私のブログに出てくるこの名前「ゆら」
おそらく、このブログを読んでくれている人たちの中に
「ゆら」を知っている人は一人もいないことでしょう(当たり前)
アットブルグメンバーならお互いご存知でしょうし、
Haruさんとは、コメントでやりとりしたり、個人的にメールをやりとり
しているわけで、記事には登場しないのですが、
ゆらときたら、記事には多く登場するのに、正体不明(笑)
なので、ここでちょいと「ゆら」について語ってみしょう。
ゆらは・・・ある意味、ほんとの「たった一人」
でも、「ゆらが居れば、他の人はいらない。」
とは言いたくない。
そんな熱い仲とは、大分、違うんだなあ・・・。
なんでしょ?
ゆらと会ったのは、もう、16年前。
ちょうど、私が幸せ絶頂の人生から、
なにもかも失っていく転換期に会った(笑)
別に、とくに仲良くもなかった。
ときどき家にきて、ちょっとしゃべって・・・。
好きなアイドルの話して・・・。
好きなものも違ったから、一緒にコンサート行ったりもなかったし
ドラマティックに悩み相談や、人生のトラブルを一緒に解決も
したことがない。
私が病気のときも、家族も友達もいなくなって、
帰る家も無くなったときも、
ただ、どっかの喫茶店でお茶して、お話するだけ。
お話するときも、そんなにシリアスに話すわけじゃない。
「あんたも大変やねえ」
「あ~・・・」
てなテンション。
そんなんで、16年。
今となっては、私が味わってきた人生の苦難を、
ただ一人、全部、知っている人間になってしまった。
ほんと、神様がゆらにだけは教えておいてやろうって
情けをかけてくれたのか、
泥沼のポイントになる事柄が起きるとき、
偶然、ゆらと居て呼び出されたりとかしたんだな。
それでも・・・
変わらない付き合い方をしてるってのは、
どういう訳なんだか・・・。
私が気が狂っていたころも、知ってるだろうに。
みんな、いなくなったというのに。
ま、ゆらは、ドライっちゅ~か、なんちゅ~か・・・。
書いてて気がついたのだけど「植物」みたいな女なんだよね。
本能に忠実な「動物」にも近い(笑)
言葉でなぐさめたりってあんまりないし、
実は表情にもあまり変化がない(笑)
でも、私がどん底近くになると、「本」とかポンとよこしたり、
店に来て「みやげ」ポンとよこして帰ってく。
おいしいお店見つけたからお茶しようって留守電。
(必要無いからってメール機能も持たない女)
ほんと、動物っぽいなあ、なんか、書いてて笑える。
愛猫のしっぽにも近いか。
わかってるんだか、わかってないんだか、
落ち込んでると、とりあえず、ぬくぬくと転がって
可愛いかっこして、助けてくれたりしてさ。
その植物がどうして、16年も付き合ってくれたんだか。
私が付き合えたのは、わかる。
だって植物だもん。
人事で傷ついて、のたうつ私を理解しても、
共感はしないヤツ。
だから、私も楽でいられた。
イヤなことはイヤと言うヤツ。
だから安心。
私のために、したくない無理はしないから。
いつだって、なんつ~か素の女。
どっちかといえば、お世話になるのは私のほうで、
方向音痴の私を改札まで見送ってくれたり、
体の弱い私のために、健康食を教えてくれたり、
治療してくれたり・・・。
してもらったことはタクサンあるけど、
私がしてあげたことなんぞ、皆無に近いんだが・・・。
それでも、きっと、これからも、
まったりとお茶しながら、ただただおしゃべりするだけの時間を
過ごすんだろうな。
これを書いてて謎が解けたのですが、
「どうして、寂しいときに会いたくなるのはゆらで無いのか。」
それは、ヤツが植物だからだ(笑)
ありがたみを忘れるわけではないけど、
ヤツは、私がいろいろ考えない相手なんだよな。
流れにまかせるだけでなるようになるさ。
みんな大好き、幸せでいてほしいと願うワタクシが、
唯一、何も願わない女(笑)
一緒にいるときはちょっとだけ願うけどさ(笑)
貴重、貴重♪
次はハリーポッター見に行こうね♪
そんで、お茶飲もう☆
死ぬときの君との思い出は「おいしいお茶飲んだ。」になりそうだね(笑)
それでいいさ☆
おそらく、このブログを読んでくれている人たちの中に
「ゆら」を知っている人は一人もいないことでしょう(当たり前)
アットブルグメンバーならお互いご存知でしょうし、
Haruさんとは、コメントでやりとりしたり、個人的にメールをやりとり
しているわけで、記事には登場しないのですが、
ゆらときたら、記事には多く登場するのに、正体不明(笑)
なので、ここでちょいと「ゆら」について語ってみしょう。
ゆらは・・・ある意味、ほんとの「たった一人」
でも、「ゆらが居れば、他の人はいらない。」
とは言いたくない。
そんな熱い仲とは、大分、違うんだなあ・・・。
なんでしょ?
