新しい神の国

2007年11月05日 | Books
愛あればこそ、隣国とは仲良くできません~『新しい神の国』
古田博司著(評:麻野一哉)
ちくま新書、700円(税別)
2007年11月5日 月曜日

 書名を見て、「新しい神」の国の話なのか、それとも、新しい「神の国」の話なのか、どっちなのかが、まずは気になった。読み終えた今、おそらく後者だろうとは思いつつ、いまだハッキリしない。しかし、この本の主旨そのものは非常にシンプルで、それは、「日本は中国や朝鮮とはまったく違う国だ。もちろん欧米とも違う」ということに尽きる。

 かつて福沢諭吉が「脱亜入欧」を唱えたが、そもそも日本はアジアといっても、中国や朝鮮とはまったく別のアジア(著者は、「別亜(Another Asia)」という表現をしている)であり、改めて脱する必要もなかったのだと。

 そして、今現在の日本は、すでに福沢諭吉が「入欧」という言葉にこめたであろう、近代化や科学文明化はすでに成し得ており、これ以上、「全体の利益という仮面の下に自己中心的な国益を隠す技術の達人」であるアングロ・サクソンの真似をする必要はない。そもそも一神教の人々とは、肌合いが違うという。

〈われわれは媚びることなく、和の世界で内側をがっしりと固め、外にそれを理解してもらうことなぞ求めず、中華文明圏やアングロ・サクソン文明圏の人々を永遠の他者としつつ、彼らの行動規範、思考様式を一つずつの構造として把握し、その構造に則って彼らと外交や交流のできる一群の専門家を分業体制として内蔵すればこと足りることである〉

 つまり、日本は日本のままでいい。国際化時代なので、外国とのつきあいはやむを得ないが、みんながみんな外国人と腹を割って仲良くしていくと考えるのは、実現不可能な夢物語だと、主張している。

「茶」化は我々の大事な能力です

 著者の専門は東アジア文化である。歴史や文物に詳しい専門家が、自身の6年におよぶ韓国生活や体験を踏まえて、具体的に彼我の違いを明らかにしていく。

 理詰めの本ではない。自由闊達な筆は、どちらかというとエッセーを思わせる。中世朝鮮の墓暴き乱闘事件を通じて、中国や朝鮮にあって日本にない「宗族」という概念をわかりやすく説いてくれるし、興味深いエピソードも満載で退屈しない。

 たとえば、韓国人は表向きは儒教の先達として中国を尊敬していることになっている。しかし、ホンネはどうか? こんな韓国の小話(現代のもの)が紹介されている。

 韓国人と日本人と中国人が豚小屋に入った。1分もたたず、日本人が飛び出してくる。「臭くてかなわん」。続いて数分後に韓国人も飛び出してくる。相当まいったようだ。しかし、中国人はなかなか出てこない。30分過ぎて、なんとブタが飛び出して来てこういう。「あんな不潔なやつとは、一緒におれない」。

 こんな話もある。韓国のメディアでは、天皇という呼称を嫌がり、「日王」と呼ぶ。天皇は、国王や王より格上だから許せないのだ。しかし、宮中晩餐会などで、天皇に会えた韓国人は実に喜ぶらしい。ナショナルな韓国民としてはけしからん存在なのだが、一族の名誉としては、死ぬまで親戚に自慢できるほどのものらしい。

 このへんは、まあ、我々日本人が、たとえばダイアナ妃などに会えたら、それを自慢するようなものなのかもしれない。ただし、国民としては否定すべしという風に引き裂かれているのだろう。

 また、天皇はずっと途切れなくその地位を守っているが、中国では革命が起きて、天子の系譜がとぎれとぎれになっている。そんな天皇を、千年前の宋の時代の中国皇帝が、うらやましがった記録があるという話もある。

 著者は茶化すことを「ティーゼーション」と呼び、日本人の持つ大切な特質とする。江戸の戯作者たちは、立派なティーゼーターであったが、明治の開国以降、それが隠れてしまい、やっと1980年代になって、糸井重里をはじめとするサブ・カルチャーの分野で復活した。ネット右翼といわれがちな2ちゃんねらーも、右翼というよりは、ウソばかりいっている左翼を茶化すことに長けたティーゼーターたちで、むしろ、左翼がダメすぎると叱咤する。

 そういう著者の文章自体、あちこちに茶化しがはいる。まぜっかえしや皮肉も多く、前提となる知識がないと読みづらい箇所など、「教養があればついてこれるだろう」という著者の意地の悪いニヤニヤ笑いを感じることも少なくない。小林秀雄などの権威や藤原正彦のようなベストセラー作家を茶化すのは、読んでて痛快だが、これらをおもしろいととるか、毛嫌いするかは、人によるだろう。ある程度、読む人を選んでしまう文章ではある。

 著者はこう書いている。

〈1920年代、30年代に活躍した日本の私小説(中略)に登場する人物たちは、だいたい、

一、人に嫌われることを大変に恐れる
二、自分の中の悪から目をそらす
三、優位を羞じて、自分を劣位に置く
四、周りはみな善い人で話し合えばわかると信じている

という心性を共有しているのが特徴である〉

 別に1920年代でなくとも、たいていの人間はまあそんなもんじゃないかと思うが、著者は、これは日本人だけの特殊な感覚であり、英米や中国朝鮮では通用しないと強く主張する。そして、これが冒頭の「外国とのつきあいはほどほどに」になっていく。正直いって、読んでいて寒々とした気持ちになってくる……のは、評者が典型的な日本人だからかもしれない。

