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月蝕歌劇団『金色夜叉の逆襲』

2005-05-24 22:32:24 | 演劇の話
 忘れないうちに演劇評をひとつ。三坂知絵子(http://www.studio-2-neo.com/)が久々に月蝕歌劇団の公演に出るというので、22日(日)に会場の「ザムザ阿佐ヶ谷」まで行ってきた。劇団創立20周年記念と銘打たれた今回の公演のお題は『金色夜叉の逆襲』。

 それにしても、月蝕歌劇団(http://www.gessyoku.com/)という劇団について聞かれた場合、私はいったいなんと説明したらいいのか。三坂から誘われるまま公演を観に来るようになってかれこれ5年になるが、未だにわからないのだ。「宝塚が凶暴化した集団」とか「ステージ上でセーラー服姿の三坂が口から火炎放射をしたりする教団(もとい、劇団)」などと書けばわかりやすいだろうか。いや、わかりやす過ぎて誤解を受けるか。
 演劇オンチの私が無理に説明するのもなんだが、あの寺山修司にゆかりを持つアングラ劇団で、幻想文学やコミックの名作を題材に、女性が主体の俳優陣がハチャメチャな中にも耽美的な美しさのあるお芝居を毎回演じている(なんて説明でいいのかな?)。主宰者として台本や演出を担当するのは劇作家の高取英さんで、毎回客席の片隅に、その独特の風貌と巨体が見える。

 で、今回の『「金色夜叉」の逆襲-私は月蝕を自ら操作するのだ-』(これが正式な作品タイトル)だが、これは尾崎紅葉の名作「金色夜叉」を原作にしたとか、その続編を描いたというものではない。劇中の説明によると、「金色夜叉」の主人公・間寛一には(ほんとかどうか知らんが)モデルとなった実在の人物(巌谷小波という児童文学者だそうだ)がいて、その彼の遺した児童文学作品の登場人物たちが、自分を生んでくれた作者を悲惨な末路(薬で自殺)から救うべく、「夜叉」の題材となった彼の過去の悲恋(「お宮」にあたる女性との)を成就させようと過去にタイムスリップする--というものなのであった。

 こういう史実とフィクション、時空間を思いっきりワープしまくる展開は月蝕歌劇団のお手のもので、私も毎回あまりストーリー的なツジツマはあまり深く考えないようにしながら楽しく観ている。何しろこの人たちの場合セーラー服やら軍服やらSM嬢やら鉄腕アトムやらの格好をした女優たちが次から次へとステージ上で踊りだしたり火を噴いたりプロレス技をかけたり、あげくのはてには客席に向かって水しぶきをぶっかけたり(だから毎回客席最前列には防水用のビニールシートが用意されている)という具合なので、客にもそんなことを考えている余裕はないのだ。まあその意味で今回の「金色夜叉の逆襲」は大人しかったほうだけど、しかし前から3列目に座っていた私は水しぶきの顔面シャワーを浴びた。

 とはいえそんな慌しい芝居の中にも何というのかな、人間の、特に家族や男女の間に横たわる愛情と表裏一体の暗い情念みたいなものについての掘り下げが毎回きちんとなされていて、劇全体を散漫なものにせず、最後までテンションを持続したままクライマックスになだれ込んでいく展開はさすがである。また、公演ごとにさまざまなゲストが起用されたりするのも楽しみで、今回は「黒色すみれ」という女性2人のユニット(ボーカル&キーボード、バイオリン)が独特の味わいを出していた。2人は公演の前に行われた詩読ライブにも出演していたが、その歌と演奏はなかなかのもので、いずれまたどこかでライブを見てみたいとも思った。

 常連の役者では、私がほとんど「追っかけ」と化している三坂知絵子は相変わらず上手いし、ほかの役者にない存在感を見せている。正式な劇団メンバーではないためか以前は登場シーンもあまり多くなかったのだが、今回はより重要な役を演じていたようで何より。主演の一ノ瀬めぐみは、以前からいい女優さんだなと思っていたが、今回はいつもの学生服姿ではなく、清楚な着物姿がとても似合っていた。

 ただ、月蝕も最初に私が観にいった5年前から比べると、だいぶ役者の世代交代が進んだようだ。いかにも正統派の美少女といった印象の長崎萌が今回は出演していなかった一方で、たぶん20代前半という感じの若手の女優が今回はけっこう大勢がんばっていて、一ノ瀬や三坂がなんだか風格のある中堅クラスという感じにも見えるようになってきた。今後いつまで三坂たちの芝居をここで観ることができるのかな--とも、ふと思った次第だ。

『トーキョー/不在/ハムレット』①

2005-02-02 14:33:03 | 演劇の話
 んーと、先日の『遮断記』に続いて、どうも長くなりそうな演劇評の始まりです。

 もともと私は演劇という分野には縁も関心もまったくなかったのだけれども、それがどういうわけか、今の仕事をするようになってから偶然、演劇関係の知りあいに何人か恵まれたのだ。で、そのお誘いにのったりしているうちに、気がついたら一年に5回か6回くらいの頻度で劇場まで足を運ぶようになってしまっているのだった。

