宗門の古い用例だが、江戸時代末期の永平寺50世・玄透即中禅師『永平寺小清規』中に2箇所ほど、法要を告知する「牓」への記載として「焼香比丘」が見られたが、多くは見られないことが分かった。そこで、ちょっと気になったので、現行の『行持軌範』を調べてみて、そこから各種「疏」の「○○比丘(実際には「比丘尼」との併記だが、ここでは略記)」の表記について、検討しようと思う。
・遺教比丘(涅槃会疏・仏誕会疏・盂蘭盆施食会疏・成道会疏)
・住持比丘(楞厳会啓建疏)
・法孫比丘(両祖忌疏・達磨忌疏)
・守塔比丘(各寺開山忌疏)
……「焼香比丘」って正式な表現に無いのか?よって、結局先に挙げた「牓」に見えるのみだと理解した。あれ?これ以上、話を膨らましようがないか。なお、両祖の記載だが、道元禅師には「疏」が残されていないが、瑩山禅師『瑩山清規』には見られるので、確認しておきたい。
・五十四世法孫嗣祖比丘(涅槃会疏)
釈尊から大法を相続した摩訶迦葉尊者を「一世」とすると、瑩山禅師は祖師の中で五十四世に当たるため、それを詠み込んでいることが分かる。
・二十七世法孫嗣祖比丘(達磨忌疏)
これは達磨忌だが、達磨尊者は二十八世であるため、尊者から数え始めて二十七世だとするため、上記の通り表記される。
ということで、拙僧の勝手な思い込みは、ただの妄想的だったことが分かった。
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