つらつら日暮らし

敗軍之将さらにどうする?

道元禅師の言葉は、様々な出典があるが、これなどは珍しい方に入るのかもしれない。

たとへばこれ、敗軍之将さらに武勇をかたる。
    『正法眼蔵』「王索仙陀婆」巻


なお、原典は良く知られていて、以下の一文がそれに当たる。

敗軍の将は以て勇を言う可からず。
    『史記』淮陰侯列伝


これは、漢の韓信に敗れた趙の李左車が、韓信から燕と斉を破る方法を尋ねられた際、恥じ入って述べた言葉とされる。要するに、戦で負けた者は、戦争について教えられることが無いという意味になろう。しかし、道元禅師の言い方は、「さらに武勇をかたる」となっていて、元々の意味とは正反対になっている。その意味で、何故このように改めたかが気になるわけである。この一文は、香厳智閑禅師が「王索仙陀婆」について尋ねられた際の問答が元になっている(なお、【昨日の記事】をご参照願いたい)。

 香厳襲燈大師、因みに僧問う、如何なるか是、王索仙陀婆。
 厳云く、遮辺を過ぎ来れ。
 僧、過ぎ去く。
 厳云く、人を鈍置殺す。
    『景徳伝灯録』巻11


意味としては、「遮辺を過ぎ来れ」は「こちらにおいで」の意、「人を鈍置殺す」は「人を舐めおって」の意。よって、香厳は或る僧に王索仙陀婆を聞かれた際に、その本人に「こちらにおいで」といい、実際に僧が近寄ってきたところ、「人を舐めおって」と怒った格好である。道元禅師はこの問答について、これらを「索仙陀婆」「奉仙陀婆」の両者の意味合いを加重することで説きおこそうとしており、そこから更に、この僧の行動について、「香厳の本期」であるか否かを問い質している。

もし、香厳の本期でなければ、「人を鈍置殺す」とはならないとしている。よって、香厳智閑一生の力を尽くした言葉であったが、喪身失命を免れない、誤った言い方だとしているわけである。その状況に、「敗軍之将さらに武勇をかたる」としていることになるが、だとすれば、本来あり得ない言葉であると出来よう。つまり、香厳が発した最初の言葉は、余りに不用意であり、この一段、王索仙陀婆を正しく道得できなかったことになろう。

よって、既に僧から「奉仙陀婆」されなかった、「索仙陀婆」たる香厳に対し、道元禅師はそれは「既に問答で敗れている者が、また道理を語ろうとしているのはおかしなことだ」と批判したことになるだろう。敗軍の将は、大人しくしていなくてはならない。まぁもっとも、ここでそんな大人な対応が出来るくらいなら、始めから「敗軍の将」にはなっていない気もするが・・・

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