泰屋倶楽部~タイ・ラムパーン編

😻タイ北部の古都ラムパーンから生活、教育、仏教、芸術文化、社会活動等お届け🐘💛

満月の日、日本語授業🗾の授業が始まる

2022年11月08日 | チットアリー福祉教育校

11月8日(火)

初めての授業はM4=高校一年生。タイではP1からP6が小学生。M1~M6までが中高生にあたる。2022年後期、高1から高3まで日本語を教えることになった。今後の滞在を考えれば、学生の潜在能力を引き出すのに時間に最も余裕がある学年だ。8時半から10時10分まで、中間の休み時間なしと聞いてビックリ。ま、8時半には始まらない。最初に、出席番号、名前、顔が合うように確認する。20人強、最初だからか、私語をする学生は一人もなく、かなり楽しかった。一般的に、ここの学生は学力が低いといわれているが、家庭や素行に問題がある子供達の潜在能力は、実ははかりにくい。もしかしたら、とんでもない子が飛び出すかもしれないと期待してよさそうだ。

母音子音、「あいうえお」から始める。自分がタイ語を学ぶ際に思ったが、一度ついた悪い発音は修正しにくい。最初にきちんと発音できれば、一生モノの宝になる。青年海外協力隊時代、私はタイ中部のキワキワで活動できた。正直、嬉しかった。日本語教師として活動する際、私のような関西人、そして地方出身者は苦戦する。日本語の発音を調べてから授業に臨むことも多い。標準語、東京弁、アナウンサーの発音は微妙に違うそうだが、聞き分けられない。そもそも東京に住んでないので、テレビのアナウンサーが話し方から学ぶことしかできない。

ともかく、最初に習う先生の発音は責任重大である。私の教え子は某日系の会社で筆頭通訳として活躍しているのだが、「が=ga」ではなく、鼻濁音の「が=nga」と発音出来たらもっときれいだったのに。。。と言っている。「ホント、ごめんね~」と謝っても、一度ついた発音は、音が微妙であればあるほど、一生ついて回る。

日本人であってもできない発音も実は多い。口の構造、歯並び、声の出し方等、人によって結構違うものだ。特別な訓練を受けらなければ、人はオペラ歌手のように歌えないのと同じだ。しかも歌と同じで、天性の才能もある。私は比較的発音の良いほうだが、母語は関西弁である。実は関西弁でも、京都、大阪、神戸の違いがある。大阪の中でも北部と南部は違う。兵庫でも神戸と姫路は違う。生まれた土地での発音や言葉を、私達日本人も100%修正できない。しかし、常に発音を意識して、分かりやすい日本語を伝えることはできる。

6種類の挨拶・・・学生たちは「時計の歌」を知っていて、「こんにちは」「さようなら」は一緒に楽しく歌った。

数字を10まで。そして20台と組み合わせる。4年生は27人だからだ。数字を使い、ランダムにあてながら「私は○○です」、「○○ですか?」「はい、○○です」を練習。単語は「先生」「学生」「自分の名前」を使う。

私の机は冷房のきくイングリッシュルームの筆頭にある。そこで英語の授業を見ていると、学生の私語がとても多い。日本語ではまず、先生と学生の対話形式でたくさん日本語を話させる。私語の時間を作らない。学生同士のワークをさせない。学生同士の会話練習等はまだ先のようだ。

飽きてきたら、「顔パーツ」ゲーム。「頭、眉、目、耳、鼻、口、歯」を指しながら覚える。ペアワークをさせてみたが難しそうなので、先生VS学生のほうがよさそうだと即、理解した。

※日曜日、サンデーマーケットの近くで食べたクイッティオ。このつみれとスープを見よ!とても美味しかった。

青年海外協力隊員の時は、カウンターパートがいて日本語が話せたが、最初の数か月で疲れ果てて高熱を出した。2022年の今、ここでは全く日本語が話せない。でももう、タイ語だけでも苦しくないのだ。

人も言葉も共に過ごす時間の長さが大事。言葉は使えば使うほど、知れば知るほど苦しくなくなる。人間の場合はそうもいかないのかもしれない。。。一緒にいればいるほど好きになり、共にいればいるほど楽になる。そんな人間に成長することを目指したい。

※美しい夕景をもう一度。悲しい時と嬉しい時、同じ景色も違って見える。今日は一昨日の夕映えが、鏡のように美しく感じる。。。


チットアリー福祉教育校について(2)~今日もまた授業ありませ~ん💦

2022年11月07日 | チットアリー福祉教育校

11月7日(月)

昨日のパンフレットの続き。

≪教育目標≫善い人間になること

  • 純粋な人間になる
  • 礼儀正しい人になる
  • 希望を持つ人になる
  • 規律正しい人になる
  • 専門の職業を身につける人になる

≪教育活動≫・・・色々ごちゃまぜで、私には理解不能。

  • 就職に向けセルフアクセス学習を重視し、多様な生涯教育につなげる。

・・・(理解不明)

