ぷっち~の気まぐれ日記

気分が向いたら書こうかな。。。

コロプラはじめました。【コロニー番号:464228】

鉄道愛好家の私が『今』できることとは。

2011年04月01日 00時39分22秒 | 鉄道
みなさん、こんばんは。東京都は晴れやかな日が続いていて日中は暖かいですが、朝晩はまだまだ寒さを感じる今日この頃でございます。
その暖かさの関係で、ここ3日間の計画停電は見送られ、4月1日の停電も見送るそうです

さて、東北地方太平洋沖地震による大津波の影響で、壊滅的な被害にあった三陸海岸。実は、2008年8月の旅の際に訪れてたんですねぇ・・・
2008年8月12日の17時16分発盛岡駅発快速「はまゆり5号」で、その日の宿泊地である釜石駅へゴトゴト線路のつなぎ目の音を聞きながら揺られてたんですね この線路のつなぎ目の音にあわせて近くに乗車していた子供が「ガタンゴトンガタン、ガタンゴトンガタン」と音に合わせてリズムを取っていたのが、印象に強くて今でも思い出します
翌日の朝、6時発の三陸鉄道南リアス線の普通列車に乗り込んで、大船渡線に乗り換えるための盛駅、気仙沼線に乗り換えるための気仙沼駅を経由し、当初の計画では最終駅である女川駅へと、今までに乗車したことのない路線をめぐりつつ、波を打つような形の三陸海岸を見ながら足を運び、列車内では感動と景観のすばらしさに圧倒されたのを今でも覚えています

そして、女川駅に到着した後のある判断によって今後の女川町の景観を楽しむことができるかできないかの分岐点となることは、2008年当時の私には思ってもみなかった。つまり、「後悔先に立たず」な状況になったというのはこの時から、だいぶ後に気づかされることとなった。
このときの「ある判断」とは、11時ごろ10時50分ごろに女川駅に到着した私は、当初13時ごろに出発する列車に乗車し、仙石線で仙台駅を経由した後、東京に帰る予定だった。しかし、このとき「駅前や駅周辺にめぼしいものがない」と判断したため、13時発ではなく11時15分発の列車に乗車することにした。このときの滞在時間は約15分約25分であったが、「この先、時間と金銭に余裕があったときに同じ景観を見にくればいいや」という気持ちでいた。いや、歩いていけばめぼしい建物があったが、お盆の時期に行ったためあいているか分からなかったので出向かなかったというのが本音である。(臨時に作成した行程表。一部、加工しています

しかし、このときから約2年7ヶ月がたった2011年3月11日に起こった巨大地震によって引き起こされた大津波(巨大津波)によって、先の「後悔先に立たず」な状況になったことを思い知らされた。
しかも、当時の「感動と景観のすばらしさ」という言葉は、巨大津波によって「恐怖のどん底」という言葉に変えられてしまった。この旅の時にデジカメで撮影した景観、これは、私が使用しているパソコンで見られる。当時の記憶がよみがえり楽しい気持ちになれる。しかし、テレビを見ると「見るに絶えない姿」。別な言葉で言い表すなら「教科書に掲載されている【東京大空襲】【関東大震災】、【広島や長崎での原爆】それぞれの写真と同じような光景」となり、これが現実であるのかと今でも疑ってしまいたくなる。夢であってほしいと。

しかし、これが現実であり、このことにいつまでも目を背けていいわけがない。そこで、鉄道愛好家である私が被災地に対してできること。今すぐではなく、今の状況が落ち着いたときにできること。それは、なんだろうと考えたときにひらめいたのは「2008年当時に私を感動を与えた写真を送ること」。これから、現地は復興に向けて歩みだしていく。そのときの原動力として震災前の穏やかな町並みの写真を送ることによって、元気や勇気がわいてくるのではないかと思っています
これは、今すぐにやることではないし、やって現地に送ったとしてもそれどころではないし、ただのゴミになり「ありがた迷惑」になりかねない。なので、機会を伺って送るのがベストであるのかなと思っています
だから、今できることというのは「現地に送るための準備」だと思いつつ、どのような形にしようか頭をめぐらせながら布団の中で考えようと思います

 【 本文の加筆修正 】 

・ 2011年4月11日に本文の加筆を行いました


最新の画像もっと見る

コメントを投稿