つらつら日暮らし

5月9日「呼吸の日」に学ぶ坐禅の呼吸

今日、5月9日は語呂合わせで「呼吸の日」らしい。以前は、機動戦士ガンダムに出てくるジオン軍のゴッグの日だと思っていたが、今日は「呼吸の日」に因んで、坐禅の呼吸について学んでみたい・・・と思ったが、決して難しくはない。

鼻息微かに通じ、身相既に調えて、欠気一息し、左右揺振すべし。
    流布本『普勧坐禅儀


呼吸の基本は、「鼻息微かに通じ」なので、実際には口を閉じて鼻から呼吸する。以下の御垂示もある。

鼻息は通ずるに任せ、喘がず声せず、長からず短からず、緩ならず急ならず。
    『弁道法


通ずるに任せというのは、ごく自然に呼吸することをいう。腹式呼吸などを強調すべきだという見解もあるが、実はそこまででも無いし、むしろ、そういった呼吸の強調が否定されている部分もある。

 上堂。
 衲子の坐禅、直に須らく端身正坐を先と為すべし。然る後に調息し、致心す。若し是れ小乗ならば、元より二門有り。いわゆる、数息・不浄なり。小乗人、数息を以て調息と為す。しかれども、仏祖の弁道、永く小乗と異なれり。〈中略〉
 大乗、亦た調息の法有り。いわゆる、是れ息の長し、是れ息の短しを知る、乃ち大乗調息の法なり。息、丹田に至り還た丹田より出づ。出入、異なれりと雖も、倶に丹田に依りて而も入出す。無常、暁らめ易く、調心、得易きなり。
 先師天童云く、息、入り来って丹田に至る。然りと雖も来処従うこと無し。所以に不長不短なり。息、丹田より出でて去る。然りと雖も去る処得ること無し。所以に不短不長なり。
 先師、既に恁麼に道う。永平、或いは人有りて問わん、和尚、如何が調息せん。只だ他に向かって道わん。大乗、小乗に異なるに非ずと雖も、小乗、大乗に異なるに非ずと雖も、他、亦た畢竟如何と問うこと有れば、他に向かって道わん。出息入息、長に非ず短に非ず。〈以下略〉
    『永平広録』巻5-390上堂


以上の通り、ここで道元禅師が示される「大乗調息の法」に従う人も多い印象だが、以上の通り、出入の息は、長短を絶することが求められており、いわば「鼻息は通ずるに任せ」になるのである。拙僧自身の実感だが、その時の体調次第で、息は長くもなるし、短くもなる。疲労などがあって、身体が強ばると、どうしても息は短くなる。ゆったりと坐禅できているときには、息は長くなる。

これを、無理矢理に長くしよう、短くしようと調整することが「調息」だと思う人もいるようだが、それでは「鼻息通ずるに任せ」とはならない。そうなると、坐禅に入る時には既に呼吸の様子は決まっている。そして、坐禅の前後、堂内ではゆったりと行動し、歩くことが求められる。

とにかくとらわれない、ゆったりと、という呼吸こそが坐禅の呼吸なのである。

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