それを見たら、駄目でした。ああ、この人はこんなに弱くてかっこ悪いんだ。そう思ったら駄目でした。私、○○(ネタバレになるため伏字)を好きになってしまった。そばにいたいと思ってしまった。
子どもたちは夜と遊ぶ/辻村深月 第十章「蝶々と月の光」
愛する辻村深月作品。読むのは三度目ですが、読み終わった後放心してしまいました。なんて、すごいんだろう、この人は。
以下ネタバレ。
(以下は『ぼくのメジャースプーン』のネタバレを一部含みます。)
私、辻村深月さんの作品の中で、月子が一番好き。
月子は決して完璧な人間じゃないんです。『ぼくのメジャースプーン』の中の"ぼく"やふみちゃんの方が、よっぽどしっかりしてるけど。私は不完全な月子が好き。欠点がある月子が好きなんです。
月子の物言いがすごく好きだ。「あなたのそういうところ、大好き。」「あなたのそういうところ、大嫌い。」「あなたは本当に格好いい。」それでこそ月子だ。澄ました言い方が良く似合う。
こんなに感情移入できる登場人物って、きっと他にいない。月子が死んじゃうかと思った時、あたしは本気で泣いたよ。第十章「蝶々と月の光」での、めちゃめちゃな月ちゃんの感情。時系列もバラバラで、事実と妄想が入り乱れるあの文章。だけど痛いほど伝わってくる、月ちゃんの気持ち。あなしは泣いたよ。あなたを失うことが怖くて泣いたんだ。
月ちゃんは自分の命に代えてまで、浅葱を守ろうとした。言葉にすると陳腐だけれど、これは事実だ。だって秋先生の能力には誰も逆らえない。
先生は言ってた。みんな、罰が嫌だから、必死に条件をクリアしようとするんだって。なのに月ちゃんはそれでも罰を受け入れた。浅葱が捕まるくらいなら、自分は死んでも構わないって。
そんなこと、あってはならないことなのに。自分の命を投げ出すなんて。ふざけるな。月ちゃんが死んだら、みんなが悲しむ。
でもそれ以上に、月ちゃんの浅葱への愛に泣かされた。誰かを愛するってこういうことなんだ。月ちゃんは一度も浅葱への思いを本人に対して口に出したことはなかった。けれど言葉じゃない、愛は行動なんだって、『ぼくのメジャースプーン』と同じことを思ってしまうよ。
そんな月ちゃんが愛する浅葱。最初読んだ時は、浅葱ってそんなに魅力的なキャラかな?と思ったんです。けれど三度目にもなると、浅葱の弱くてどうしようもないところも含めて抱きしめたいと思う。
特に、他人に触れられることを異常なまでに拒否していた浅葱が、月子の手を受け入れようとするところ。月子の手があたたかくて、それを欲しいと思うところ。それでも自分のものにならない。好きだから、他人のものである月子が憎い。
以下は第九章「ポビーとディンガン」から引用です。
"ああ、そうだ。ああ、そうだよ。萩野さん。俺には月子が必要だ。この白い手が狂おしいほど欲しい。そうだよ、萩野さん。俺は、月子を。"
浅葱は月子に出会ったその時から月子に惹かれてた。浅葱がiとの殺人ゲームに苦しんでいた時、助けを求めるのはいつも月子だった。
月子は俺を選ばない。そう思って殴った浅葱が、月子の財布の中に自分の写真を見た時、彼は。
そうして彼はいなくなってしまった。私が愛した浅葱は死んでしまった。もうここにはいない。
第十二章「藍色とライト」の浅葱が本物の彼で、浅葱の方が偽の人格なんだって。分かった時も、私はiを、本物の浅葱を許せなかった。だって浅葱は辛い思いをした。辛い経験、全部浅葱に押し付けたのはあなたじゃない。あなた誰なのよ。浅葱を返してよ。浅葱を月子の元に返してよ。
iを許す要因があるとすればそれは、上原愛子のこと。iは彼女のことが好きだったんだろうか。それなのに浅葱のせいで殺さなければならなくなった。それを恨んでいたのだろうか。
