オルガン同好会員のネタ帳

オルガンなのにあえて近現代志向

ヴィドール:交響曲第8番

2010年12月09日 | 雑記
ヴィドールの第8オルガン交響曲は、ある意味破格の交響曲である。

最初の3楽章は、まあ普通の交響曲の冒頭3楽章と言える。アレグロがあり、中間楽章とスケルツォ。
しかし、フィナーレ楽章にあたる部分で突然「プレリュード」が始まる。ここで一気に雲行きが怪しくなってくる。3楽章まで来ておいてプレリュードなんて、「まだまだ続くぞ!」と言わんばかりだ。そして、変奏曲と第2の緩徐楽章があり、やっとフィナーレに辿り着く。このフィナーレは内容はあるもののやけにあっさりしている。全部で7楽章(6楽章とするところもある)。演奏時間はやたらと長い。
楽章構成は以下のようになっている。

1. Allegro risoluto ソナタ形式
2. Moderato cantabile
3. Allegro スケルツォ
4. Prelude, Adagio
5. Variations, Andante 変奏曲。非常に長い!
6. Adagio
7. Finale Tempo giusto

10楽章構成の「トゥーランガリラ交響曲(メシアン)」や11楽章構成の「交響曲第14番(ショスタコーヴィチ)」に比べれば大したことないものの、全部で7楽章はロマン派交響曲としては破格の楽章数である。最初の3楽章とて決して短い楽章ではないのだ。
恐らく、4楽章にプレリュードがあるのだから、これ以前と以後では区切って考えるべきなのだろう。すなわち、本来フィナーレ楽章であるべき部分に、さらに4楽章構成の楽曲を代入したためにこのような形になっているのだろう。前奏曲付の変奏曲がメインで、それに間奏曲と快速なフィナーレが続く。この一連の流れが、まとめて「第8交響曲」のフィナーレに相当するのだ。それならば、「フィナーレ楽章」である第7楽章はフィナーレの一部に過ぎないので、5,6分程度で終わってしまうのも納得である。

こうした曲の中に曲があるというのは、劇中劇という言葉があるように非常に劇場的である。無論ヴィドールの交響曲が唯一の例ではないものの、保守的な様式を後の時代まで引き摺って来たオルガン音楽において、前衛的なことをしようとすればこのような方法を取らざるを得なかったのかもしれない。

しかし、やっぱりオルガン曲としては長すぎる気がする。いくらストップのヴァリエーションがあっても、オーケストラに比べれば出来ることは遥かに少なく、ともすれば飽きられかねない。ヴィドール自身もそれを感じていたようで、自らの交響曲5~8番から抜粋したダイジェスト版を作曲したりもしている。
オルガンは、拡張性が高い一方でその拡張性では補えない限界があったのではないか。

しかし、時代は既に近代に入っていた。モダニズムの影響を受けて、オルガン音楽も刻々と変わってゆく。そこにオルガンの保守性と制約が有利に働いたと思う。新たな時代感覚を持ちながら、前衛に走り過ぎず、過去に根ざした完成度の高い作品群が次々と現れた。ヴィエルヌの交響曲群などがそうである。