  • 兄弟姉妹のように相互学習支援できるシステムを提案する。
  • カフェを運営する(研修生)。
  • 持続可能な開発プロジェクトを提案する。
  • 山岳民族学生の刺繡商品を販売する。
  • ゴミの「リサイクル・リユース・リデュース」プロジェクト
  • プロ・アマチュアのタイボクサー養成
  • 自助努力・・・野菜栽培、養鶏、養魚、理髪店、美容院(研修生が運営)、クリーニング屋、お菓子やパンの販売等。
  • 校内ホテル等のハウスキーピング(週末研修)
  • 校内のガーデニング(週末研修)

≪学校理念≫

清潔感・エチケット・しつけ・感謝の気持ち・職業

・・・知識と美徳を持った生徒に育成する

≪学校のカラー≫

・ピンク(愛情)

・黒(堅実)

≪学校運営≫

・学校長1名(総括)

・副校長4名(事務管理・教務・給食関係全般・生徒指導)

今日、教育省から(たぶん)大臣か偉いさんが来るということで、昨日ぐらいから大騒ぎ。朝5時から全員一丸となって掃除している。16時の来訪が14時になった。教員の皆さんは公務員の制服、学生はもちろん学生服、女子学生は白いリボンも制服の一部のようだ。

※サボってるのか、休んでいるのか。なんにせよ長時間掃除している。。。

※箒やモップで掃除しているのは女子が多いが、男子は力仕事全般を任される。

本日、1~2校時、高校2年生の授業が飛んだ。私は高1から高3までの生徒に日本語を教えることになったのだが、こんなに授業が抜けたら、3月に卒業する高校3年生が学ぶ回数はとても少ないだろう。これが福祉教育校のやり方、郷に入れば郷に従え・・・仕方ないなぁ。少しずつ存在感を出していくしかない。だってまだ教えてないのだから・・・。毎日たくさんの生徒が興味を持って話しかけてくる。「こんにちは!」だけでは進まないこの膠着状態を、焦ることなく待たなければならない。歳を取ると気が短くなるもんだ。これまた人生の修行である。

※ワン川に浮かんだロイクラトーンのデコレーション。明日は満月のはずだ・・・。


チットアリー福祉教育校について(1)~そもそも論

2022年11月06日 | チットアリー福祉教育校

11月6日(日)

ここに来て、そもそも論を忘れていたことに気がついた。自分と周辺の人は、チットアリー福祉教育校に来る経緯をよく知っているが、ブログを見てくださる皆様には、まず「タイの福祉教育校」とは何か説明するべきだったよね。

※全景のジオラマ。私の宿舎もある。

私の前に日本語の先生がいたので、翻訳日本語で受け継がれた三つ折りのパンフレットがある。今年度のパンフレットからチットアリー福祉教育校を紹介したい。写真を読んでいただければわかるのだが、見づらいところもあるので、加除しながら書き出してみよう。

≪表紙≫

福祉教育校はタイ独自のユニークな教育スタイルで運営されている。前王ラーマ9世ラーの母上(同ラーマ8世)、スリナカリンタラ王妃の後援を得た王室プロジェクトである。福祉教育校はタイ各県に一校、存在していると聞いている(定かではない)。

≪前書き≫

チットアリー福祉教育校は元々私立学校だった。伝染病の流行により隔離された子供達がここの寮に住むようになったのが発祥のようだ。

1981年、公立学校に移行。

1982年には中学1年生から3年生までが学ぶ。

1984年、ろうあ者と健常者が共に学ぶユニークなシステムができる。その後、ろうあ教育に特に力を入れて取り組む。

1998年、幼稚園、小学校、中学校、高等学校が整備され、同時にろうあ者が学ぶシステムが整備された。

私達「日本タイクラブ」は30年に渡り、チットアリー福祉教育校と交流を続けている。1992年から10年間の寄付金活動、その後も途切れずに続く文化教育活動。コロナ禍の3年間は叶わなかった活動を来年は再開したい。

≪福祉教育校に入ることができる子供≫

  • 放浪する子供
  • 少数民族の子供
  • 親などから虐待を受けた子供
  • 家庭が貧しい子供
  • 親などの保護者がいない子供
  • 親などから強制労働を強いられてきた子供
  • 少年院から出てきた子供
  • 親などがエイズに罹っている子供
  • 母親が売春婦の子供
  • 麻薬や薬中毒になった子供

今年度の教職員・児童生徒数

教員:65人

従業員:17人

寄宿生:780人

健常な通学生:37人

障害のある児童生徒48人

・・・続く・・・

※モン族の教育実習生Timeくんが昨日5日に調達してきてくれた物干し。やっとまともに洗濯物が干せた。Timeくんは顔出しOKだそうなので、登場を乞うご期待。

※校長先生宅の犬。毛並みが美しい・・・仲良くなったが💦・・・お話は後ほど!

