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つらつら日暮らし

「第一官律名義弁」其三十五(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・35)

ということで、もう10回以上、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。

  三綱〈十禅師の内に在り〉
一 上座〈講師に任ず〉
一 寺主〈講師に任ず〉
一 都維那〈講師に任ず〉
承和元年十二月廿四日大師、東寺の三綱を表請す〈東宝記〉
貞観八年三月丁丑、真言宗僧を東寺の三綱に任ずるを以て、階業を経たる者、西寺の三綱に任ず、永く以て例と為す〈三代巻十二〉
    『緇門正儀』17丁表~裏


いわゆる各寺院の「三綱」と、「十禅師」との関係について論じた箇所だろうか。それで、今回は良く分からないので、典拠のみ確認しておきたいと思う。前者は、『国宝東宝記原本影印』を見る限り、巻7の末尾に該当する文章があるように思う。ただ、ちょっと良く分からない。

後者は、上記の指摘の通りに『日本三代実録』巻12に全く同じ内容があることを確認したため、それで良いと思う。個人的に気になったのは、東寺の三綱を務めた者が、今度は「西寺」の三綱を任されることがあることだろう。

東寺は良く聞くが、西寺は余り聞いたことが無いという人が多いと思う。拙僧も、研究者をしていなければ、知ることが無かったように思う。もし、興味がある人は、以下の記事をご覧いただくと良いと思う。

東寺と西寺 リーフレット京都 No.71(1994 年 12 月)((財)京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館)
平安京の東寺と西寺、左右非対称だった 空海が変更?(朝日新聞)

これらを見ると、元々は東寺・西寺ともにあったが、990年などの火災で西寺が衰退し、その後は実質的な廃寺になってしまったようだ。

「西寺」の寺号を継ぐ寺院 「浄土宗西山禅林寺派 興国山 西寺」(Kyoto Culture Experience)

ただし、現在では浄土宗西山禅林寺派の一寺として、その名前などを引き継いでいる寺院があるようだ。東寺は弘法大師に下賜されたが、西寺を引き受けたのは守敏僧都であった。この人は、山階寺にいたそうで、だとすると法相宗だったのだろうか。とはいえ、空海と雨乞いの修法を争った話とかがあるようだが、記録上は実際には良く分からない。後代に、ライバルに位置付けられた人なのだろう。

そんなことを指摘しつつ、今日はこれくらいにしておきたい。

【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年

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