つらつら日暮らし

流布本『普勧坐禅儀』参究5(令和5年度臘八摂心5)

臘八摂心5日目。本日も流布本『普勧坐禅儀』の本文を学んでいきたいと思う。

本文に入る前に、今回採り上げる道元禅師の坐禅の儀則だが、時期によって次のように変化した。

天福本『普勧坐禅儀』
  ↓
流布本『普勧坐禅儀』
  ↓
『正法眼蔵』「坐禅儀」巻
  ↓
『弁道法』


そして、時期が進むにつれて、徐々に余計な部分がそぎ落とされると同時に、実践的になっていった。最後の『弁道法』は、それまでの坐禅の儀則から、積極的に切り替えており、弟子達と叢林に於いてともに坐りながら、より深い禅定に入るため、必要な手順を整えられた様子が分かる。だが、今回はあくまでも流布本を採り上げているため、それにしたがって読んでみたい。

尋常の坐処、厚く坐物を敷き、上に蒲団を用いる。
或は結跏趺坐。或は半跏趺坐。
 謂く、
結跏趺坐は、先ず右の足を以って左の腿(※元の字は表示できないため別字を充てている。以下、同じ)の上に安き、左の足を右の腿の上に安く。
半跏趺坐は、但、左の足を以って右の腿を圧すなり。
衣帯を寛繋し、斉整ならしむべし。
 次に
右の手を左の足の上に安き、左の掌を右の掌の上に安く。両つの大拇指、面相い柱う。
乃ち正身端坐して、左に側ち右に傾き、前に躬り後に仰ぐことを得ざれ。
要らず、耳と肩と対し、鼻と臍と対せしむべし。
舌は上の腭に掛けて、唇歯相い著けよ。目は須らく常に開くべし。
鼻息微かに通じ、身相既に調えて、欠気一息し、左右揺振すべし。
兀々と坐定して、思量箇不思量底。不思量底、如何思量(卍本「箇の不思量底を思量せよ。不思量底、如何が思量せん」)、非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。


まず、冒頭の部分で、既に現代と異なることが分かる。現代は、畳の上に坐蒲(蒲団に同じ)を置いて、その上で坐る。膝の下は畳であるが、これが脚に悪い。よって、ここで書かれているように、まず「厚く坐物(坐褥)を敷く」べきなのである。そして、その上に「蒲団」を置き、そこで坐る。よって、膝の下は「坐物」となり、余計な摩擦を軽減すると同時に、脚への負担を和らげる。問題は、この「負担を和らげる」ことであって、それがあり、始めて長時間の坐禅を可能としている。その手当てがされないままに坐禅を行うのは、ただの我慢大会であり、仏行ではない。もし、各御家庭で行う場合には、それこそ『弁道法』に倣って、就寝用の敷き布団の上に坐蒲を置いて坐禅するのが良い。

それから、坐禅を行う場合の脚の組み方は、「結跏趺坐」か「半跏趺坐」である。方法は、ここにある通りなのだが、結跏趺坐は、右足を左足の上に載せ、その左足を右足の上に置くという両足を組む方法であり、半跏趺坐は、左足を右足の上に置くのみの半分組む方法である。また、これを降魔坐・吉祥坐などと、名称と機能とを論じる場合がある。例えば、面山師『聞解』もそうなのだが、その面山師がまとめられるように、道元禅師『正法眼蔵』「三昧王三昧」巻を見る限り、ここでいわれる降魔・吉祥、ともに虧闕無し、それが宗乗の坐禅である。よって、それ以上でも以下でも無く、名称にこだわる必要は無い。

その際、服装や帯は緩くかけて、しかも整える必要がある。『普勧坐禅儀』では「袈裟」についての説示が無いけれども、これは時間帯に応じて、搭袈裟の有無があるためで、詳しいことは『弁道法』をご覧いただくと良い。参考までに、臘八摂心中も、起床してすぐに坐禅を行う場合が多いと思うが、そのような朝一番の坐禅の時には、袈裟は着けない。ただし、夜就寝前に行う場合には、着けて行う。

また、手の形である。道元禅師はこの名称を用いられないが、一般的には「法界定印」ともいう。これも、右が上か?左が上か?と問う傾向にあるが、ここでは左を上にし、そして両手の親指はお互いくっつけるべきである。何故か、つかず離れず、等という人がいるけれども、それは意味がない。だいたい、今の定印は手が離れすぎている。「左の掌を右の掌の上に安く」とあるからには、掌の部分を重ねることを理想とする(現実には無理なので、それに極力近付けるべきである)べきで、その場合には親指を離す余裕は無い。もっと、グッと近付けて組むべきであり、それが「面相い柱う」という言葉に通ずる。