多くの人が言っているように、エピローグ「月子と恭司」で出てくる浅葱は、iとθの共同人格と言いますか、第三の新たな人格なんでしょうね。それにしても辻村さん、「月子と恭司」なんて題名がずるい。
エピローグと言えば、恭司ですよね。彼がiであるという展開も、きっと面白い。iには同居人がいるという推察、弟と家族を亡くした過去、恭司が本当はiなのでは?という疑惑も抱いてしまいます。
しかし恭司はあんな風なデタラメな人だけど、愛に満ちている人だと思う。だから恭司はiではあり得ない。狐塚と月子のこと、本当に大好きで、だから彼なりの方法で守ろうとした。
ここからは登場人物の話ではなく、構成について述べたいと思います。
iはもう一人のθなのでは?という想像は、かなり早い段階からつきます。それはiが今田を殺すからです。今田を殺す理由はiにはないはずです。この時点で揺るぎないi=θ説が確立されてしまう。これ以降、iが恭司なのでは?というのは通用しなくなってしまうんですよね。これが些かもったいないかと。
浅葱がθのターンで夏美を殺したところ。後に振り返っても、夏美を殺した時、罪悪感に苛まれていた傾向が浅葱に見られないところ。これが少し残念で、私が浅葱を好きになりきれない理由の一つです。夏美は確かに生きることに希望を抱いていなかったかもしれない。けれど死にたかったわけじゃない。死ななければならないようなことをしたわけでもない。彼女だって一人の生身の人間だ。ゲームの一部にされて、簡単に殺されていいはずがない。
完成度は『ぼくのメジャースプーン』の方が高いでしょう。ミステリーというにはトリックもいまいちだし、疑問点も残る。けれど私は本作の方が好きだ。本作の不完全なところがどうしようもなく好きだ。
これからの彼女たちの未来を願わずにはいられない、そんな作品です。
子どもたちは夜と遊ぶ/辻村深月 第十章「蝶々と月の光」
愛する辻村深月作品。読むのは三度目ですが、読み終わった後放心してしまいました。なんて、すごいんだろう、この人は。
以下ネタバレ。
(以下は『ぼくのメジャースプーン』のネタバレを一部含みます。)
私、辻村深月さんの作品の中で、月子が一番好き。
月子は決して完璧な人間じゃないんです。『ぼくのメジャースプーン』の中の"ぼく"やふみちゃんの方が、よっぽどしっかりしてるけど。私は不完全な月子が好き。欠点がある月子が好きなんです。
月子の物言いがすごく好きだ。「あなたのそういうところ、大好き。」「あなたのそういうところ、大嫌い。」「あなたは本当に格好いい。」それでこそ月子だ。澄ました言い方が良く似合う。
こんなに感情移入できる登場人物って、きっと他にいない。月子が死んじゃうかと思った時、あたしは本気で泣いたよ。第十章「蝶々と月の光」での、めちゃめちゃな月ちゃんの感情。時系列もバラバラで、事実と妄想が入り乱れるあの文章。だけど痛いほど伝わってくる、月ちゃんの気持ち。あなしは泣いたよ。あなたを失うことが怖くて泣いたんだ。
月ちゃんは自分の命に代えてまで、浅葱を守ろうとした。言葉にすると陳腐だけれど、これは事実だ。だって秋先生の能力には誰も逆らえない。
先生は言ってた。みんな、罰が嫌だから、必死に条件をクリアしようとするんだって。なのに月ちゃんはそれでも罰を受け入れた。浅葱が捕まるくらいなら、自分は死んでも構わないって。
そんなこと、あってはならないことなのに。自分の命を投げ出すなんて。ふざけるな。月ちゃんが死んだら、みんなが悲しむ。
