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硫黄島からの手紙:高評判で年内に米国上映

2006年11月22日 | news
 米俳優で監督のクリント・イーストウッド(76)が16日、製作・監督した映画「硫黄島からの手紙」(12月9日公開)の記者会見を都内で行った。イーストウッドは米国での公開が12月20日に早まったことを発表。当初、07年2月の公開となっていたが、試写を見た複数の映画関係者が高く評価。ニューヨーク、ロサンゼルスなどでの先行公開が決定した。年内の公開が実現したことで、07年の米アカデミー賞のノミネート対象にもなり、米国版「父親たちの星条旗」とともに話題をさらいそう。渡辺謙(47)は「日本人俳優として、重い責務をまっとうすることができた」と笑顔。
スポーツニッポン 2006年11月17日
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/cinema/news/20061117spn00m200001000c.html



クリント・イーストウッド:このメンバーで次も撮りたい 「硫黄島…」来日記者会見

会見中、終始笑顔で能弁だったイーストウッド監督
 米俳優で監督のクリント・イーストウッドさん(76)が製作・監督を務めた映画「硫黄島からの手紙」(12月9日公開)の来日記者会見が16日、都内のホテルで開かれ、監督のほか主演の渡辺謙さん(47)や嵐の二宮和也さん(23)ら出演者が勢揃いした。監督は「初めて会う方ばかりだったが、それぞれの役に命を吹き込んでくれた。明日からでもこのメンバーで次の作品を撮りたい気持ち」と再会を喜んでいた。
 ハリウッド映画だが、役者は日本語で演技する。「英語圏以外の言葉で撮ることはチャレンジだったが、誠実ないい演技は言葉に関係なく、見ている人に魂が伝わる。私は本能で演出した」と話し「この作品が成功したならば、いいキャスティングができたことが大きい」と俳優陣をたたえた。

「日本の俳優として思い責務を背負わされたと思った」と話した渡辺さん
 監督について、渡辺さんは「いろいろなアイデアを受け止めてくれ、創造的で刺激的な毎日だった」。二宮さんや伊原剛志さん(43)が提案して採用されたアイデアについて具体的に説明すると、監督が「それも僕のアイデアにさせて頂きました」と笑顔で“突っ込む”場面もあった。
 前日、武道館であったワールドプレミアでは、エンドロールで観客席から自然と拍手が巻き起こったという。「日本でスクリーンに拍手するのを見たことがない。正直、鳥肌がたった」と伊原さん。加瀬亮さんは「アメリカ人と硫黄島の戦いの映画を共同で作った。見終わって意味のあることだったなとすぐ思いました」と語っていた。【佐々本浩材】
(cache) クリント・イーストウッド:このメンバーで次も撮りたい 「硫黄島…」来日記者会見-映画:MSN毎日インタラクティブ
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/cinema/news/20061116mog00m200004000c.html

クリント・イーストウッド:「硫黄島」武道館で世界プレミア
 米俳優で監督のクリント・イーストウッド(76)が製作・監督した映画「硫黄島からの手紙」(12月9日公開)の世界プレミアが15日、東京・千代田区の日本武道館で行われた。
 今年4月の製作報告会見に続き来日したイーストウッドは夫人を同伴。全長約50メートルのレッドカーペット上で、渡辺謙(47)、嵐の二宮和也(23)ら出演陣との再会を喜んだ。太平洋戦争の「硫黄島の戦い」を日米双方の視点で描く一大プロジェクトの日本版。渡辺は「この作品は日本映画。忘れ去られようとする日本の歴史を、アメリカ人のクリントが撮ってくれた」とあらためて敬意を示した。イーストウッドは「納得のいくプロジェクトになった。戦争に行った若者たちにささげたい」と話した。
スポーツニッポン 2006年11月16日
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/cinema/news/20061116spn00m200003000c.html


