聖観音菩薩様と勢至菩薩様がなぜ、菩薩になったのか・・・?
このお2人は、実はご兄弟なのです。
経典 「観世音菩薩往生浄土本縁経」には
こんな話が伝えらています。
昔、インドに長邦(ちょうな)という僧がいました。
長邦には早離(そうり)、速離(そくり)という
二人の子があって、
母が早くなくなったので継母を迎えました。
しかし、飢饉の時代だったので継母は二人の子を
父が留守の間に南海の孤島に置き去りにしました。
二人の子は、生母の遺言「菩提心をおこしなさい」を
想い出し、死後生まれ変わって苦しむ人々を救おうと
百の誓願をたてて絶命しました。
父の長邦は帰宅後、
二人の子を探して孤島に来ましたが、
既に白骨の身になっていました。
兄の早離は今の観音菩薩、
弟の速離は勢至菩薩、
長邦は釈迦仏であったということです。
HP「仏教の勉強室」より、上記青字は引用
私は・・・。
この話を読んで泣きました。
小さな子供でさえも母の教えを守り、
誰も恨まず、苦悩に負けず死ぬまで生きたのです。
だからこそ、おふたりは菩薩となり、
観音様は慈悲の心により、
救いを求めている人があったら
すぐにそこへ行って救いの手をさしのべてくれるのでしょう。
勢至菩薩様は、仏の智慧の光を我々にさしむけて
下さるのでしょう。
先日、仙台市若林区の裁松院の千体観音様を
拝観してきたのですが、
その時、いっしょに行ってくれた友人じゃい隊長(HN)が
とてもいいコメントをよせてくれたので
転載したいと思います。
~観音様に出会って~
私が独り、栽松院を初めて尋ねたときも雪でした。
うめももさんのお母様の、手術の2日前。
残念ながらこの日は、観音様を拝見できず
寺に聳える樫の一枝を頂戴して去りました。
無礼にも、宅配便で送った樫の枝を、お母様が
手術直前まで、お守りのように握っていてくださったとか。
送ってもらった裁松院の、伊達政宗公ご遺愛の樹齢千年の樫の木の枝。
かんのんさまは
どうしてこんなにしずかなの
かなしみに
たえた人だから
どうしてこんなに
やさしいの
ひとの世の
くるしみに
一番泣いた方
だから
〈相田みつをの詩より〉
人々の声(音)を観じると、
ただちに救済の手を差し伸べてくださる観音様。
観音様は、樫の枝を通して、
お母様の苦しみを柔らげて下さったのかもしれないね。
みずのたたへのふかければ
おもてにさわぐなみもなし
ひとのなげきのふかければ
いよよおもてぞしずかなる
〈高橋元吉詩集より〉
”みずのたたへのふかければ”達筆なじゃい隊長直筆
⇒少し大きくご覧下さい。
母の足の手術の日の月・・・。病室から、撮影しました。
人の世の、さまざまな苦しみ悲しみを体験し、耐えながら
穏やかな微笑みを湛える観音様。
ご住職の奥様にも、うめももさんのお母様にも
よく似ているようです。
水の湛えの深ければ・・・
深い慈愛に触れた数日間でした。
じゃいより
母の手術から夜が明けた、その朝日です。
誰もが闇夜を越えていく・・・。そして、希望の朝が来る・・・。
(関連サイト)
観世音菩薩・大勢至菩薩は具体的には誰なのですか?
『観世音菩薩往生浄土本縁経』文化財寛喜の板碑
(”歓喜のいた日”と読んだ私・・・。)⇒おバカ
内生の詩人 高橋元吉の世界
このお2人は、実はご兄弟なのです。
経典 「観世音菩薩往生浄土本縁経」には
こんな話が伝えらています。
昔、インドに長邦(ちょうな)という僧がいました。
長邦には早離(そうり)、速離(そくり)という
二人の子があって、
母が早くなくなったので継母を迎えました。
しかし、飢饉の時代だったので継母は二人の子を
父が留守の間に南海の孤島に置き去りにしました。
二人の子は、生母の遺言「菩提心をおこしなさい」を
想い出し、死後生まれ変わって苦しむ人々を救おうと
百の誓願をたてて絶命しました。
父の長邦は帰宅後、
二人の子を探して孤島に来ましたが、
既に白骨の身になっていました。
兄の早離は今の観音菩薩、
弟の速離は勢至菩薩、
長邦は釈迦仏であったということです。
HP「仏教の勉強室」より、上記青字は引用
私は・・・。
この話を読んで泣きました。
小さな子供でさえも母の教えを守り、
誰も恨まず、苦悩に負けず死ぬまで生きたのです。
だからこそ、おふたりは菩薩となり、
観音様は慈悲の心により、
救いを求めている人があったら
すぐにそこへ行って救いの手をさしのべてくれるのでしょう。
勢至菩薩様は、仏の智慧の光を我々にさしむけて
下さるのでしょう。
先日、仙台市若林区の裁松院の千体観音様を
拝観してきたのですが、
その時、いっしょに行ってくれた友人じゃい隊長(HN)が
とてもいいコメントをよせてくれたので
転載したいと思います。
~観音様に出会って~
私が独り、栽松院を初めて尋ねたときも雪でした。