日本人が最も得意なことを、あえてせずにおけ

 本書のもっとも皮肉なところは、「和をもって貴しとなす」とする、この日本をこよなく愛する著者が、日本人に警告を発しようとすればするほど、「話し合ってもわかりあえない。和を貴んでもムダだ」という意味のことをいわざるを得ないところにある。

 いや、日本だけではない。東アジア専門家の著者は、もちろん朝鮮も愛している。あとがきにこうある。

〈(略)東アジア連帯の不毛性を説いておかねばならなかった。これは東アジアの専門家であり、とりわけ朝鮮の土地と人々を愛し続けた筆者の使命であると考える。一体ほかの誰に、このような悪役を演じられるというのだろうか〉

 そもそも愛もないのに、研究者にはならないだろう。愛した相手とわかりあえないことに気づいて、現実は甘くないよといっているわけだ。

 この著者だけが、たまたま朝鮮でイヤな目にあった不運な人間なら気が楽なのだが、そんなこともあるまい。戦前、戦中の悲惨な歴史を再現しないためにも、「話し合ってもわからない」人たちと性根をいれて共存することを考えないといけないのだろう。ああ、面倒くさい。

(文/麻野一哉、企画・編集/須藤輝&連結社)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071031/139208/







【書評】『売国奴』黄文雄、呉善花、石平著
2007.11.24 08:21
売国奴
 ■「直言の士」3人が熱く語る
 呉善花氏によると、韓国で「売国奴」とは、「売春婦」と同じくらいの屈辱感を与える言葉だという。売国奴と呼ばれた人間は、社会的に交際を絶つべき対象として遠ざけられてしまう。
 黄文雄氏は台湾南部、呉氏は韓国南端の済州島、石平氏は中国は蜀の国、四川の生まれである。いずれも中国人、韓国人から「売国奴」とののしられ、迫害を受けてきた。それなのに、中韓の尊大さを糾(ただ)すことをやめない。
 そんな「直言の士」たちが、「国家」とは何か。「歴史」とは何か。「文化」「日本」「反日」とは何か、熱く激しく語ったのが本書である。
 とりわけ興味深いのが、日本についての発言である。
 黄氏いわく「今の日本がなければ、今のアジアはあり得ない。日本は明治維新をなしとげ、日清・日露戦争を戦いぬき、アジアではじめて欧米と肩を並べる近代国家になった。戦後もアジア諸国の手本となる高度経済成長をなしとげた。そういう日本の歴史がなければ、繁栄する今のアジアはなかった」。
 確かにそうだろう。石氏も、「今でも私は漢詩をつくるが、漢詩がその理想郷として描く自然と文化が融合した美景は、今の中国ではなく、実は日本にある」という。日本人として素直にうれしい。
 『儒教とは何か』などの好著で知られる評論家、加地伸行氏も刊行早々、「面白い。近来にない出色の鼎談(ていだん)」と、読者カードで褒めてくださった。
 『売国奴』という衝撃的なタイトルにとまどう読者も多かろうが、自信をもってお薦めします。(ビジネス社・1575円)
 ビジネス社書籍編集部 大戸毅
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/071124/bks0711240821002-n1.htm




「中韓の発展、日本に感謝を」 米誌タイム・アジア特集

 【シンガポール=藤本欣也】米誌タイムは最新号で、「現代アジア」について特集、シンガポールの元外交官、キショール・マフバニ氏の論文「アジアの再生」を掲載した。同氏はアジアの世紀と呼ばれる今の発展をもたらしたのは自らの文化に対する自信であり、中国や韓国などアジア諸国はそれを提供した日本に感謝の意を表すべきだとの見解を明らかにしている。

 マフバニ氏はシンガポール国立大学のリー・クアンユー公共政策大学院学長。インド系で、国連や米国で長く外交官を務めた。

 同氏はまず、「文化に対する自信は発展の必要条件である」と指摘。英国の植民地だったインドをはじめアジア諸国では欧州の文化の優越性が民衆の心の底に刷り込まれていたとし、「日露戦争でロシアが日本に敗れて初めてインドの独立という考えが生まれた」とのインドのネール初代首相の言葉を引き、「二十世紀初頭の日本の成功がなければアジアの発展はさらに遅れていただろう。日本がアジアの勃興(ぼっこう)を呼び起こした」と論じた。

 韓国の場合も、日本というモデルがなければこれほど早く発展できなかったと指摘。中国も、日本の影響で発展できた香港、台湾、シンガポールという存在がなければ、改革開放路線に踏み出さなかったとし、「日本がアジア・太平洋に投げ入れた小石の波紋は中国にも恩恵をもたらした」「(日本を歴史問題で批判する)中国でさえも日本に感謝すべきだ」などという見解を示した。

http://www.sankei.co.jp/news/morning/18pol003.htm
http://www.sankei.co.jp/news/050818/kok028.htm

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