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デスノート Light up the NEW world/ネタバレ

2016-10-30 16:48:43 | 日記
ギャグ映画だと思えば怖くないと思い、いざ拝見。

以下ネタバレ。

少しでも何かを期待した私が馬鹿だった。ツッコミどころが多すぎて追いつかない。

まず、最初のロシアのシーンの退屈さ。見知ったキャストが出る邦画だからこそ展開の遅さが許されるのに、いきなり外人がデスノートを使って人を殺すまでが長々と描かれる。

やっと日本に戻ってきたと思ったら、青井さくらの無差別殺人。青井さくら演じる川栄李奈さんの演技は良いのですが、捜査する警察の杜撰さ。顔が分かれば殺されるという情報が事前に分かっているのであれば、マフラーなんかで顔を隠さずにガスマスク位被ってきて欲しいし、周りの通行人にも顔を隠すように呼び掛けてほしかった。

続いて死神ベポの登場。せっかくの松坂桃李さんの声が加工されているのでよく分からず、残念。

ここからいよいよ元の映画で出演されていた弥海砂やらキラこと夜神月やらLやらの怒涛の登場。PCやTVがハッキングされたことによる藤原竜也さんの押し売り感。なぜか夜神月が生きている設定のまま話が進みます。しかし、夜神月が死んでいることは明白なのでこちらとしては興醒め。弥海砂や紫苑が夜神月ならぬ何者かを追いかけるシーンは、最後までいかないと滑稽。

そして、竜崎を殺したいので直接会いたがる紫苑の罠にまんまとハマる警察。もっとちゃんと顔隠して!とここでもイライラ。原作の愛されキャラである松田さんの死亡。そして、七瀬の「松田さんに本当の名前言えなかった、松田さんは私の本当の兄、、「言うな!」阻まれて最後まで聞こえなかったけど、七瀬の兄は松田さんだったってこと?松田さんを殺したのは紫苑なのに、ラストで三島を殺そうとするのは不可解だった。

最終対決スタート、まずは竜崎と弥海砂との接触。弥海砂が竜崎を殺すのは分かるとして、自分の名前をデスノートに書くくらいの覚悟があるにもかかわらず、迫りくる警察を二人も殺す必要あったの?自身の安らかな死のため?(だから顔隠して以下略)

次に、死んだはずの竜崎と紫苑との再会。"竜崎が本物のノートと偽物のノートを入れ替えていた"と思わせたり、"竜崎が先に自分で名前を書いていた"と思わせたり、原作と一緒じゃん!と思ってたら、そうじゃない。とは言っても、"所有権を放棄して記憶を失っていた三島が新生キラだった"というのも、原作のオマージュそのものなのだけど。

三島が実は所有権を放棄して記憶を失ったところからスタートしていたっていう、ここがこの映画で一番脚本に力を入れたところだと思うのだけど。この三島の行動が意味不明すぎるんです。

そもそも、夜神月の子供!?(笑)って感じなんですよ、こちらとしては。Lと真っ向勝負してたあの時に、子供なんて作ってたって何かの冗談ですか?

三島が新生キラとして犯罪者を殺していたのは、まあいいんですが、なぜ三島はすぐに竜崎を殺さなかったの?三島と竜崎が知り合った時点では、三島は竜崎にこれっぽっちも疑われていないわけだから、どうとでも殺せますよね。心臓麻痺がダメなら適当な理由で殺せばいい。なのに、なぜ竜崎が死ぬ日を先延ばしして書いたのか?

また、なぜ三島はデスノートを6冊を集めることに固執していたのか?自身のデスノートがあるならば、そのノートで粛々と犯罪者を殺していけばよかったのでは。それなのになぜ、6冊のデスノートを集めるためにわざわざ所有権を放棄しなければならないのか。理由がさっぱり分からない。

自分がキラだと思い出した三島と、三島にデスノートに自分の名前を書かれたと分かった竜崎。殺し殺され敵対する関係にある二人が、なぜか互いを守ろうとする超展開が始まります。国家にデスノートが渡ってはいけないというのは分からなくはないですが、もとより三島はキラなんですよ。キラにノートが渡る方がどう考えたってアウトだし、なんなら自分を殺した犯人が目の前にいるのになぜ庇う?

二人が互いを庇いながら逃走している謎展開の最中、紫苑はあっけなく死亡。最後の力を振り絞って三島の本当の名前を書けば良かったものを、なぜか最後まで迫りくる警察を殺し続けることに徹します。紫苑が撃たれてから死亡するまでの菅田将暉さんの演技は最高でした。

そして、兄の敵討ち?なのか七瀬が三島を殺そうとすると、アーマが七瀬を殺すという。アーマが竜崎のために誰かを殺してくれるとは思ったけど、今なの?そこなの?と疑問。

最後、何度目のなぜかを繰り返して、竜崎はまた出回ってしまったデスノートの捜査のため、三島を送り出す。三島は自分を殺した犯人なのに、三島はLが憎んだキラの後継者なのに、正義の面を被った大量殺人犯なのに!

それぞれのキャラとしては、ツンデレのツンが行き過ぎた竜崎が可愛く思えるところもありました。この人は三島と本当に友達になりたかったのかもしれない。だから「俺のことが信用出来ないなら撃てぇぇぇ!」とツンすぎるツンデレを発揮したり、自分を殺した憎き三島を許し助け助けたかったのかもしれない。しかし、そうであるならば、三島と竜崎との友情関係が構築されるまでの過程が欲しかった。

エンドロール後の夜神月による名台詞「計画通り」には、さすがに爆笑してしまいました。もちろん夜神月がここまで展開が読めているはずがないのですが、ある意味夜神月の思い通りになった気はします。邪魔者である竜崎を抹消し、新生キラが竜崎の後継者としてデスノートの捜索を行う、三島がキラであり竜崎である最終形態。後はテロリストからデスノートを奪い取り、粛々と犯罪者を殺して平和な世の中を築いていけばいい。

このオチって結局のところ、キラ擁護になってしまうのでは?原作も映画も然り、そこにどんな大義名分があったとしても、殺人は決して許すべからず。一番シンプルでありますが、それこそが伝えたかったメッセージだったはず。それは夜神月VS竜崎という対立を明らかにさせ、竜崎が夜神月を完全に倒すことによって、そのメッセージを伝えようとした。それは作品を見た全ての人たちが、我々は仮にデスノートを手にしたとしても、悪人の罪を裁いて殺すことは出来ないという、"殺すこと"への抑止力に繋げたかったのではないだろうか。

しかし、本作のこの終わり方では、キラが罰せられていない。キラが死んでこそ伝わるメッセージが、これじゃあ台無しだ。であるならば、結局何を伝えたかったのだろう。竜崎の三島に対する盲信的な愛?だとしたら、これは相当なギャグ映画だ。

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