昨日に続きます。
明石元二郎さんは、約100年前の「日露戦争」において、軍事的作戦ではない形で我が国の勝利を導いた方です。
今日は、まず、日露戦争の時代背景について記載したいと思います。
今から約100年前の世界は、ほぼ欧米列強の植民地として色を塗られていました。明治維新後、大日本帝国として独立を保ってきた我が国ですが、東南アジア各国も欧米の植民地の手が伸び、更に中国大陸でも清王朝が欧米の半植民地状態となっていました。
そんななか、朝鮮半島の独立を認めない清国と、朝鮮半島の独立安定こそ東アジアの平和につながると考える我が国の対立が「日清戦争」(1894年)を招きます。これに勝利した我が国は、第一に朝鮮半島の独立性を清国に認めさせます。また、台湾・遼東半島の領有権を得ますが、ドイツ・フランス・ロシアの外向的圧力(三国干渉)により遼東半島を返還せざるを得ませんでした。
しかし、その直後に、ロシアが遼東半島を清国から租借してしまったのです。これによりロシアは、長年の夢であった「不凍港」(冬でも凍らない港)を確保することが出来たのです。
また、清国で発生した義和団事件により、各国が中国の混乱から邦人保護のため出兵しますが、義和団事件が収束しても、中国東北部「満州」に大軍を配置し、一向に動く気配を見せませんでした。この後、朝鮮半島を配下に治め、さらには我が国への侵略を目指そうと試みていたのです。
そこで我が国は、日英同盟でイギリスと手を組みつつ、ロシアとの交渉を続けますが、一向にらちがあきません。
軍事力・人口・面積・国家収入・資源、どれをとってもロシアの側が圧倒的に有利です。このため、「戦いたくても戦えない」のが我が国軍部の本音だったと思います。
そこで、発想を転換し、「ロシアが戦争出来ないようにしむける」「仮に戦争がはじまっても、戦争を続けることが出来ないようにし向ける」ことで、我が国を有利に導こうと考え、この明石元二郎(当時陸軍大佐)が活躍するのです。
続きはまた明日以降書かせていただきます。
尚、あくまでも素人が紹介のつもりで書いておりますので、事実誤認など間違いがございましたらお教え賜れば幸いです。
(文責:畑雄基)
明石元二郎さんは、約100年前の「日露戦争」において、軍事的作戦ではない形で我が国の勝利を導いた方です。
今日は、まず、日露戦争の時代背景について記載したいと思います。
今から約100年前の世界は、ほぼ欧米列強の植民地として色を塗られていました。明治維新後、大日本帝国として独立を保ってきた我が国ですが、東南アジア各国も欧米の植民地の手が伸び、更に中国大陸でも清王朝が欧米の半植民地状態となっていました。
そんななか、朝鮮半島の独立を認めない清国と、朝鮮半島の独立安定こそ東アジアの平和につながると考える我が国の対立が「日清戦争」(1894年)を招きます。これに勝利した我が国は、第一に朝鮮半島の独立性を清国に認めさせます。また、台湾・遼東半島の領有権を得ますが、ドイツ・フランス・ロシアの外向的圧力(三国干渉)により遼東半島を返還せざるを得ませんでした。
しかし、その直後に、ロシアが遼東半島を清国から租借してしまったのです。これによりロシアは、長年の夢であった「不凍港」(冬でも凍らない港)を確保することが出来たのです。
また、清国で発生した義和団事件により、各国が中国の混乱から邦人保護のため出兵しますが、義和団事件が収束しても、中国東北部「満州」に大軍を配置し、一向に動く気配を見せませんでした。この後、朝鮮半島を配下に治め、さらには我が国への侵略を目指そうと試みていたのです。
そこで我が国は、日英同盟でイギリスと手を組みつつ、ロシアとの交渉を続けますが、一向にらちがあきません。
軍事力・人口・面積・国家収入・資源、どれをとってもロシアの側が圧倒的に有利です。このため、「戦いたくても戦えない」のが我が国軍部の本音だったと思います。
そこで、発想を転換し、「ロシアが戦争出来ないようにしむける」「仮に戦争がはじまっても、戦争を続けることが出来ないようにし向ける」ことで、我が国を有利に導こうと考え、この明石元二郎(当時陸軍大佐)が活躍するのです。
続きはまた明日以降書かせていただきます。
尚、あくまでも素人が紹介のつもりで書いておりますので、事実誤認など間違いがございましたらお教え賜れば幸いです。
(文責:畑雄基)
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