 で、先月も一件、都内・世田谷区三軒茶屋の「シアタートラム」という劇場でお芝居を見てきたのだった。『トーキョー/不在/ハムレット』という作品で、演じたのは劇作家・演出家の宮沢章夫さんが主催する「遊園地再生事業団」(http://u-ench.com)。

 今回も、ここに友人の女優・三坂知絵子(この人は本当にあっちこっちの映画や演劇などで活躍していて、私は半ばその追っかけと化しているような気がする。詳しくは http://www.studio-2-neo.com/ を参照)が出演するというので見に行った次第だ。

 ただ、私がこの作品を見に来たのは実のところもう3回目だ。
「なるほど、追っかけぶりに気合が入ってるねえ」とか冷やかされそうだが、でも別に三坂だけが目当てで見に行ってるわけではないぞ。

 というのはこのお芝居、骨子となるストーリーはともかくも、その演出を含めた表現方法が、見るたびにまるっきり変わっているのだ。

 たとえば昨年5月に「リーディング公演」という形式で最初に上演された段階では、まったく装飾のない舞台上に出演俳優全員が椅子に座って並び、手元の脚本を読みつつ台詞のみ(一部身体を使った演技もあり)で話を進めるというスタイルだった。

 その後、さらに9月には「実験公演」(これは私は未見)を、10月には「準備公演」(これは見たけど、この段階でも本当に「実験」という感じの内容だった)を行なったうえで今回の「本公演」に至っている。

 また、これ以外に「映像公演」と称して、脚本をモチーフに参加スタッフたちが独自のアイデアから制作した短編オムニバス映画『be found dead』も公開されている。私も見たけど、これを含めると全部で4回も見ていることになるな。
 でも、コアなファンの人たちなどは4日どころではないようだ。宮沢さんのサイトを見たら今回の本公演でも2回とか観に来た人が結構いたという。

 つまり、一つの演劇をさまざまな形で練ったりこねたり切り刻んだりしながら、1年がかりで完成させていくという、えらく気の長いプロジェクトなのであった。分野こそ違うが同じ表現者の端くれとして、こういうやり方は非常に面白いなと思った。

 さらに、この作品に関心を覚えたのは北関東に実在するある町をストーリーの舞台にしているということだ。

 私はその町については近くを通り掛かったことしかないけど、東京都心からから中途半端に近くて遠い、見た目に寒い北関東のコミュニティのヤバさというのは、少し前に割とその近くを取材で回っていた私も感じていたことだった(ほんと、横溝正史の現代版みたいな世界があるんだよ、あのあたりには)。それを演劇の分野で宮沢さんがどう描くかというところに、すごく興味があったのだ。

 なので、素人なりにそのお芝居を見た感想を書いてみようと思っていた。もっとも、演劇の批評って映画とかとまた違った難しさがありそうだし、たぶん長くなるのでどうかなという気もしていたのだ。1484さんからも私のこのブログへの書き込みについて「長い。長いー」との感想をいただいていたことだし。

 まあでも宮沢さんがそんな長い期間をかけてお芝居を作り上げたんだから、批評する側が時間を掛けて(それも何回にも分けて)批評して何が悪い! と思った次第です。とりあえず、今日はここまで。ではまた!
(この項つづく かな?)


『遮断記』

2005-01-30 19:50:42 | 演劇の話
 今日は新宿までお芝居を見に行った。

『遮断記』というタイトルの作品で、演じるのは「カッパドキア夫人」という妙な名前の劇団。「夫人」だからなのか、出演していた4人の役者さんは全て女性だった。

 劇場は2丁目のビルの地下にある「タイニイ・アリス」という定員50人くらいの小さなところだったが、入口の脇にはなぜかTBSの貴島誠一郎さんなど民放キー局の大物クラスからの花束がいっぱい。客席もぎっしり満員で、私は舞台のすぐ目の前に設けられた座布団の席で、誘ってくれた放送批評懇談会事務局の久野明さんと2人で見た(私は腰痛が出やすいタチなので少々辛かったな)。

 この作品のプロデューサーを務める猪崎宣昭さんという方は、民放テレビ局で2時間ドラマなどを手掛けている。たまたま次の『GALAC』の特集が「2時間ドラマ」ということで、猪崎さんにインタビューした久野さんが招待券を2枚もらったものの、普段あんまりお芝居は見にいかないとのことで心許なかったのか「一緒に見にいかない?」と私にお誘いが掛かったのだった。

 そんなわけで予備知識は全くゼロ(だいたい俺2時間ドラマってほとんど見ないし)のまま小屋に向かったのだが、テーマが97年に渋谷で起きたあの「東電OL殺人事件」だというので興味をそそられるところはあった。

 現実に起こった事件を、演劇というフィクションの分野の人がどんなふうにひとつの表現として料理するか。もっぱらノンフィクションというか、活字のルポルタージュを志向する者として、そこはやっぱり関心を引かれるところだ。