※8日はロイクラトーン。チェンマイへ行く予定。満月までもう少し。


タイの弁当箱

2022年11月04日 | チットアリー福祉教育校

2022年11月4日

敬愛する川嶋龍彦先生が鬼籍に入られてはや一年。川嶋先生には日本タイクラブの公開フォーラムに毎年のようにご登壇いただいた。先生は晩年、タイ北部の「山の民」を援助する活動を、長年にわたり続けてこられた。もしコロナ禍がなければ、私も2020年夏の活動に参加する予定であったが、結局タイ北部での活動にご一緒できる機会は来なかった。この学校の大多数は山岳民族出身者だと昨日初めて知った。永遠に失われたチャンスをこの場所で叶える。川嶋先生のご遺志を少しずつでも継いでいきたい。

なかなかもらえなかった時間割を1日の夜に手に入れたのだが、まだ日本語の授業登録ができていないという理由で、日本語の授業は来週7日からになった。やはり、タイ式である。昨日に間に合うように、必死でテキストを準備したが、やはり・・・こんなことは日常。マイペンライ(どうってことない)精神でやります!

で、またご飯の話。4日の朝食はこれ。スープにはレバーが入っているが、私はパス。とても辛いので半分しか食べられない。白菜炒めは白ご飯とマッチして、なかなかよろしい。コロナの影響で、フォーク、スプーン、カップは持参することになったようだ。「明日からは必ず持参します!」と食堂の責任者に約束したので、昨夜、市場に買った箸箱(フォーク・スプーン箱)とカップをようやく持参。いい歳してバイクのタンデムで買い物。箸箱、物干し、そしてお目当ての弁当箱を手に入れた。3日の夕方は、規定通り4時にご飯を食べに行った。早い、次の朝7時までは長いけど、空腹時間が長いのもまた健康によし!でもお弁当にすれば、後から食べられる。生活の知恵が必要である。

学生達の夕食は5時からのようだ、先生食堂で4時の夕食後に配膳の様子を見ることができた。

(※ジャージがモン族の教育実習生。昨夜タンデムで弁当箱を買いにつれて行ってくれたお兄さん)

男子手前、女子奥で食べる。食べた後は自分で洗う。以前この水槽を見たときに、洗濯用だと思っていたのだが、一斉に食器を洗う水槽と知って驚いたり、納得したり。

好き嫌いもあるのか、食堂の横で別の食べ物も売っている。

何十年も年に一回ここに来ているのに知らないことが多い。そのうち慣れるが、異文化での生活、最初は頭と気を使い、自分を発見、再認識できるまたとないチャンスだ。知らないこと、知っていると思っていたこと、できると思っていたのにできないこと、人との距離感、たった一人の日本人、誰とも日本語でしゃべれない環境・・・全てを面白がりながら、再び青春のように人生を重ねて生きてみたい。この不思議な弁当箱のように・・・。


タイの学校~朝は早い!

2022年11月03日 | チットアリー福祉教育校

2022年11月2日~3日

昔々、青年海外協力隊時代にも感じたのだが、タイの朝は早い。地方にいると昔の感覚が鮮明に蘇り、再び「田舎の早朝」を感じる。もう何十年もたったのに、朝の雰囲気は変わらない。鶏や犬の鳴き声に始まり、お坊さんの読経・・・そこら、ここから、朝の喧騒が沸き起こる。

ここチットアリー福祉教育校内では、お坊さんの読経は流れないが、生徒・学生達は5時起床のようで、朝5時過ぎから学校周りの掃除が始まる。宿舎の裏に清掃用具置場があるようで、5時過ぎには話し声が聞こえてくる。

掃除が終わると子供達の朝食が始まる。先生たちも付き添っての給食、食器はワンプレートだ。結構静かに食べている。調理の方々はかなり朝早くから働いているのだろう。ありがとうございます。ちなみに、ここでの給食は3食、昼は正午前後だが、夜は5時(先生は4時)と早い。そりゃ、調理師さんも帰らないとね。

2日の夜は4時の夕食を食べ損ねた。私が給食スケジュールを知らなかったからだが、おかげで友達も増えた。夜の巡回を担当していた教育実習生と、近所の食堂へ行くことにした。この彼が生粋のモン族だったのは幸運!いずれ山岳民族の文化を日本に紹介したいと思っているのでこの偶然に感謝!!嬉しい~、万事塞翁が馬は本当みたい。

ご存じのように、タイの公立小中学校では、朝8時に国旗掲揚と国家斉唱が一日の始まり。昨日は着任式をしてもらった。

あぁ、そうだ。。。生活をまた朝型に変えよう。日本にいるとどうしても夜が遅くなる。子供達に倣って、5時前に起き、勉強や仕事の準備をしようと決心した。朝は涼しく、仕事がはかどる。北部の町ラムパーン、この二日間も朝霧が出た。タイで朝霧を見るのは初めてだ。

以前はチャチェンサオという中部のはずれの町に住んだ。今回初めてタイ北部に住むので、天候の変化も楽しみの一つである。タイは暑いだけではない。地方や季節によって細かい移ろいがある。

「ホット・ホッター・ホッテスト」とタイの季節と暑さを笑ったものだが、自然と仲良くなれば、細やかな移ろいを感じる歳になった。青年海外協力隊ではない今、タイの生活をゆっくり丁寧に楽しもうと思う。待つ力があれば、幸運はあちらからやってくるものだ!