TEX & SUN FLOWER SEEDのVocal、てつ

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石巻に行って

2011-05-26 00:47:58 | Weblog
 5/17~19まで、TEXのメンバー鉄観音とヒロキと僕の三人で被災地石巻にボランティア活動をやりにいった。震災から2ヶ月半、何かをしなければいけないという心のモヤモヤと、日常に忙殺される時間との狭間で、まったく平穏な時間はなかった様に思う。そんな中、5/20~22に山中湖道志村で行われる春フェス「Natural High!」の出演が決まっていたのだが、このフェスは本当に「濃い」メンツの集まる所で、僕の様なモヤモヤを持ったままではステージに上がることは出来ない、との判断から強行軍で訪れることにした。

 準備としてまず区役所に行った。区役所に届けを出せば、被災地までの往復の高速道路代が無料になる。手続きも簡単。区役所の被害対策課(だったかな?)に行って10分くらいで書類をくれた。

 5/17、TEX&SFSのリハーサルが23:00に終わり、バタバタ準備をして、車で東京・下北沢24:00出発。目的地は石巻専修大学。ここに僕の兄貴分・南兵衛さん(アースガーデン代表)の仲間で、中村まなみさんという、ボランティアに来る人を統括している人がいるという話を聞いたので、頼っていくことにした。事前に電話で話を聞いていて、7:30に集合して仕事を振り分けていくと言うことだった。深夜に車での石巻は遠かったが、ようやく今までの心のモヤモヤが取れるかも知れないという思いもあったのか、眠気を吹っ飛ばし2回ほどSAに寄りつつ朝6:00に目的地到着、そのまま集合地へ。

ピースボートのボランティアの皆さんがラジオ体操をしている専修大学の校庭で中村さんと合流。今回の僕らのミッションは津波でヘドロまみれになっている神社をきれいにすること、と聞かされた。現場での僕らのリーダーは伊藤さんという東京から来ている、とっても人のいいおじさんだった。今回の震災で知人を何人か亡くされているということで、たまらず現地に赴いたらしい。一週間の予定だったが「現場を見ちゃったら帰れなくなっちゃってさあ」ということで現在4週間目、こんなんじゃ足りないって言っていた。胸が熱くなった。

 僕らは事前にAPバンクのHP(http://www.apbank.jp/fundforjapan/volunteers/)を見て装備を整えていった。装備を準備することが出来ない人には貸し出しもしてくれていた。僕らも用意していったつもりだったが、やはり現場にしたがい、いくつも借りた。ヘルメットやゴーグル、防塵マスク、長靴の下に敷く堅いインナー、レインコート、ゴム手袋。現地では油断した装備によって破傷風や肺炎などがあるらしい。だからそこのルールに従うことにした。


 いよいよ目的地の神社へ。まずは神社1階部分、浸食してしまい泥だらけになった家屋の泥をシャベルで土嚢袋に入れ外へ運び出す作業。泥を掻き出す間、震災前の平穏な生活が垣間見えてきて本当にきつかった。子ども達の絵本が痛々しく泥に埋まっていた。家屋内が相当な異臭を放っている。海水が腐った感じなんだろうか。家屋内の泥は割れたガラスなんかが混じっているので危険も伴う。きちんとした手袋を借りておいてよかったなあと思う。

 この現場には僕らの他に企業の(株)DENSOさんから派遣された60人程の方達もいた。なんでも社内で希望者を募って派遣されてくるらしい。とても良く働くナイスガイばかりだった。素敵で人間味のある、いい会社だなあと思った。

 泥まみれの家屋の家具でも洗えば使えるものもあるので、色んな家具をトラックに乗せて水洗い出来る港まで移動して、そこで水洗いしてまたトラックに乗せて戻す、という作業もあった。

 そうこうするうちにその日の作業は終了、僕らはメチャメチャ眠いし身体はくたくたなはずなのに、休みたくなくなっていた。たまたま鉄観音が見つけた情報で、ソウル・フラワー・ユニオンの中川さんが女川(石巻の隣。ここの被害も相当ひどかった・・)の避難所でライブをやる、という情報があったのでここはどうしても見ておきたかった。というのも今回僕らはミュージシャンという立場でありながら、あえて音楽活動ではなく肉体労働を選んだ。それは現地の本当の要望、ニーズが分かりもしないうちに音楽でもないだろう、と思ったから。そこに本当にたまたま、僕がもっとも敬愛するアーティスト中川敬がライブをするというのだから行かないわけにはいかない。今現地に音楽は必要なのか・・・

