私どもから社長の重光に「これをやりたいのだが、お金を出してほしい」ということで申し上げたところ、「非常にいい。是非未来永劫、これからもっともっとお菓子の可能性が広がるように協力していけ」ということで了承をもらい、こういう運びになった。

【松尾委員長】
 この選考委員会の大きさはどれぐらいか。

【JAXA(ジャクサ)(山浦)】
 全員外部の方で、数名である。いろいろな分野の方にお入りいただいて、いろいろな視点で見ていただいたので、もしまた別な視点が必要とあれば増やさせていただこうと思うが、バランス的には非常によく、法律もあるし、教育とか、知財とか、いろいろな分野の方がいる。いろいろと利害関係が入るので、お名前は伏せさせていただくということで御了解をいただいている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/uchuu/gijiroku/h20/honiin/08042507.htm

”きぼう”での日韓共同実験と施設の無償利用をJAXAが検討・・・韓国側要請により







カーティス教授の危機感: ゆとり教育で日本の教育悪くなった
2008年07月22日11時29分
「ゆとり教育を導入したころから日本の教育は悪くなった」
???日本の政治の特異性を米国の政治学者の目から分析した著書などで知られる米コロンビア大学政治学教授で早稲田大学客員教授のジェラルド・カーティス博士は2008年7月15日、東京・内幸町の日本記者クラブ会議室で現在の日本の教育のあり方をこう分析した。「ゆとり教育で日本の義務教育の水準は低くなり、日本の大学は勉強してもしなくても評価は同じという深刻な問題を引き起こした」という。???カ-ティス博士といえば「代議士の誕生」「日本型政治の本質」「永田町政治の興亡」などの日本の政治分析で知られるが、日本の政治の停滞を見てか最近は辛口の日本評価が多くなっている。日本の近代史は、1868年の明治維新と近代国家の誕生期、1945年の敗戦と吉田体制の確立期、そして1995年のバブル経済の崩壊と自民党単独政権の行き詰まりに始まる現在は第3の変革期とも言えるが、「良いリーダーシップが現れれば素晴らしい変革期となるが、このままでは衰退期になりかねない」と手厳しい。「日本の大学教育はもっと自由に競争できるようになるのが良い。日本の政治家はそのへんをもっと考える必要がある」と教育改革の勧めを論じていた。
http://news.livedoor.com/article/detail/3739641/







デストロイヤー:老雄の後半戦は若者日米交流
長男カートさん(左)、妻ウォルマさん(右)と並ぶデストロイヤーさん=小倉孝保撮影

 かつて日本のプロレスファンを沸かせた覆面レスラー、ザ・デストロイヤー=本名・リチャード・ベイヤー=さん(78)。15年前に引退し、その後はどうしているのだろう。元チャンプは、米国の故郷で水泳を教えながら、青少年の日米交流に人生の後半戦をかけていた。【ニューヨーク州北部アクロンで小倉孝保】

 ニューヨーク市から飛行機で約1時間20分。ナイアガラの滝に近いバファロー空港につくと、腰をややかがめた白髪の老人がつえを右手に待っていた。「ザ・デストロイヤー」と書いたトレーナー。デストロイヤーさんは素顔だった。

 「9・11(米同時多発テロ)で、覆面のまま空港に入ることはできなくなった。へたすると逮捕だからね」。しかし、日本に行けば今でも白マスク。歯医者でも脱がない。「空港でもマスクOK。みんな『あっ、デストロイヤーさん』ってあいさつしてくれる」。今回の撮影もマスク姿で、が条件だった。

 空港から車で約30分。老マスクマンは今、人口3000人の小さな町アクロンに妻ウィルマさん(75)と暮らす。5月2日に左ひざを手術、つえが手放せない。「悪いけど、きょうは4の字固めは無理だよ」。つえにはニック・ボックウィンクルやリック・フレアーといった昔のレスラー仲間のサインがあった。

初来日は1963年。故力道山、故ジャイアント馬場、アントニオ猪木の3氏と戦った珍しい外国人レスラーだ。「リキは(自分が戦った中で)最もタフなレスラーだった。ババは最も賢いレスラー。そして、トニー(猪木)は最高のテクニックを持っていたね」

 15年前に日本で引退。今は公立アクロン中央学校(小学?高校)でレスリングや水泳を教えている。そのため、地元ではスポーツ指導者として有名だ。取材中、あちこちから、「コーチ、コーチ」と声がかかった。

 旧日本軍による真珠湾攻撃が11歳の時。「子どものころ、日本はひきょうな敵国だった」。しかし、日本人と出会ってそのイメージは変わった。「力道山と戦う悪役だったのに、日本人はみんな私に敬意を示してくれた。すぐに日本が好きになった」。全日本プロレスの日本陣営に参加していた6年間、2男1女を日本で育てた。本人は日本語を話さないが子どもたちはぺらぺらだ。

 デストロイヤーさんは今年11?12月に水泳部の高校生22人を日本に連れて行き、日本人スイマーと交流させる計画だ。必要な旅費、宿泊費計5万ドル(約530万円)を集めるため、高校生と一緒にホットドッグを売ったり、バーベキューパーティーを開いている。「アクロンの子どもたちは世界を知らない。自分たちと違う文化があることを子どもに教えたい」

 約20年前、自宅のある土地(34万4000平方メートル)周辺にサクラを植えた。「春にはきれいな花が咲きます」と話すウィルマさんの横でデストロイヤーさんは歌った。「♪サクラ?、サクラ?」。元レスラーによる青少年の日米交流もいずれ、大きな花をつけるはずだ。

毎日新聞 2008年7月19日 13時56分(最終更新 7月19日 15時36分)
http://mainichi.jp/select/today/news/20080719k0000e040075000c.html

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