カボスクラブ

消化器・小児外科勉強会Case and Evidence Based Surgery(通称:カボスクラブ)の活動報告

運河の向こう側とこちら側

2015年07月10日 | 学会


バンコクに着いた途端、彼がそれまでに見た風景も、人間も、なぜか色を失い、表情を隠し、心のどこかに潜り込んで出て来なくなってしまったのである。野口は、そんな自分の心境を、小堀に言った。小堀は薄く笑い、「バンコクの魔法にかかったのさ」と答えた。
「バンコクの魔法?」
「そう、バンコクの魔法・・・・・。この国には、なんか媚薬みたいなものがたちこめてる。車の排気ガスや、サムローとかオートバイの音ぐらいではその媚薬の邪魔は出来ないって感じだよ。」

彼は、エメラルド寺院を覆う色ガラスをまぶしく見つめ、本堂の壁画・ラーマヤナ物語を丹念に目で追い、ワット・ポーの巨大な涅槃仏像の近くを行ったり来たりし、ワット・スタットの大ブランコの前でたたずんだ。すると、自分のあらゆる出発点に、世界放浪という贅沢な時間と労力を費やしたことが、じつに馬鹿げたお遊びと徒労とに感じられたのである。





彼女は、そのあと小舟に乗り換えて、運河にひしめく物売りの女たちの群れに入った。それは、まさしく生命力のるつぼであった。貧困、刻苦、勤労、運命、虚偽、闘争、肉欲、物欲、慈愛、嫉妬・・・・。それらが全て笑顔に包含されて、ぶつかり、譲り合い、融合していた。すると、おそらく一瞬という時間の何千分の一秒という時間の中で、恵子の持つ清純なものと不純なものとが、入れ替わったのであった。
その経験は、恵子に、人生の機微にまつわる無数のタネ明かしを教えた。

恵子が、この一週間で得た夥しい知識と処世観の中で、厳密にわきまえておかなければないにもかかわらず、わきまえ方を実際の行動として体現できないものは、運河の<向こう側>と<こちら側>との世界を分断し、なおかつ、行き来する小舟を用意しておくという点だった。
世界のいたるところに、<向こう側>と<こちら側>とがあり、それはなにもタイだけの現象ではなかった。けれども、タイという国は、ことのほか<向こう側>と<こちら側>との境界は遠く、その境界を成すものは、多くの場合、運河であると恵子は知ったのである。


宮本輝「愉楽の園」より