我はお気に入りの座布団の上で日向ぼっこに勤しんでいた。
避妊からのエリザベスカラー、そして術衣と、我の拘束するものを解かれ数日、いやぁーさっぱり。
グルーミングも仕放題。
我、幸せだもんね。
何より、訳もなく虐められないのがいい。
我の前世は、それは悲惨であった。
公園で厳しくも自由な日々を過ごしていた我は、邪な人間に囚われ、虐待に次ぐ虐待を受け、己の腐臭を嗅ぎながら悶死(もんし)するという凄惨なものであった。
が、今は生まれ変わり、飼い猫をしておる。
今の飼い主は、我を虐めたりはせん。
何の要求をせずとも、我の食事や水を用意し、身の回りのことも整える。
そして、我が1声鳴こうものならどこにいようとも我の様子を伺い、我を撫で、肩甲骨をモミモミし、おやつをくれる。
もしかして、我は神ーー。
そして、この人間は信者かーー。
そうか、今日から我はそなたを下僕と認めてやるぞ。
だが、厄介なこともある。
下僕は我が呼ばずとも、我のところにやって来ることがある。そして、我の頭や身体を無遠慮に撫でたり、抱き上げたり、怪しげな”おもちゃ”とやらで気を引き、我を夢中にさせることじゃ。
我は猫なり。
下僕の思い通りにはならん。
下僕は下僕らしく我に従っておればよいのじゃッ!
我は癇に障るおもちゃを薙ぎ払った。
「痛ッ!」
不意の声に、我は動きを止め、下僕を見た。
手の甲から血を流し、眉を顰(ひそ)めている下僕の姿に、我は硬直した。
それまで仔猫の我が爪を立てたり、咬み付いても人間が血を流すことはなかったーー。
そうじゃ、人間は、自分が傷つけられると、小さな我らを殴りつけ、壁に叩きつけたり、爪を引き抜いたりする、恐ろしい生き物であった。
我は、そのことを忘れておった。
前世の記憶を蘇らせた我は、身動きもできぬまま固く瞼(まぶた)を固く閉じ、どのような衝撃にも耐えれるよう、心中だけで身構えた。
「もう、痛いなぁ、ミケちゃん」
じゃが、人間は我の頭を指で突いただけであった。
ん?
それだけ?
それでいいのか、人間…いや、下僕よ。
そうか、そーか。
うぬは我の可愛さの虜であるのだな。
フフ…。
撫でるがよい、我を崇めるが良い。
我はウヌの神なのだからな。
良いよい、撫でるが良いぞ、今日は少し多めに撫でさせてやるぞ…。
うーん。
気分が良いぞ。
下僕はゴットハンドを持っておるな。
撫でるところ撫でるところが気持ちが良くてたまらぬ。
あぁーー。
眠い、このまま夢の中に入るとするか。
幸せだー。
これが、飼い猫の日常であるか…。
■ ■ ■
ーーパチンッ!
ん?
ーーパチン! パチン!
指先に走る衝撃に、我は覚醒した。
だが、我が状況を確認しようと体制を整えようとしている今、このときもーー。
ーーパチン! パチン! と、危険を孕(はら)んだ音は続いておる。
ーーこれは、この音は…。
爪切りッ!
我は前世の記憶を思い出し、全身を跳ね上げさせた。
だが、我の小さな身体は固定され、身動きを取ることが出来ん。
ーーそう、あの時と同じように…。
前世で、我はあまりの虐待に耐えかね、我の身体にタバコの火を押し付ける人間の腕を薙ぎ払った事があった。
さっきのような戯(たわむ)れではなく、本気での薙ぎ払いに、人間は腕から激しく出血させ、我は首を捕まれ床に叩きつけられた。
我は痛みと衝撃に意識が混濁(こんだく)し、動くことができなんだ。
その我を押さえつけ、人間は我の爪を根本から剥がしにかかりおった。
あまりの痛みに我は抵抗し、更に殴りつけられ、床に叩きつけられ、動きが弱くなったところを、人間は押さえつけ、我の脚の爪すべてをーーッ!
