ーー可愛がられていたとは、どのように?
ーー我はクロ殿の声にふと、好奇心が湧いた。
ーー私はね、捨て猫だったんだよ。
ーー捨て猫とな?
ーーそう、小さな箱に入れられて、一人ぼっち…。
ーー人間に捨てられたのであるか? だったら、大切にされてはいないではないか。
ーーそっちの人間じゃあないよ。私は、私を拾ってくれた人間に大切に可愛がられて育ったんだよ。
ーーだが、人間であろう? 密室であろう? 本当は虐められたのでは…?
ーー皆まで云えなんだ。上部まで届く檻を叩く衝撃と、シャーという威嚇に我は思わず竦(すく)んでしまった。
ーーミヨちゃんは私を虐めやしなかったよッ、パパさんもママさんもとてもいい人達なんだ、まぁ…たまにイタズラはサれたけどね…。
ーーイタズラとはどのような?
ーー人間たちのことを思い出し、多少機嫌が良くなったクロ殿に我は問うてみた。
ーーそれはね、ヒゲを引っ張られたり…。
ーー引き抜かれたのかッ?
ーーバカをいうんじゃあないよ、そんなことをするわけないだろうッ!
ーークロ殿はまた檻をバンと、激しい勢いで叩いた。
ーーヒゲはね、ヒゲ袋が持ち上がるくらいに…。
ーーそこでクロ殿は言葉を切った。
ーーあんた、ヒゲを抜かれたことがあるのかい?
ーー問われ、我は頷き、あるだけ毟(むし)り取られたわ、と吐き捨てた。あのときの苦痛と恐怖と屈辱をを思い出しただけで、転がり回りたい衝動に駆(か)られた。本当に痛かった、涙が出るほど痛かった、実際に泣いたかも知れん。多分泣いた。
ーーあんた、本当に酷い目に遭ったんだね…。
ーークロ殿はため息を付いて言葉を続けた。
ーー耳を引っ張られたり…。
ーー切り取られたのかッ!
ーーバカをお云いでないよ。あんたは切り取られたのかい?
ーーおう、取られたとも、1つづつ、頭を押さえつけられーー暴れたが、人間の力には敵わなんだわ。言いながら、我は身体がが硬直するのが解った。恐ろしかった、痛かったぞ、一生忘れぬ、いや死んでしまった今でも忘れられん、人間を恨み、必ず報復してやると誓った行動の一つであったぞ。
ーーもう、この話は辞めようか…。
ーークロ殿も体を震わせたようじゃった。
ーーでもね、悪い人間ばかりじゃあないさ、私はブラッシングもしてもらえてね…。
ーーあの、鉄のブラシでか…毛が舞うからと云い、我を押さえつけ、何度も何度も、皮膚が破れても、あの鉄のブラシで我の身体を…。
ーー違う、違うよ、そりゃあ、鉄のブラシを使われてたこともあるけど、そんな痛くはされなかったよ。ご飯もちゃんともらえたし…。
ーーどうせ、何日か置きに、人間の食べ残しであろう…。
ーーそんなご飯だったら、死んじまう…。
ーーそこでクロ殿は言葉を切った、そう、察したのであろう、我が人間に受け続けた仕打ちを…。
ーーあんた…。
ーークロ殿は泣いているようじゃった。
ーー本当に、酷い人間に捕まっちまったんだね。
ーー人間は、外にいる我らにはご飯をくれるが、捕まえたらご飯も与えず虐めるのが楽しいのだろう? 我は拗(す)ねた。人間に連れ去られ、遊びに来た同胞が可愛がられ、ご飯もたくさん貰えていると話していた、我もそうなると思っておった、なのに何故、我はあんなに虐められたのだ。我のどこが悪かったのだ、我は、我はーー。
ーーあんたは、今度は幸せにならなきゃね。そのために転生したのかもしれないねぇ…。
ーークロ殿の言葉に我は物思いから醒めた。
ーー我が幸せに? 何故?
ーーあんたからはいい匂いがするよ。ここに来るまではご飯も貰えて、可愛がってもらっていたんじゃあないのかい?
ーーそういえば、我は一日に何度もご飯や、水をもらい、気持ちのいいこともたくさんしてもらっておった、しかし、何故なんじゃ?
ーーそれは、あんたを可愛がりたい人間に巡り会ったからだよ。
ーー我を可愛がりたい…?
ーーそうだよ、ご飯をくれるだけじゃあなくて、避妊までさせてくれるんだ。絶対にあんたを可愛がろうと思っているさ。
ーーいや。我は何かを巻き付かれたままの首を振った。人間には、我らを捕らえ、避妊し、放すという謎の行動を行っておる者もおる。我はきっとここを出たら、公園にリリースされ自由な生活を送るのじゃ。そう云いながらも我の胸が締め付けられて行くのが解る。
ーーいや、あんたからは他の猫の匂いがしないよ。あんたは絶対に飼われるよ、しかも猫好きのいい人間にね。
ーークロ殿はうんとうなずき言葉を続けた。
ーーあんた、人間に名前を貰わなかったかい?