更に、「正身端坐」が説かれる。これは、前後左右に傾かないということである。中々、自分だけでは難しいと思うし、例えば会社勤めをしている人などで、どちらかの肩に鞄を掛けるような人は、身体の中心が傾いている場合もある。そうなると、意外と「正身端坐」は難しい。よって、最初は誰かに見てもらい、修正した方が良い。どうしても、体内の感覚と姿勢とが一致しない場合には、整体などに通うことも否定しない。

また、口の様子、目の様子、鼻の様子は文面の通りである。特に、呼吸は気を付けておきたい。基本的に、鼻呼吸である。よって、この時期に坐禅を行うのであれば、静室の湿度は十分に確保しておいた方が良い。その上で、「身相既に調えて、欠気一息し、左右揺振すべし」であるが、これは、調心⇒調息へと進むことをいう。身体の姿を調えたら、深呼吸を行う。なお、一回だけ行うのだが、これはあくまでも余計な力を抜くために行うのであって、むしろ、一回で足りないという場合には、『弁道法』に見える様に、「しばしば欠し」ということで良い。この深呼吸による力の抜け具合が、「兀兀と坐定して、思量箇不思量底。不思量底、如何思量、非思量」に至る。そして、この思量に至る一連のプロセスが、「此れ乃ち坐禅の要術なり」となる。

「兀兀と坐定して」というのは、左右揺振していくとき、徐々に粗い動きから細やかにし、最終的には留まる。その留まる状態が「兀兀と坐定」である(面山師『聞解』参照)。兀兀とは、巖の如く動かないことを意味するが、これは、スッと上半身に余計な力を入れずとも正しく立っていることを指し、だからこそ「坐定」である。なお、龍樹尊者『大智度論』巻7では、「諸の坐法中、結跏趺坐、最も安穏にして、疲極せず。此れは是れ、坐禅人の坐法なり。手足を摂持すれば、心も亦た散ぜず」とある。この「心が散じない」状態を、「思量箇不思量底。不思量底、如何思量、非思量」と表現しているとしよう。

まず、「思量箇不思量底」だが、不思量とは「思量できない」ということではなくて、「思量せざる」のこととして解釈せねばならず、我々自身の通常の「思量」の「外」に至ろうとする作用を指すのみである。では、どのようにして、その「外」に至るのか。「外」を意図的に空想しても、それは直ちに「思量」に回収されて、「外という思量」や、「不思量という思量」になるのみである。肝心なのは、「不思量底、如何思量」である。次のような解釈がある。

不思量は思量の本祖なり。思量は不思量の皮肉なり。如何思量は不思量底の思量を不審におもひて、如何と問訊するにはあらず。如何とは思量に彼此なく、能所なきを思量といひ、不思量といふなりき。是什麼物恁麼来のごとし。即不中なる説似一物のごとし。如何これ、非思量なり。非思量の文をみて、如何の問訊に答話とばかり参ずるは不遍参なり。非思量はこれすなはち坐禅の皮肉骨髄なり。ここをもて兀坐まぬかれず、思量非思量なり。しかも量をもて量することなかれ。
    瞎道師『点茶湯』


非常に勝れた解釈である。「非思量」に関して、これ以上に勝れた解釈は、後にも先にも存在しない。これに余計な言葉を付けることを拒否したくなるほどだが、敢えて示さねばなるまい。まず、「不思量」が「思量」の「本祖」であるという時、我々の思量とは、不思量を源泉とし、その交換に於いて成り立つことをいう。よって、思量は不思量が転じて「皮肉」として受肉した状態をいう。では、その受肉以前の「不思量」に至るに、ここでは「如何思量」を用いる。瞎道師が指摘されるように、これは「不審」とのみ限定されない。ここでは、「思量の彼此なく、能所なき」を「如何」としているのであり、これは、「問い」を媒介に、従来の知見への揺さぶりを掛けること、それにより彼此・能所という分別を破するのである。また、この「如何思量」を「非思量」だとしている点も、この無分別なる思量の様相を正確に表現しているといえる。だからこそ、「如何」という問いに答えて「非思量」なのではない。坐禅に於ける無分別なる思量、それを「非思量」というのであり、我々の兀坐とは、免れることなく「思量が非思量」となる。また、当然に坐禅が仏行である以上、その皮肉骨髄である「非思量」は「仏量」であるが、その場合、特定の「量」に落ち込まない。それを「量をもて量することなかれ」とはいう。不染汚である。

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