つらつら日暮らし

坐禅終了時の鳴鐘の名称について

坐禅終了時の鳴鐘について、どうも2つの呼び方がある気がしていた。拙僧は以前、「抽解鐘」という名称を聞いていた気がするのだが、他に「放禅鐘」という言い方をしている人もいる。そう思っていたら、経行終了時と坐禅終了時とで名称が違うという表現をしていた人もいた気がするのだが、どうなんだろうか?

この辺、決まっているのかな?と思い調べてみたら、結果は以下の通りであった。

・「抽解鐘」 経行または坐禅を終る時、小鐘一声。
    『昭和改訂曹洞宗行持軌範』339頁


昭和27年の『昭和改訂』本では経行と坐禅の両方ともで、終了時の「小鐘一声」を「抽解鐘」だとしている。拙僧が最初に聞いていた名称はここが典拠となっている。だが、これがこうなった。

・「放禅鐘」 経行又は坐禅を終るとき、小鐘一声。
    『昭和訂補曹洞宗行持軌範』394頁


鳴鐘法としては全く同じ内容だが、名称が「放禅鐘」へと変更されたことが分かる。なお、この後の『昭和修訂』本も同じく「放禅鐘」であるから、現在の曹洞宗では経行及び坐禅の終了時は「放禅鐘」となっている。よって、その呼び方が、現段階の正式なものだと判断出来る。拙僧も今後は、「放禅鐘」で一決である。

さて、以下は、この名称に因む検討を行ってみたい。そもそも、この経行や坐禅の終了時の合図だが、鐘だったかどうかが曖昧である。もちろん、後夜(暁天)坐禅の場合は大開静なのと、四時坐禅の内、最も正式なのは早晨坐禅なので、その際の終了法を確認すると、以下の通りである。

・庫下の火鈑の鳴るを聞きて、大衆同時に合掌す。乃ち坐禅罷むなり。 道元禅師『弁道法』
・凡そ坐禅は、首座の管領なり。香已りて了らんと欲する時、聖僧侍者、首座に問訊す。是れを稟けて放禅するなり。即ち庫前の雲板、三下鳴らす。是れを火板と称す。是れ坐禅、罷るなり。 瑩山禅師『瑩山清規』


両祖の清規からは、同じように「火鈑(板)」が鳴るのを聞いて、坐禅を終えている。つまり、「鐘」ではないのである。それから、色々と名称の違いについても見えてきた気がする。まず、江戸時代の主要な清規は全て、両祖の清規と同じく「火鈑」で終えている。ところが、明治期以降は以下の通りとなっている。

庫堂の火版を聞て、堂行前後門の帳簾を上げ坐禅牌を下す。この時、直堂警策を収む。直堂、小鐘を鳴すこと一声。住持椅を下る。首座・大衆、同時に牀を下て問訊す。
    『明治校訂洞上行持軌範』巻上「日分行持法」


このように、「火版」の後、「小鐘一声」が入るようになったのである。そして、この名称が取り沙汰され、先のように決められてきたこととなる。「鐘」が入った理由はおそらく、「直堂」の警策回しが入ったためだろうと思われる。これが、江戸時代までには見えない行法で、その分、「火版」以降に行うことが増え、そのまま坐禅終了の合図とは出来なくなったに違いない。

ただし、明治期の軌範ではまだ、この「小鐘一声」の名称までは定まっていない。しかも、それまでに存在しなかった行法であるため、名称は考慮されたと思われるのだが、そこで出て来たのが「抽解鐘」だったようである。理由は、「抽解」の意味するところから付けられたものか。

忠曰く、坐禅坐参の抽解の如きは、則ち衣を解いて休息する時、亦た応に便利に行くべし。故に便利の義に通ずべし。掛搭の抽解の如きは、則ち唯だ是れ休息の義なるのみ。便利に通ぜず。故に抽解は、直に便利を放つを以て之を解すべからず。
    無著道忠禅師『禅林象器箋』巻14


このように、「抽解」は「休息」の意味だとされる。これを思う時、経行や坐禅を終えて休息する意味が「抽解鐘」だったのかも知れない。これは、経行の終了時の様子から知ることが出来る。

抽解とは一斉坐禅経行の時、一人だけ位を離れることを意味するのであるから、坐禅の終了の意味にはならぬが、今日では一般に坐禅終了の時と経行終了の時ともに小鐘または小磬を一声し、これを抽解鐘と云ひ慣らして居る。
    『昭和改訂曹洞宗行持軌範』27頁


こちらが、「抽解鐘」の命名理由である。ただ「終了」の意味をもって名付けられているが、「云ひ慣らして」という通り、当時の宗門で広く使われていたものか。ただし、「抽解鐘」は後に、以下のようになった。

経行鐘―小鐘二声―で経行を行なう。経行後、引続いて坐禅を行なう場合は、止静―小鐘三声―を入れる。経行後、東司―便所―等にいく時間を設けた後、坐禅を行なう場合には、放禅鐘―小鐘一声―を入れ、暫らくたつてから止静を入れる。
    『昭和訂補曹洞宗行持軌範』32頁


現状の坐禅法にも共通しているように思うが、経行の終了時の問題として、経行終わってすぐに次の坐禅に入る場合には、経行終了時の「小鐘一声」が入らず、そのまま「止静三声」である(つまり、「放禅鐘」はない)。だが、経行後に東司に行くためなどの休憩時間を設ける場合には、「小鐘一声(放禅鐘)」が入り、その後に坐禅を再開するタイミングで「止静三声」が入る。

問題は経行終了時の「小鐘一声」の名称だが、結果として「放禅鐘」にしたのが『昭和訂補』本であった。だが、これは正しかったのだろうか?先ほど引用した『瑩山清規』では、坐禅終了のことを「放禅」としている。そうなると、経行終了した後の休憩時間のための「小鐘一声」は、「抽解」に「休憩」の意味があることを思うと、「抽解鐘」で良かったように思う。一方で、坐禅終了時の「小鐘一声」は「放禅鐘」で良いと思う。

ということで、これは拙僧なりの簡単な考察ではあるが、以上の通り、坐禅に因む行法も色々と変遷していることを理解しておきたいと思う。

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