オルガン同好会員のネタ帳

オルガンなのにあえて近現代志向

ストロンコ: 星のこえ (4つのオルガンのための小品)

2018年02月28日 | オルガン音楽
 現代のオルガン音楽の多くは、どういうわけか東欧諸国――いわゆる旧共産圏――で盛んに創作されています。では東欧にはパイプオルガンがたくさんあったのかというと、そうでもないようです。正教会では普通はオルガンを使わない筈ですし、ソ連時代には弾圧も受けています。
 どうもオルガンは大衆向けの楽器としてではなく、前衛芸術が抑圧されてきた旧共産圏において、当局の目を盗んで作品を発表するための媒体として用いられてきたフシがあります。オーケストラを用いるとどうしても事前の合わせが必要となり、楽譜も作らないといけません。一方、オルガンはひとりでオーケストラのような演奏が可能で、その気になれば楽譜も作らず自分で弾いて発表することができるので、前衛手法を用いた楽曲を発表する上ではより安全だったと思われます。
 そんなこんなで、東欧諸国の特異な環境が、伝統に囚われない斬新なオルガン独奏曲を多数生み出すこととなりました。西側の現代オルガン曲が(同時代の他の編成に比べると)保守的な傾向を見せているのとは対照的です。そして、ソ連が崩壊した現在においても、東欧の進歩的なオルガン文化は細々と生き延びているようです。
 ボリスラフ・ストロンコはウクライナに生まれ、多様な編成のための音楽を作曲している現代作曲家です。様々な時代の様々なスタイルを取り入れた折衷的な作風を持ち味としています。今回演奏する「星のこえ」は非宗教的な作品ですが、典礼曲も作曲しています。
 「星のこえ」は性格の異なる4つの小品で構成されています。複調的な和音列が反復されながら進行する第1楽章、複数の異なる拍子が同時進行するように書かれた第2楽章、強烈な色彩を放つ舞曲調の第3楽章の後に、とりわけゆったりしていて、拍節感のあいまいな第4楽章が待ち受けます。最後の和音も複調的であり、循環的な構成となっています。
 ところで、この作品の標題が意味するものは何でしょうか。「星のこえ」というタイトルからは、宇宙を漂う星々の歌声がイメージされるかもしれません。しかし、我々にその声を聴く術はありません。ゆえにこの「星のこえ」に書かれているのは、おそらく経験的な音ではありません。それでも、作曲者が持つ何らかのイメージが技法に転化され、作品に反映されている筈です。
 どういうことかというと、例えば、作曲者が海を見て感動し、波に着想を得た旋律を書いたとします。それを演奏しても、必ずしも波の音が聞こえるわけではないし、もちろん海の映像が浮かぶわけでもありません。しかし、その聴感から、「これは波のイメージを反映しているんだな」ということを読み取ることは可能です。我々は作曲者の抱いたイメージそのものではなく、そのイメージを射影した音楽的な記号を聴くのです。標題音楽には、常にこのような記号操作の遊戯が隠れています。
 それゆえ、標題音楽は絶対音楽に比べて難解であるといえます。標題音楽は、フーガやソナタのような絶対音楽のルールを把握する必要があり、その上で標題と音符との間に張り巡らされた写像関係を(先人の絵解きも参考にしながら)自ら読み解いていく必要があります。耳触りの良い旋律や響きだけを追っていくのもひとつの楽しみ方ではありますが、全曲が耳触りの良さに終始する曲は多くなく、またそのような曲はすぐに飽きられてしまうでしょう。
 クラシック/現代音楽は「心地よい音を聴く」という行為だけに飽き足らない、知的ゲームとしての側面を持っています。新体操やフィギュアスケートの華麗な演技を単に見て楽しむこともできますが、それらの競技としてのルールや採点基準などを学ぶことで、また新たな楽しみ方ができるようになります。サッカーや野球も、ルールを深く理解することでプレーヤーの意図が読み取れるようになり、より面白くなります。音楽にも同じような楽しみ方があります。標題音楽は音楽の奥深さを示す存在であり、新たな視点を開く取っ掛かりとなり得るもの、と言えるのではないでしょうか。