台風が接近していますが、皆様の地域はいかがでしょうか?
大型で非情に強いという情報です。お互いに気をつけてまいりましょう。
さて、昨日は、久留米市の水天宮社務所にて、定例の輪読会を開催いたしました。
今回は、月刊誌「致知」で我が社を知ってくださった方が、長崎県は島原市からはるばる参加してくださいました。本当に有り難いことです。片道数時間もかけて来てくださるその熱意に感謝とお礼を申し上げたく存じます。
輪読図書は、国民文化研究会刊行の「日本思想の系譜・上」。昨日から「日本書紀」に入りました。
日本書紀は、舎人(とねり)親王・太安万侶(おおのやすまろ)らが編集にあたった歴史書で、編纂の初期は不明ですが、西暦720年に完成しています。漢文編年体で、神代から持統天皇に到る歴史が記されています。
今回輪読したのは、「皇極天皇記(巻二十四)」の部分。
聖徳太子が薨去され、再び蘇我氏の横暴が甚だしくなったとき、蘇我入鹿が、聖徳太子の皇子で、たいへん人望のあった山背大兄王を攻め滅ぼす場面です。
幾度か難を逃れた山背大兄王一族。側近として山背大兄王とともに行動した三輪文屋君(みわのふみやのきみ)は、進言してこう述べます。
「(前略)・・・師(いくさ)を興して還り戦はむ、其の勝たむこと必(うつな)し。」
しかし、山背大兄王は、こう述べられます。
「卿(いまし)がいふ所の如くば、其の勝たむこと必ず然らむ。但だ吾が情にねがふは、十年百姓を役(つか)はず、一身の故を以て、豈に萬民(おおみたから)を煩(わずら)はし労(いたは)らしめむや。又後世に於いて、民の吾が故に由りて、己が父母(かぞ)を喪(ほろぼ)せりと言はむことを欲せじ。豈に其れ戦勝ちての後に、方に丈夫(ますらを)と言はむ哉(や)。夫れ身を損(す)て国を固くせむは、亦丈夫(ますらを)ならざらむや。」
これは、大変なご決意でのお言葉と思います。
そして、一行が一度、斑鳩(いかるが)にお帰りになられたところに、蘇我入鹿が攻めてきます。その時、蘇我入鹿の軍勢にも、三輪文屋君に命じてこのように述べさせています。
「吾れ兵を起して入鹿を伐たば、其の勝たむこと定之(うつなし)。然るに一身に由りて、百姓を傷(やぶ)り残(そこな)はむことを欲せじ。是を以て、吾が一身をば入鹿に賜ふ。」
当時の人々が、この出来事をどのようにとらえ、どういう表現で残そうと試みたのかを感じながら、わずかページにも満たない箇所を、2時間かけて読みました。
そこで、「うつなし」という表現が、前には「其の勝たむこと必(うつな)し」と記述してあるのに、後には「其の勝たむこと定之(うつなし)」と記してあると指摘する方がいらっしゃいました。
確かに、何か意味を込めて、文字を変えて表現されたのだろうと皆で考えてみましたが、しっくり来る答えは見いだせませんでした。しかし、一人で読んでいると、このような小さな部分には気付かないまま流してしまうこともあるでしょう。輪読の楽しさを再発見できました。
このような形で、皆で声を出して読み、文字と意味を取りながら考えていく輪読をしています。 次回は8月30日(木)の18時15分から行います。お問い合わせは、寺子屋モデルにお願いします。
(文責:横畑雄基)