2014-06-07 16:15:36 投稿
前回、イエスは与えられる愛、奉仕する愛から人間同士が愛し合う
愛を抽出させた。としました。何処まで真実かは疑問が残ります。イエ
スの死後、ユダヤ教ナザレ派としてユダヤの律法を守り、イエスの名を
出して宣教しない事でエルサレムに留まったエルサレム教会や、古代シ
リア現トルコのアンティオキア教会等が設立。イエスの死後2年、旧バ
ビロニア圏、小アジアからの帰還ユダヤ人ステファノがエルサレムのユ
ダヤ教会で石撃の刑、大勢の者が石を投げつけて死に至らしめる処刑
で殉教。パウロはこの時は虐殺側にいた。ステファノ惨死の衝撃、血の
臭いは律法と神の間に楔を打ち込んだ。しかし、パウロ自身がクリスチ
ャンを迫害したように、始めに言葉ありきの怖さを痛感せざるを得ない。
それは、神と人のパラドックス。神が生きる人より優先し、法が人よ
り優先する悪魔のささやき。私は復活であり、わたしを信じる者は、死
んでも生きる。 善人なお往生をとぐ,いわんや悪人をや。
パウロは主を身にまとえ、肉欲をみたすことに心を向けてはならない。
アウグスティヌスは罪の原因は私の自由意志である。
踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。その足の痛さだけでもう充分
だ。私はお前たちの その痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はい
るのだから。 沈黙 遠藤周作
言葉なきぞ 悲しき
行いを持って語る言葉
熱き心 一葉の葉なく
言葉を持たぬ者の悲しみ
言葉なきぞ 悲しき
新しい宗教を予感する、宗教の未来形は人と人の関係に有り、
神は大宇宙の原理となり、人は 人と人の間で幸福を築く
それが宗教? 人を信じる 信じることは信仰なりと
言葉は創造される 時は下り 人間の尊厳が復活した
作詞 西條八十、作曲 成田為三
歌を忘れたカナリヤは うしろの山に捨てましょうか
いえいえ、それはかわいそう
歌を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋けましょうか
いえいえ、それはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは 柳の鞭でぶちましょうか
いえいえ、それはかわいそう
歌を忘れたカナリヤは 象牙の船に銀のかい
月夜の海に浮かべれば、忘れた歌を思い出す
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