 冠水のため道路に海水が満ちて中々先に勧めない中、会場到着。

ソウル・フラワー・ユニオン withリクオ名義での三人がライブを始める。必要だった!!ここには音楽がとっても必要だった!!ただそれは単なる音楽ではない。中川敬が阪神大震災を始め、これまで築いてきた活動、その避難所にいる人たちへの思いやり、そんなものがぐわぁー!と押し寄せた。自分の為じゃないライブ・・僕は中川さんのライブに心底それを感じた。そんなきっかけもあって避難所の中も見ることが出来た。ひどい、本当に。プライバシーなんてあったもんじゃない。そんな窮屈な生活の中に響いたソウル・フラワー・ユニオン with リクオのライブ。音楽って偉大だなあと実感した。ライブ直後、中川さんに挨拶して帰ろうかなあと思って近寄っていったら、一人のおじさんが中川さんに握手を求めて泣いていた。感動したって言って。いままで君たちのことは知らなかったけど、今日は感動したって言って、泣いていた。中川さんの懐の深さが生み出したすっげえシーンを見せていただいた。感動のライブ!!


 感動しながら、宿泊地の石巻専修大学へ。校庭にテントを張った。くたくたで眠いはずなのに、僕ら三人は話し続けた。思ったこと、感じたことが多すぎたから、そのままでは眠れなかった。たっぷり話し合った後、久しぶりの睡眠へ・・・
昼間は夏日だったのだが、夜の冷え込みは厳しかった。僕は防寒ばっちりで熟睡したのだが、寒さで眠れなかったらしい鉄観音とヒロキ。翌日ヒロキが言った言葉が印象的だった。「被災された人たちのことを思ったら、こんな寒さ、なんでもないって思って眠ることにしたよ」。確かに。

 翌日も7:30集合。ラジオ体操にも参加。ここで一つ気がついた。ここでボランティアをやってる人たちがとっても明るいってこと。もしかしたらここにいるみんなも、僕と同じように心にモヤモヤがあって、やっとそれを追い出すことが出来て、良い心のテンションになってるのかなあ、なんて感じた。

 この日も同じ神社の清掃。なんでもこの神社は海や川で命を落とした方々を奉る所らしい。それを聞いてますます清掃に力が入る。ヒロキに「この何日間、本当にすげえ体験の連続だよなあ」と話しかけたら、「そうだね。でもこの特別な体験は俺らが特別だから経験出来た事じゃないよね。誰でもここに来れば体験出来るんだから」。確かに。ヒロキいい事言う様になったなあ。ヒロキだけじゃなく、鉄観音、僕も含めた三人とも色々なことに心を動かされ、考え、これからの生き方を考える様になっていたと思う。

 この何日間で色々と考えが変わった。僕の父がずっと言っていたことがある。「人様の為にやったことをいちいち周りに言う必要はない。そんなことを宣伝するくらいならやらない方がましだ。」だから僕は今回石巻を訪れたことをいちいち周りに言う必要はないと思っていた。でも今、このレポートを書いている。それは、もしこの文章を読んで被災地でお手伝いしようって思ってくれくれる人が一人でも増えればうれしいと思ったからだ。そんな思いから、本来石巻から山中湖に向かわなければならないところ、僕ら三人は身体は疲れていたが、もっと現地の状況を広く知ってもらう必要がある、と考え、被害状況をレポートするため壊滅した街を車で走った。

日和山から被害状況が一望出来る。


車は紙で出来てるかの様にぺちゃんこに。


魚が腐った匂いなのか、悪臭が立ちこめる。


後ろに見えるのはがれきの山。


車が三階の屋根に。津波の高さがうかがえる。


ビルが横倒しに・・


被災地を訪れて色々なことを感じた。人間は無力だ。だからこそ思った。今、東京を始め被害に遭っていない地域の自粛モードが何か違うと感じた。今だからこそ僕らはこれまで以上にもっともっと全力で生きて行かなくてはいけない。そういう時代がやってきたのだと。自粛ではなくて、全力で色々なことをやって助け合っていくべきだと。本気で生きる時代がやってきたのだと。

僕なんか、まだまだお手伝いが足りていない。今後益々力を入れたい。

P.S.
一緒に行ったギターのヒロキのレポートが写真もたっぷりあるし、超いい事書いてる。要チェック!
http://ameblo.jp/dub-h/






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