大好きな酵母の話し、長くなってしまったが、なんだか人類という生き物が地球という限られた空間の中で活動、特に産業革命以後、化石燃料というおいしい食い物をたらふく消化、CO2や有害物質を放出、大気や大地を汚しているのと、似てはいないだろうか。生存、増殖の仕掛けを遺伝子の中に組み込まれている生きものの哀しさを感じるのは僕だけではないだろう。
あらためて、我々“もの作り”の世界は、例えば一生懸命頑張っている“お絵描きさん”、150号(220cm~×181cm?)の出品作、厚みは5cm程度を年間3~4点仕上げる。若い時代大作がそう売れていく訳でもなく、画室の壁に立てかけられ、そう広くもない空間をどんどん狭めていく、まして現代美術の立体をやっている連中にとって作品の保管は大問題なのである。ちなみに僕、不良陶芸家が生み出す作品、そう多くはないが、そこ、ここに置かれ、やや広い仕事場もだんだんと発酵末期の瓶の様相を呈して来た。もの作りにとって作品というのは『雲古』のようなものなのかもしれないと思うのは僕だけだろうか? 《頭目》
《将来は虚無僧?声山こと石橋秀泰氏》