うめももさんのお母様の、手術の2日前。
残念ながらこの日は、観音様を拝見できず
寺に聳える樫の一枝を頂戴して去りました。
無礼にも、宅配便で送った樫の枝を、お母様が
手術直前まで、お守りのように握っていてくださったとか。
送ってもらった裁松院の、伊達政宗公ご遺愛の樹齢千年の樫の木の枝。
かんのんさまは
どうしてこんなにしずかなの
かなしみに
たえた人だから
どうしてこんなに
やさしいの
ひとの世の
くるしみに
一番泣いた方
だから
〈相田みつをの詩より〉
人々の声(音)を観じると、
ただちに救済の手を差し伸べてくださる観音様。
観音様は、樫の枝を通して、
お母様の苦しみを柔らげて下さったのかもしれないね。
みずのたたへのふかければ
おもてにさわぐなみもなし
ひとのなげきのふかければ
いよよおもてぞしずかなる
〈高橋元吉詩集より〉
”みずのたたへのふかければ”達筆なじゃい隊長直筆
⇒少し大きくご覧下さい。
母の足の手術の日の月・・・。病室から、撮影しました。
人の世の、さまざまな苦しみ悲しみを体験し、耐えながら
穏やかな微笑みを湛える観音様。
ご住職の奥様にも、うめももさんのお母様にも
よく似ているようです。
水の湛えの深ければ・・・
深い慈愛に触れた数日間でした。
じゃいより
母の手術から夜が明けた、その朝日です。
誰もが闇夜を越えていく・・・。そして、希望の朝が来る・・・。
(関連サイト)
観世音菩薩・大勢至菩薩は具体的には誰なのですか?
『観世音菩薩往生浄土本縁経』文化財寛喜の板碑
(”歓喜のいた日”と読んだ私・・・。)⇒おバカ
内生の詩人 高橋元吉の世界
それにしても、チョー達筆。
文字にも知性と教養が溢れていらっしゃる。
上の兄弟の話。これ、究極の愛やねぇ~。愛って言っても次元高すぎ。アガペーだ。
そんな週末の朝にピッタリの心があたたかくなるお話でした。うめももさんの感性豊かな記事に心から拍手を送ります。
otacoさん同様、隊長の知性と教養の高さ、それにあまりにも達筆な文字に改めて尊敬のまなざしです。ホント、うめもも&じゃいは最強コンビだわん
昨日の母子手帳のお話、興味深く拝読いたしました。不思議なことがあるものですね。。。!
そして昨日から今日の、観音様のお話も…二菩薩の話は初めてでした。一番上の関連サイトも拝見させていただいて、たいへん勉強になり、相田みつをさんの詩の理解も深まりました。
ありがとうございました。(勉強することがあまりに多くアップアップしておりますが)
お母様の手術も無事済まれたとのことで何よりでした。
うめももさんもどうぞご自愛ください。
(全く関係ありませんが、「赤毛のアン」は私の愛読書です)
お願い致します。
ちょっとだけシンクロです。
きのう、あることから「底の浅い考えをしないようにしよう、水のように人の思いを包みこめるように受け止められたら・・・」と反省することがあったのです。
いつもいいお話を聞かせていただき、ありがとうございます。
慈悲慈愛のこころは持たねば・・・。
ついついカリカリしてしまう事が多くって、
自分の小ささにガッカリしているところでした。
うめももさん、とてもステキなお話、ありがとう。
なんか、心が浄化されます。
それにしても、じゃい様は達筆でらっしゃる!
キレイな字が好きな私。
ひとりでも書道展に出かけて行き、
何時間でも見てます・・・(ちょっと怪しい)
目がハートマークになりました。
やさしくなれるものです…。
そう、教えていただきました。
美しい字、ですね。
人を恨まず、嫉まず、慈悲の心を持って人のためにという気持ちが自分の心の平穏にもつながるのでしょうね。
うめももさんの記事も、じゃい隊長のコメントも、心の底に染みとおるようなすがすがしさを感じました。
素敵なお話ありがとうございました。
観音経に出てくる言葉です。
観音様は、神力を自在に使って娑婆世界で人々を救います。
人の悲しみを受け入れ、生きる苦しみと困難から救い、真実へ導く行いが「遊び」である観音様。
うめももさんのお母様に栽松院のカードを届けてくださった方が誰なのか、わかりませんでしたね。
でも、その方は今でも、観音様のように、そっとお母様とうめももさんの幸せを見守っているのかもしれませんね。
私もしばらくの間お別れです。
どこにいても、うめももさんの幸せを祈っています。
名もない星のように。
すばるさん。
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」
(松尾芭蕉『奥の細道』より)
人もまた、時間を旅する旅人。
「昴」は星団。
もとは「統ばる(すばる:集まるの意)」と呼ばれていました。
一人旅もいいですが、ときどきは遊びに来て下さいね。
かなしみと
うれひをひめて 遊ぶ人
(相田みつをの詩より)
また一緒に遊びましょう。