でもそれ以上に、月ちゃんの浅葱への愛に泣かされた。誰かを愛するってこういうことなんだ。月ちゃんは一度も浅葱への思いを本人に対して口に出したことはなかった。けれど言葉じゃない、愛は行動なんだって、『ぼくのメジャースプーン』と同じことを思ってしまうよ。
そんな月ちゃんが愛する浅葱。最初読んだ時は、浅葱ってそんなに魅力的なキャラかな?と思ったんです。けれど三度目にもなると、浅葱の弱くてどうしようもないところも含めて抱きしめたいと思う。
特に、他人に触れられることを異常なまでに拒否していた浅葱が、月子の手を受け入れようとするところ。月子の手があたたかくて、それを欲しいと思うところ。それでも自分のものにならない。好きだから、他人のものである月子が憎い。
以下は第九章「ポビーとディンガン」から引用です。
"ああ、そうだ。ああ、そうだよ。萩野さん。俺には月子が必要だ。この白い手が狂おしいほど欲しい。そうだよ、萩野さん。俺は、月子を。"
浅葱は月子に出会ったその時から月子に惹かれてた。浅葱がiとの殺人ゲームに苦しんでいた時、助けを求めるのはいつも月子だった。
月子は俺を選ばない。そう思って殴った浅葱が、月子の財布の中に自分の写真を見た時、彼は。
そうして彼はいなくなってしまった。私が愛した浅葱は死んでしまった。もうここにはいない。
第十二章「藍色とライト」の浅葱が本物の彼で、浅葱の方が偽の人格なんだって。分かった時も、私はiを、本物の浅葱を許せなかった。だって浅葱は辛い思いをした。辛い経験、全部浅葱に押し付けたのはあなたじゃない。あなた誰なのよ。浅葱を返してよ。浅葱を月子の元に返してよ。
iを許す要因があるとすればそれは、上原愛子のこと。iは彼女のことが好きだったんだろうか。それなのに浅葱のせいで殺さなければならなくなった。それを恨んでいたのだろうか。
多くの人が言っているように、エピローグ「月子と恭司」で出てくる浅葱は、iとθの共同人格と言いますか、第三の新たな人格なんでしょうね。それにしても辻村さん、「月子と恭司」なんて題名がずるい。
エピローグと言えば、恭司ですよね。彼がiであるという展開も、きっと面白い。iには同居人がいるという推察、弟と家族を亡くした過去、恭司が本当はiなのでは?という疑惑も抱いてしまいます。
しかし恭司はあんな風なデタラメな人だけど、愛に満ちている人だと思う。だから恭司はiではあり得ない。狐塚と月子のこと、本当に大好きで、だから彼なりの方法で守ろうとした。
ここからは登場人物の話ではなく、構成について述べたいと思います。
iはもう一人のθなのでは?という想像は、かなり早い段階からつきます。それはiが今田を殺すからです。今田を殺す理由はiにはないはずです。この時点で揺るぎないi=θ説が確立されてしまう。これ以降、iが恭司なのでは?というのは通用しなくなってしまうんですよね。これが些かもったいないかと。
浅葱がθのターンで夏美を殺したところ。後に振り返っても、夏美を殺した時、罪悪感に苛まれていた傾向が浅葱に見られないところ。これが少し残念で、私が浅葱を好きになりきれない理由の一つです。夏美は確かに生きることに希望を抱いていなかったかもしれない。けれど死にたかったわけじゃない。死ななければならないようなことをしたわけでもない。彼女だって一人の生身の人間だ。ゲームの一部にされて、簡単に殺されていいはずがない。
完成度は『ぼくのメジャースプーン』の方が高いでしょう。ミステリーというにはトリックもいまいちだし、疑問点も残る。けれど私は本作の方が好きだ。本作の不完全なところがどうしようもなく好きだ。
これからの彼女たちの未来を願わずにはいられない、そんな作品です。
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