ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧千畑町千屋を往く-3(その3)

2019年06月22日 | 旧千畑町を往く

<旧「美郷町郷土資料館」=「千屋小学校本堂分校」の建物>

●歩いた日:2019年6月4日(火)

●歩いた所

 ・本堂城回:若林、馬場

 ・土崎  :上野乙

 ・千屋  :上向野

 ・浪花  :南荒井

●歩いたログ(足跡)(道のり6.0km)

(以上の地図:国土地理院)

 「一丈木」の五差路から県道を東に望む。

(「一丈木」の並木道3)

 こちらも見事な並木道である。道左手が「トイレパークいちじょうぎ」、右手がグランドである。少し進むと「トイレパーク」への入口に古い石柱が2本立つ。

(昔の公共施設の門?)

 車の奥がトイレ、さらにその奥に「美郷町武道館」の看板がかかる建物がある。明治のむらづくりで集中配置された公共施設は役場、小学校、公会堂、郵便局のようだが、小学校と郵便局が現在の位置と変わらないとすると、ここは役場か公会堂が置かれた場所と思われる。石柱のすぐ奥の木立は、大きな建物の正面によく造られる植え込みのようにも見える。

 さらに東に進むと、左手の木立の中に「高階貞之助」と刻まれた大きな石碑がある。「高階貞之助」はM30年からT7年まで「千屋村」の村長を務めた人で、その時期は「坂本理一郎(東嶽)」による並木道づくりなどの農村建設と重なっている。

 石碑の右手奥に洋風建築の古い建物がある。

(旧「美郷町郷土資料館」)

 この建物は、前回のブログ、「千屋-2」で訪れた「本堂城回自治会館」、「星山清水」のところで触れたが、その会館の場所に「千屋小学校本堂分校」としてM45年建てられた建物が、S44年に分校の閉鎖に伴ってここに移築されたものである。小さな小学校校舎にふさわしい、洒落たかわいい建物である。M45年にこんな斬新な校舎を見た「本堂城回」の人たちはさぞびっくりしたことだろう。

 ここに移転した後は昔の生活用品や農具などを陳列した郷土資料館となっていたはずだが、今回立ち寄ると郷土資料館の看板はなくなっており閉鎖されている。

 県道をまた東に進むと並木が途切れ、道の両側には家屋が建ち並ぶ。店の看板もたいぶ見られるが空地も目立つ。村中心部の商店街だったようだ。その中を通り過ぎてさらに行くと道が斜めに交わる十字路に至る。そこで振り返る。

📷005:「一丈木」の県道、商店街通り?

 道奥の並木道を抜けた辺りに店の看板が見える。昔はもっと多くの看板が立ち並んでいたことだろう。

 カメラを少し左手(南側)に向ける。西から合流するもう一本の道は、交差点のすぐ手前まで並木道となっている。

(「一丈木」の並木道4)

 思わず見入ってしまう真っすぐな並木道である。「一丈木」の並木道の中ではここが最も長く、地図で測ると1kmほど続いている。

 (その4に続く)


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