ゆらと会ったのは、もう、16年前。
ちょうど、私が幸せ絶頂の人生から、
なにもかも失っていく転換期に会った(笑)
別に、とくに仲良くもなかった。
ときどき家にきて、ちょっとしゃべって・・・。
好きなアイドルの話して・・・。
好きなものも違ったから、一緒にコンサート行ったりもなかったし
ドラマティックに悩み相談や、人生のトラブルを一緒に解決も
したことがない。
私が病気のときも、家族も友達もいなくなって、
帰る家も無くなったときも、
ただ、どっかの喫茶店でお茶して、お話するだけ。
お話するときも、そんなにシリアスに話すわけじゃない。
「あんたも大変やねえ」
「あ~・・・」
てなテンション。
そんなんで、16年。
今となっては、私が味わってきた人生の苦難を、
ただ一人、全部、知っている人間になってしまった。
ほんと、神様がゆらにだけは教えておいてやろうって
情けをかけてくれたのか、
泥沼のポイントになる事柄が起きるとき、
偶然、ゆらと居て呼び出されたりとかしたんだな。
それでも・・・
変わらない付き合い方をしてるってのは、
どういう訳なんだか・・・。
私が気が狂っていたころも、知ってるだろうに。
みんな、いなくなったというのに。
ま、ゆらは、ドライっちゅ~か、なんちゅ~か・・・。
書いてて気がついたのだけど「植物」みたいな女なんだよね。
本能に忠実な「動物」にも近い(笑)
言葉でなぐさめたりってあんまりないし、
実は表情にもあまり変化がない(笑)
でも、私がどん底近くになると、「本」とかポンとよこしたり、
店に来て「みやげ」ポンとよこして帰ってく。
おいしいお店見つけたからお茶しようって留守電。
(必要無いからってメール機能も持たない女)
ほんと、動物っぽいなあ、なんか、書いてて笑える。
愛猫のしっぽにも近いか。
わかってるんだか、わかってないんだか、
落ち込んでると、とりあえず、ぬくぬくと転がって
可愛いかっこして、助けてくれたりしてさ。
その植物がどうして、16年も付き合ってくれたんだか。
私が付き合えたのは、わかる。
だって植物だもん。
人事で傷ついて、のたうつ私を理解しても、
共感はしないヤツ。
だから、私も楽でいられた。
イヤなことはイヤと言うヤツ。
だから安心。
私のために、したくない無理はしないから。
いつだって、なんつ~か素の女。
どっちかといえば、お世話になるのは私のほうで、
方向音痴の私を改札まで見送ってくれたり、
体の弱い私のために、健康食を教えてくれたり、
治療してくれたり・・・。
してもらったことはタクサンあるけど、
私がしてあげたことなんぞ、皆無に近いんだが・・・。
それでも、きっと、これからも、
まったりとお茶しながら、ただただおしゃべりするだけの時間を
過ごすんだろうな。
これを書いてて謎が解けたのですが、
「どうして、寂しいときに会いたくなるのはゆらで無いのか。」
それは、ヤツが植物だからだ(笑)
ありがたみを忘れるわけではないけど、
ヤツは、私がいろいろ考えない相手なんだよな。
流れにまかせるだけでなるようになるさ。
みんな大好き、幸せでいてほしいと願うワタクシが、
唯一、何も願わない女(笑)
一緒にいるときはちょっとだけ願うけどさ(笑)
貴重、貴重♪
次はハリーポッター見に行こうね♪
そんで、お茶飲もう☆
死ぬときの君との思い出は「おいしいお茶飲んだ。」になりそうだね(笑)
それでいいさ☆