ーーそういえば、あの人間は我を「ミケ」と呼んでおったが…。
ーー三毛猫だから「ミケ」かい? 安直だねぇ。だけど、私も黒猫だから”クロ”なんだけどね。
ーークロ殿が自分の身体を舐めている気配が伝わってくる。
ーーその時、扉が開き人間が姿を表した。
「ミケちゃん、お迎えですよー」
ーー看護師さん、と呼ばれている人間が我に歩み寄り、檻を開き、我をそっと抱き上げた。ゲージから出た我は、クロ殿の姿を初めて見た。クロ殿は我が思っていたのとは違う姿であった、声は若々しくあったがーーやせ細り、その腕には針が刺されたままテープで固定され、その針から伸びた管は、何かの液体に繋がれておった…。
ーーフフッ、見られちまったね。私は病気、もう長くはないんだよ。
ーークロ殿…。
ーーそんな顔をするんじゃあないよ。私はそんなに長くは生きられないと思うけど…18年も生きて、幸せなのさ。今でも、とても可愛がられているからね。
ーーそう云ってクロ殿は目を細めた。我はそのまま看護師さんに抱かれ部屋を出、それがクロ殿を見た最後であった。
■ ■ ■
ーー我は別の部屋で先生と看護師さんに飼い主に引き渡され、またあの部屋に戻った。
「ニャァ」
ーー我は人間に呼びかけたーー。早くこの訳の分からん巨大首輪を外さんかいッと、我は暴れまくった。暴れる我を人間は捕まえ…床に叩きつけられるッーーと思ったが、人間はそうはしなかった。
「やっぱ、エリザベス・カラーは嫌ですか?」
ーー呪文を唱えながら、人間は重苦しい首輪を外してくれた。ホウーーそなたは人間ではあるが、見どころがあるぞ。褒めてやろう。
「そんなミケちゃんのために、こちらをご用意しておきました」
ーー我は次に人間が取った行動に絶句した。巨大首輪を外した人間は、息を抜く間もない我の身体に布をーーうん? 身体が締め付けられる…。
「可愛いッ! ミケちゃん、見てみて」
ーー目の前に差し出された銀色の物体、うん? コレは知っておるぞ、鏡というヤツーー。
「ギャッ!」
ーーなんか、変な声が出た。な、何じゃこの姿はーー! 我はこのこの身体になって始めて毛を逆立てたわッ! な、何じゃコリャーッ!
「可愛いッ、ミケちゃん」
ーーコレ、我の身体を持ち上げるでないわ、か、顔を近づけるでないッ! スリスリするでないッ!
「ミケちゃん、痛い?」
ーー人間は我を箱に戻しながら口を開いた、痛い? なんのことじゃ?
「ごめんね、お腹、痛いよね?」
ーー人間は我の頭を指でそっと撫でた、いや…この場合、痛いのは心じゃ。な、何じゃ、この身体全体を覆う布は…グルーミングが出来んであろう…身体ペロペロは我の唯一の趣味なのだ。それが出来んとなると、舌が寂しいというか…。
「ごめんね…」
ーー何を謝る? 我は平気ぞ…いや、だが…この布を取ってくれたら、もっと平気になると思うぞ。
「ずっと、一緒だからね」
ーー人間は我の頭を1撫ですると、どこぞへかと行ってしもうた。
………。
ーー暇だ。
ーーおーい、人間…。
ーー我は人間を呼んだ。
「どうした、ミケちゃん? 寂しかった?」
ーー寂しくはないぞ、暇なだけだと、我はそっぽを向いた。
「疲れちゃうから、寝ようね…」
ーー人間は我の頭や、わずかに露出している肩を指で撫で続けた。その優しい感触に、我の瞼が重たくなった。
ーーなんか、気持ちが良いのう…。
ーー我は眠くなってしもうた…。
ーー心地よい…。
ーー眠りに落ちる瞬間、我はクロ殿の言葉を思い出した。
ーーあんたは、今度は幸せにならなきゃね。そのために転生したのかもしれないねぇ…。
ーー我が、幸せに…。
ーーそうだ、我は公園にご飯を持って来てくれ、皆を撫でてくれる人間を見ながら、もっと撫でて欲しい、抱いて、肩や、背中を揉(も)みもみして、喉も撫でなで掻きかきして欲しいと思っておった…。
ーー我は、人間を憎みたいと思っていたわけではない。
ーー甘えたいと、思っておった。
ーー我は、我は、可愛がって欲しいと、心の底から思っておったのだ。
ーーそれが今、叶っておったのか…。
ーー我にはもう、痛みも苦しみも、飢えもないということか…。
ーー我は、この人間の指に、頭を撫でられながら、安堵のうちに意識を手放していた。
転生したら飼い猫だった件 転生偏 終
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