横須賀海軍工廠(現、米海軍横須賀基地)内には6つの船渠(ドライドック)がありました。
横須賀の近代歴史資産の雄、第1号ドックと空母信濃を建造した悲劇の6号ドックはあまりにも有名ですので、
今回はあまり話題にならない5号ドックを紹介します。
明治44年7月起工、大正5年に完成しましたが、戦艦の大型化が進み、戦艦天城級(横須賀市史では山城級と記載)を入渠させるために、約70mの延長工事を行い大正13年に完成しました。
掘削工事で出た残土は、楠が浦の埋立に使用されました。
当初は約242mありましたが、延長工事の結果、約312mとなりました。
コンクリートと石材で造られたドックは、他のドックと同様、今も現役で使用されています。
クレーンは60トンが1基、8トンが1基の計2基がありましたが、現在更新されています。
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