渡辺謙:出演できて誇りに思う 「硫黄島からの手紙」ワールドプレミア

レッドカーペットで取材に応じるイーストウッド監督
 映画「硫黄島からの手紙」のワールドプレミアが15日、東京・武道館で開かれ、クリント・イーストウッド監督(76)のほか、渡辺謙さん(47)や二宮和也さん(23)ら主な出演者が会場前に敷かれたレッドカーペットを歩き、あいにくの雨の中、集まった多くのファンの声援に熱心に応えた。
 第二次世界大戦の硫黄島での激戦を米国側の視点で描いた「父親たちの星条旗」(公開中)に続き、イーストウッド監督が日本側の視点で撮った「硫黄島」2部作の第2弾。61年前に硫黄島に侵攻してきた米軍と戦った日本兵と彼らの指揮官、栗林忠道中将(渡辺謙)の知られざる物語を描く。
 舞台あいさつで「この映画は日本映画です」と話し始めた渡辺さんは「日本人が忘れかけていたことを米国の監督が素晴らしい理解を示し撮ってくれた。先輩が受けた辛い思いを記録してくれた、この作品に参加でき誇りに思う」と胸を張った。バロン西役の伊原剛志さん(43)は「日本の俳優がハリウッドに乗り込んで、米国のスタッフと撮るという素晴らしいチャレンジをした映画」と作品を紹介。二宮さんは「(この映画の)事実を私たちが受け止めるのに61年かかりました。1人の人間としてこの事実を受け止めて下さい」と呼びかけていた。
 12月9日から丸の内ピカデリー1ほかで全国ロードショー公開の予定。【佐々本浩材】
公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/cinema/news/20061116mog00m200001000c.html



硫黄島元米兵士 メディアに続々 イラク戦行き詰まり影響

 【ロサンゼルス=松尾理也】第二次世界大戦末期の硫黄島での戦闘を描いた米映画「父親たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督)に触発され、米国の多くの新聞が、戦闘に参加した元米兵を探しだし、インタビューを掲載している。61年前の太平洋での戦闘のどこが、現代の米国人の心をとらえているのだろうか。

 「父親たちの星条旗」は、2000年に出版された同名のノンフィクション(邦題=硫黄島の星条旗)が原作。10月20日から全米で公開され、生々しい戦闘描写の一方、強い反戦メッセージも込められている。

 米国での公開第1週の映画興行収入は全米3位にとどまり、重いテーマが若者たちに敬遠されたとの見方も出たが、その後、全米各紙で、映画を観賞した元兵士のインタビューが続々と掲載され始めた。

 この現象について、かつて硫黄島での日米元兵士の再会をテーマにしたドキュメンタリー番組を制作したことがあるロサンゼルス在住の映画プロデューサー、ボブ・ニーマックさんは、「イラクでの戦いが行き詰まり、重苦しい空気が米社会に蔓延(まんえん)していることが影響しているのではないか」と話す。

 硫黄島の戦闘は、兵士しかいない戦場で正規軍同士が正面からぶつかり合う戦いだった。

 「その後のベトナム戦争や、現在のイラク戦争では状況は大きく変化してしまった。硫黄島の戦闘は、“英雄”が存在することができた最後の戦争だったかもしれない」

 おりしも、イラクでの米兵の死者が再び増加しつつあるというニュースが、人々の心を暗くしている。そんな中、米国人が今、硫黄島に興味を持ったとしても不思議ではない、とニーマックさんは指摘している。

                  ◇

 ■米紙で紹介された硫黄島戦の元米兵の言葉

 「私が映画を見たいと思ったのは、それがどれほど真実に近いか知りたかったからだ。戦闘の間、われわれは眠らなかった。照明弾がひっきりなしに闇を照らし、敵が走る姿まで見えた。戦いがいつまで続くのか、その状況を切り抜けられるのか、まったくわからなかった」=ピーター・ワイツさん(86)、オシュコシュ・ノースウェスタン紙

 「日本兵はクモの巣のように張り巡らされたトンネルから突然現れて、やりたい放題やって、また地下に潜った。摺鉢山に星条旗が翻ったときは、長いトンネルの向こうに勝利の光を見た思いだった」=イジー・バーラスさん(84)、ペタルマ・アーガス・クーリエ紙

 「どこにも安全な場所はなかった。上陸するとたちまち、日本兵が銃撃を始めた。それは、虐殺だったよ」=エルマー・グデリアンさん(82)、ファーガスフォールズ・ジャーナル紙

