【浮:浮田喜弘さん、慈:久本慈光(寺小屋塾長)】
慈:いちばん最初にお伺いしたいのが自己紹介の中で最後におっしゃった「お仕事」の部分なんですけど、マルシンさん
は何代目になるんですか?
浮:私で3代目になりまして、今年で70周年を迎えます。
慈:わっ、すごい。老舗ですね。
浮:戦後、私の祖父が自転車1台から始めました。外商で紙とか筆とかを積んで回ってたところからスタートさせていた
だいて、地道に何とか70年、バトンを繋ぎ続けてきております。
慈:なるほど。えらく突っ込んだ話をさせていただいて申し訳ないんですけど、僕も親の跡を継いだ立場ですので、その
辺りの葛藤とか、いろんな思いとかがあったんだろうという想像の基にお話をさしてもらいますが、「こっち(但馬)
に帰って来よう」っていうのは、いつ頃お決めになりました?
浮:こんなこと言っていいのかわからないんですけど、帰って来るつもりはなかったんですよ。
私、サラリーマンをしておりました。東京で就職しておりまして、その会社で骨を埋める覚悟だったので、実は跡を
継ぐということは考えてなかったんです。もちろん「豊岡」というのは元々から好きでしたし、大切な故郷だと思っ
てますよ。ただ、私がサラリーマンをして4年目だったかな…、26、27歳の頃、なかなか景気も良くなくて「何とか
帰って来てくれないか?」ってことがありまして、ずっとサラリーマンとして、会社の中でお客さんを増やしたり、
上を目指したりというのも選択の1つなんですけど、田舎で商いをやってる人間として、そういった店を立て直すと
いうのも魅力があると思いました。私が求められているのであれば、故郷に骨を埋めようと覚悟を決めて帰ってきま
した。
だから、(決めたのは)26、27歳の頃です。帰って来て、ちょっとして久本先生にお会いさせていただいたんですよ。
慈:ああ、そういうことか。その頃はまだ独身でいらっしゃったんですね?
浮:そうです。帰ってきたときは独身です。今思えば、私が帰ってきたときは、ホントの「文具屋」だったんです。ただ
事務用品だけを売っているのでは、なかなか厳しい時代です。
(つづく)
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慈:いちばん最初にお伺いしたいのが自己紹介の中で最後におっしゃった「お仕事」の部分なんですけど、マルシンさん
は何代目になるんですか?
浮:私で3代目になりまして、今年で70周年を迎えます。
慈:わっ、すごい。老舗ですね。
浮:戦後、私の祖父が自転車1台から始めました。外商で紙とか筆とかを積んで回ってたところからスタートさせていた
だいて、地道に何とか70年、バトンを繋ぎ続けてきております。
慈:なるほど。えらく突っ込んだ話をさせていただいて申し訳ないんですけど、僕も親の跡を継いだ立場ですので、その
辺りの葛藤とか、いろんな思いとかがあったんだろうという想像の基にお話をさしてもらいますが、「こっち(但馬)
に帰って来よう」っていうのは、いつ頃お決めになりました?
浮:こんなこと言っていいのかわからないんですけど、帰って来るつもりはなかったんですよ。
私、サラリーマンをしておりました。東京で就職しておりまして、その会社で骨を埋める覚悟だったので、実は跡を
継ぐということは考えてなかったんです。もちろん「豊岡」というのは元々から好きでしたし、大切な故郷だと思っ
てますよ。ただ、私がサラリーマンをして4年目だったかな…、26、27歳の頃、なかなか景気も良くなくて「何とか
帰って来てくれないか?」ってことがありまして、ずっとサラリーマンとして、会社の中でお客さんを増やしたり、
上を目指したりというのも選択の1つなんですけど、田舎で商いをやってる人間として、そういった店を立て直すと
いうのも魅力があると思いました。私が求められているのであれば、故郷に骨を埋めようと覚悟を決めて帰ってきま
した。
だから、(決めたのは)26、27歳の頃です。帰って来て、ちょっとして久本先生にお会いさせていただいたんですよ。
慈:ああ、そういうことか。その頃はまだ独身でいらっしゃったんですね?
浮:そうです。帰ってきたときは独身です。今思えば、私が帰ってきたときは、ホントの「文具屋」だったんです。ただ
事務用品だけを売っているのでは、なかなか厳しい時代です。
(つづく)
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