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館林近隣地域情報・神社・仏閣・公園・公共機関施設その他ある日ある時のささやかメモ 

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終南山 見松院 善導寺 つつじの館林七福神めぐり

2007年04月04日 20時00分23秒 | 神社・仏閣
〒374-0004 群馬県館林市楠町3692
          電話 0276-72-1259






写真は上から山門、本堂、榊原康政の墓、六地蔵、庭園。
和銅元年(708年)行基菩薩よって開創。1300年の歴史をもつ名刹。
浄土宗。御本尊阿弥陀如来。堂宇は本堂以下六つを数える。

館林の都市計画に伴い
昭和59年現在地に再び移転再建の運びとなり
平成2年完成。

またつつじの館林七福神めぐりのひとつとなっており
毘沙門天(槍を持ち甲冑に身を包む)が祀られている。

つつじの館林七福神会事務局
〒374-0132 群馬県邑楽郡板倉町板倉2328-1
          雷電神社社務所内
          電話0276-82-0007
          http://www10.ocn.ne.jp/~fuku7/

善長寺  水仙と館林七福神めぐり寿老尊 渡し船

2007年04月04日 00時25分23秒 | 神社・仏閣

写真はつつじが岡公園から対岸の善長寺全景および山門を望む。




善長寺鐘楼堂建立の記によると
大永3年(1523)大雲惟俊大和尚によって
現在の地に開山。開基は館林城主赤井孫七郎範候、
その後、江戸時代同じく館林城主榊原忠治(後に松平忠治候)が
ご生母祥室院殿のご供養のため中興開基となって伽藍の整備を行った。
ちなみに忠治候は後に館林城主より姫路城主に移封されている……
1825年火災により全焼……とある。

水仙の見頃は3月中旬から4月上旬。

また善長寺の前からつつじが岡公園へつつじ祭り期間は渡船が出ます。
車の渋滞を避けてここから船で花山へ行くのも風情があります。


 「徳川四天王の一人榊原康政が館林城主に封ぜられたのは天正十八年。
康政の寵愛を一身に集めた側室お辻の方は、それ故に正室の妬みを受け、
余りの仕打ちに耐えかねて侍女お松とともに城沼に入水して果てた。
時に慶長十年のことという。それを痛く悲しんだ康政は、
お辻の方の霊を弔うために、城沼南岸の岡につつじの株を植えた」と
伝説は伝えています。

 
七福神の一つ寿老尊が祀られている。杖を携え肩に桃の実を乗せておられ
長寿の願いをお聞きになると言われている。

〒274-0006  群馬県館林市当郷町1975 
           電話0276-72-0099

つつじの館林七福神会事務局
〒374-0132  群馬県邑楽郡板倉町板倉2328-1
           雷電神社社務所内
           電話 0276-82-0007
           http://www10.ocn.ne.jp/~fuku7/

   





尾曳稲荷神社 骨董市 館林七福神めぐり

2007年04月01日 23時07分30秒 | 神社・仏閣
〒374-0019  群馬県館林市尾曳町10-1  
           電話0276-72-1293



少し長くなりますが、尾曳稲荷神社の鳥居前に立っている説明書きの
一部を抜粋して書きます。
 
 「第百五代後奈良天皇の御代第十二代
足利義晴将軍の時、天文元年(昭和
五十一年から四百四十五年前)城主
赤井照光の創祀にかかる。

 大袋城主の赤井山城主照光は享禄元年
正月舞木城主のもとへ年賀の途中、
子どもが狐児を捕らえ殺そうとしているのを
救ってやったところ、その夜更け一老翁が
顕れて、子どもの助かった礼をのべ、
照光の居城大袋よりも館林が要害堅固の
土地である説き、明晩御案内申し上げよう
といい終わって姿を消した。
 翌晩果たして老狐が顕れ尾を曳いて先導し
字侍辺に始まり字加法師に来て夜が明け
別れに臨み、もし築城完成の暁は、
永く当城の守護神に仕えよう。
私は稲荷の神使え新左衛門であると言い
終わり形を没した。

照光はこれに依って築城しその名も尾曳城と
号し城中に  略。」尾曳稲荷神社創建と由来


毎月第三土曜日は骨董市。
問い合わせは骨董企画一歩会 電話0276-72-4856
http://www.ippokai.gr.jp

写真は尾曳様境内。この境内で骨董市は開かれる。


また尾曳様は館林七福神めぐりの一つとなっており
愛敬の徳弁財天が祀られている。

つつじの館林七福神会事務局
〒374-0132 群馬県邑楽郡板倉町板倉2328-1
          雷電神社社務所内
          電話0276-82-0007
          http://www10.ocn.ne.jp/~fuku7/
 

茂林寺 分福茶釜 館林の「市」フリーマーケット

2007年03月07日 21時58分06秒 | 神社・仏閣
東武伊勢崎線茂林寺前駅からの茂林寺への散策

茂林寺前駅


出口は一箇所。駅のトイレは中で改札横に一箇所。
改札を出る前にトイレはすませた方が賢明。割と綺麗。
駅を背にして右へ(線路づたいの道ではない方)歩くと大きい通りに出るので
それを左折。
(右折してすぐ踏切手前、左側には恩田という
おいしいウナギやさんがある。ウナギを食べられる人にはお勧め)

ゆっくりと通り端の庭先の花など愛でながら3,4分歩くと
左側に茂林寺参道入口が出てくる。


お店が両側に並んでいる。

お店はやはり狸の置物が多いようだ。









青龍山茂林寺宝物縁起には、
まず分福茶釜があげられている。
それによると「元亀元年の夏、
当山七世月舟和尚の代に千人法会があり、
適当な湯釜がなく寺で困っていたとき、
代々の住職に仕えた守鶴和尚が、
一夜のうちにどこからか一つの茶釜を持って来て
茶堂に備えたという。
 
 ところがいくら湯を汲んでも湯がなくなることはなく、
この不思議な茶釜を守鶴和尚は自ら紫金銅分福茶釜と名付けられた。
守鶴和尚はその後十世天南和尚の代まで百六十年間当山に降りましたが、
天正十五年二月二十八日、
漂然と寺を去り行方がわからなくなったといわれています。

 後世、守鶴和尚を狸の化身と伝えるものがあり、現在のお伽話となった
のでしょう。」とある。
開山は大林正通禅師。
        


茂林寺の裏は湿原となっており木道が敷かれていて一回り散策できる。
上の写真は冬の湿原。夏は蘆が茂り一角に蛍が育てられていて貴重な自然が
残されている。



つつじの館林七福神めぐりの一つ
大黒尊天(インドの神で生産、豊作の神)が祀られている。

つつじの館林七福神会事務局
〒374-0132 群馬県邑楽郡板倉町板倉2328-1
          雷電神社社務所内
          電話0276-82-0007
    http://www10.ocn.ne.jp/~fuku7/     

茂林寺はまた館林の「市」の一つ「茂林寺フリーマーケット」が
毎月第三土曜日に開かれている。

「市」についてはこちらをどうぞ。
http://www.utyututuji.jp/topic_furima/topic_furima.htm