 「最悪の戦闘だった。われわれには日本兵は見えないのに、やつらにはわれわれが見えているんだ」=ジョン・ムーンさん(90)、デイリー・レビュー・アトラス紙

 「日本人はいい兵士だった。生き延びたのはほとんどいなかったが、戦争が終われば、われわれはそれほど時間がかからず、友人同士になった」=ビル・モージェンロスさん(83)、ブラウンズビル・ヘラルド紙

 「映画や写真は多くのことを伝えてくれる。しかし、本当のことを知ろうと思ったら、現場にいなければならない」=アドルフ・カラファットさん(82)、カラマズー・ガゼット紙

(松尾理也)
(11/04 16:21)
http://www.sankei.co.jp/news/061104/kok011.htm




■■■■■■■■■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■

米軍から見た硫黄島の戦い、深い鎮魂への思いが流れる
~映画「父親たちの星条旗」を見て~
丸山公紀
■転送歓迎■ No.1216 ■ H18.11.24 ■ 8,670 部 ■■■■■■■

 今、話題となっている映画「父親たちの星条旗」をやっと見
ることができた。どうしても見たかった理由は、監督があのク
リント・イーストウッド、製作がスティーブ・スピルバーグ、
脚本がポール・ハギスという豪華メンバーであることもさるこ
とながら、この映画の原作となった「FLAGS OF OUR FATHERS」
が、実際に硫黄島の戦いで星条旗を立てた父親の息子が、戦い
を語ることがなかった父親が戦争で何をしたのかを知りたいと
関係者を訪ねて歩いてまとめた息遣いを感じたいと思ったこと、
さらにこの映画が2部作となっており、もう1編の「硫黄島か
らの手紙」では、日本軍側からの「硫黄島」が描かれるという、
歴史を公平に見ようとするイーストウッドの姿勢に興味を持っ
たからである。

 2時間余りに亙る内容は、何といっても画面一杯に広がる硫
黄島の戦いの凄まじさであった。上陸作戦で島の砂浜に殺到す
る米兵の圧倒的な多さと、島を囲む駆逐艦と戦闘機の物量、米
兵が上陸し終わったと思った矢先、日本軍が地下壕に通じる数
え切れない穴からの銃撃の嵐、そして擂鉢山に掲げた星条旗は、
日本軍が戦略的に攻撃の中心を移したことによって行われたこ
と、爆発のたびに黒い砂が飛び散る散るたびに、米兵が次々と
倒れていくシーンなど、見る者をして画面から目を話さない。

 映画のストーリーは見てもらうしかないが、硫黄島の戦いに
米軍が上陸、わずか5日間で落とせると思っていたものが、日
本軍の激しい抵抗に会い、実に36日間という日数がかかった激
戦の中、戦いの最中に、ようやくにして擂鉢山に星条旗が打ち
たてられ、その写真が全世界に報道されて、米軍勝利の輝かし
い記念として後世に伝えられた、その勝利は1枚の写真によっ
てもたらされたとして、擂鉢山の頂上に星条旗を掲げる米兵6
人、空に聳え立つ旗の躍動のあの写真が暗示的に映し出され、
話が始まっていく。

 偶然に星条旗を打ちたてた6人の兵士のうち、3人はその後、
戦死、残りの3人は英雄としてアメリカに帰還したが、政府は
戦費調達キャンペーンに彼らを駆り出す。映画ではその3人が、
実際に山頂であった真実、脳裏から決して離れることのない戦
場での体験に苛まれながら英雄視された苦悩など、硫黄島と米
国も、当時と今と、時間空間的に矢継ぎ早に画面が変わること
によって、あの戦いとは一体何であったのかを、そのまま見る
者に問うている。

 原作者の息子が、戦いには必ずヒーローをつくろうとするが、
実は目の前にヒーローはいない、ヒーローは、皆、戦場に倒れ
ている、いう意味のことを言わせている。

 イーストウッドは、米海兵隊史上最も過酷とされた兵士の姿
をそのまま描くことで戦死した兵士への限りない鎮魂の思いを
何の感傷の余地を入れずに描いているのではないかと思う。ま
た、この戦いの意味を見る者一人一人に答えてほしいと要求し
ているように思える。

 久々に、スクリーンが及ぼす影響にしばし言葉を失ってしま
う感動と余韻を持っている映画であった。是非、一人でも多く
の人に見てもらいたい映画である。

http://blog.mag2.com/m/log/0000013290/107956222.html



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