恐ろしかったぞ、苦痛であったぞ、まさかその苦痛を、転生してからも体験することになろうとは…。
なんと、なんと人間とは恐ろしい生き物か…。
仔猫の我の抵抗は、タオル1枚で封じられ、我のキュートな爪は次々とーーッ!
ーー終わった。
我の優雅な飼い猫生活がーー。
人間は我に忠実なふりをして、痛めつける機会を狙っておったのか…。
あのような優しさで我を包み込み、油断させ、このような暴挙に及ぶとは…。
ーー許さぬぞ、人間、必ずこの爪と、我の心を弄んだ敵は撃ってくれようぞッ!
我は開放され、しばらくは放心しておった。
もう、先程のように歩くことも、走ることもできぬーー。
我は、もう、動けぬーー。
「さぁ、ミケちゃん終わったよ、お利口だったね」
明るい声に我は自身を取り戻した。
ーーお利口だっただと? 我を押さえつけておいて、うぬがッ!
シャーと、我は肚(はら)を立て、人間めを威嚇した。
「ほら、ミケちゃんお爪が伸びちゃったでしょ? 切らないと、お爪が可愛い肉球に食い込んじゃうんだよ」
早口でまくし立てるでないわ。我には人間語は少ししか解らん。
じゃが、忘れるぞ、この所業を。
必ず報復してくれる、まずは安全な場所に身を隠さねばーー。
ーーん?
歩いておる。
なんで、我歩けるの?
我は抉られたはずの爪を見た。
爪は抉られてはいなかった。
その代わり、グルーミングの最中、舌に引っかかる前端がわずかに切られておった。
ーーん?
何故か先程より、こころなしか歩きやすいような気がする。
「痛かったね、びっくりしたね、ごめんね。でも、これまでミケちゃん小さかったし、弱っていたし、避妊したあとでお爪切りはしなかったんだけど、これからはどんどんやっていくんでよろしくねッ、いい人キャンペーンは終了しましたーッ」
人間は我の爪を切った掌を掴み、呪文を唱えながら肉球をもみもみし始めた。
「ミケちゃん、お爪は短くなったから”当分”切らなくていいね」
人間は紙の上に散った我の爪をまとめながら口を開いた。
ーー当分とな? それでは、また我の爪を切るというのか?
ーー油断がならん。
ーー人間は油断ならん。
我は人間の傍らに寄った。二度と爪を切ることは許さぬと、抗議するつもりであった。
「うーん、ミケちゃん可愛いね」
下僕に戻った人間は再び我の頬を指で撫でた。
「あとで、ご飯をあげようね」
下僕は我の頭を撫で続けた。
ーー終わったのであるか? もう、酷いことはせんのか?
我、また眠ってよいの?
虐めはせぬのか?
これ、人間………。
人間はいつしか、台所に籠もってしまった。
自分の食事の支度や、明日の準備に入ったらしい。
本当に、もう何もされんの?
人間、これ、下僕よ?
我が呼ぶと下僕がおやつを手に持ってきた。
「お腹空いちゃったね、ほら、おやつ」
下僕めは本日、2本目のチュールを我に差し出しおった。
これ、我のなの?
我は鼻先に差し出されたチュールと下僕とを見比べた。
人間は、完全に我の下僕に戻っておった。
我はチュールを食した。
そうか、あの爪切りは”虐待”ではなく”お手入れ”というものであったかーー。
そうか、そうか…。
我、安心したもんね。
なんだか眠たくなってきたぞ。
もう、我は虐められないんだもんね。
我、ここで寝てもいいんだもんね。
我、幸せになっていいんだもんね。
色々思い悩み疲れてしまった我は下僕の傍らで眠ってしまい、その身体を下僕めが我の寝床に運んでくれたのにも気づかないぐらい熟睡しておった。
END
最初にアップしたのを手直しし直しました。
なんの告知もしていなかったのに読んで下さった方々、ありがとうございます。
これからもゆるく投稿していきますので、よろしくおねがいします。
あと、ご意見、リクエストなどお待ちしております。
本当にありがとうございます。
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