 2時間ドラマの作り手だからかどうかは知らないけど、上演時間はちょうど2時間。舞台中央に敷かれたタタミ四畳半の上で、女優4人による密室劇が展開される。

 部屋の本来の住人は、1週間前に同棲相手の男に金を持って逃げられたという23歳の女子銀行員(一般職)。

 その二軒隣りの男性から呼ばれたのを間違えて彼女の部屋に入ってきたという35歳のホテトル嬢は、実は某大手企業のエリート総合職でもあった。

 そんな二人の奇妙なやり取りへさらに割ってやってきた保険外交員の女性は、結婚はしているものの夫とはセックスレス状態。出会い系サイトで知り合った男を相手に売春を働いたりもしている(その事実をつきつけられた夫は何も言わず黙認?した)。

 さらに、そこへ「張り込み捜査」と称してやってきたのが警視庁の女性刑事。彼女の本来の使命は売春摘発にあったが、彼女もまたエリート検事だった父親へのファザー・コンプレックスゆえに男性と正常な恋愛関係が結べない悩みを抱えていた。

 --という具合に、この4人はキャラクターとしてはまるでバラバラでありながら、一方では、現実に起きた事件で命を失ったくだんのエリートOLに通じるのではないかという要素を全員がそれぞれ持たされている。そしてまたもう一つ共通するのは、なぜか4人とも屋内にいるにもかかわらずトレンチコートを上から羽織っていることだ。

 あくまで好きな男性との恋愛にこそ自分の生きる意味を見出そうとする女子銀行員を軸に、女性総合職の生き残りとして会社内で男性たちと闘ってきたホテトル嬢と、せっかく手に入れた結婚生活が上手く行かない保険外交員が、三すくみのようなドツキ合いを延々と演じる。やがて、そこから一歩引いて見ていたはずの女性刑事までもがからみ始める中で、恋愛やセックスをめぐる女たちの葛藤がエゲツないまでにあからさまに吐露されていく。

 男より偉そうにしてはいけない。男より仕事ができなくてはいけない。セックスをしたいと思ってはいけない。セックスの時感じなくてはいけない。女友達と仲良くしなくてはいけない。男の世界に踏み込んではならない。男の前ではかわいくなくてはいけない。男に負けなくてはいけない。男に勝たなければならない。--なんだか、どうも窮屈なんだよ と。

 ちなみに「遮断記」というタイトルだが、あの事件の現場近くを通ったことがある方ならおわかりの通り、くだんのアパートは京王井の頭線の神泉駅の、線路がトンネルを出てすぐのところにある踏切(「遮断機」つき)からすぐ目と鼻の先にあった。

 作中で、確かホテトル嬢は言っていた。その「仕事場」であるアパートには踏切の遮断機を越えていかなければならない。遮断機が上がらなければ行かなくてすむのではないかと思いながら、なぜかいつも私の前で遮断機は開く--と。
 
 まあ、あんまり書くとオチまで予想がついちゃいそうなので(実は私も見ながら途中でだいたい予想がついた)これ以上はやめておくけど、見終わっての感想としてはなかなか面白かった。配役のほか、作・演出を担当したのも三島ゆきさんという女性のディレクターさん(元NHKだとか)ということもあって、女性の肉体からほとばしり出る痛みや情念のぶつかり合いが、男にはとてもかなわんというくらいに生々しく描かれていたように思う。

 ただ、その私にも何となく予想がついたというそのオチはちょっと単純すぎないかなという気はした(もっとも、これも女性が見たらしっくりくるのかもしれないけど)。あと、エンディングに映像を持ってきたのもどうなのかな、と。これはいかにも2時間ドラマの作り手がそういう形にまとめたというふうにも見えるのだけど、あるいはそこは意図的にやったのかもしれない(賛否はわかれそうな気はするけど)。

 考えてみれば確かに「東電OL事件」って2時間ドラマや映画の素材として実に魅力的だと思うのだけど、それが今の状況ではなかなか企画として実現できないという事情もありそうなだけに、こうして演劇という形で表現されたものを見るのは実に興味深かった。女性主体のキャスティングで描いたことも成功しているように思う。

 ただ、この事件に関しては活字のほうで佐野眞一さんも描いているように、単に「今の女性が抱える問題」といった視点からだけでは語りきれない部分があるのも確かだ。そこは今回の作品では敢えて捨象してあるのだと思う(それで正解だったとも思う)が、あとはこれに続く他の演劇や映画などが、その語られざる残りの部分をいかに表現していくかということなのだろう。

 --などと生意気にも演劇批評なんぞを書いてしまっているのだけど、スタッフの方で、もしこの批評を偶然目にした方がいらっしゃいましたら御免なさい。どうせ素人の書いたことですので悪しからず。といいつつ、実はちょっと前に見たもう一つのお芝居の感想も書かねばと焦っているところなのであった。