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劇団アロッタファジャイナ『今日も、ふつう。』

2008-12-14 02:49:20 | 演劇の話
 三坂知絵子劇団アロッタファジャイナの12月公演「今日も、ふつう。」に客演するというので、新宿3丁目の「シアターモリエール」へ。


「文化女子学院」に通う4人の女子高校生たちが組織する文芸サークル「日本文学党」が主人公。4人のうち3人は数ヵ月後に卒業を控えていて、3人のうち1人は駆け出し芸能人の彼氏が、もう1人は近々フィアンセと結婚する街工場経営者の真面目な兄がいる。ただし4人とも自分たちが面白い小説を書けないのは、自分たちがあまりにも「普通」の日常の中で生きている存在だからだと思い込んでいた。そんな彼女たちのもとにある日、十年前に起こったまま迷宮入りしている殺人事件に瓜二つのストーリーを描いた封書が届いて――。

 という導入から始まるミステリー仕立てのストーリーだった。そんなわけでこれ以上ネタばれになりそうなことは書けないわけだが、最近の演劇としては長めな2時間以上の上演時間を感じさせないほど、テンポの良い御芝居だった。4人のヒロインたち個々を軸に展開される人間関係のドラマが凄くめまぐるしく錯綜し、なおかつ乱暴とも思えるくらいに場面が次々に切り替わるジェットコースターのごときストーリーなのだが、一方では脚本・演出ともに無駄なくすっきりと良く練れており、筋立てにも何とか最後までついていくことができた。もっとも「記憶喪失」でもって最後のオチにつなげていったのはちょっと苦しいかな? という気もしましたが(あと、事務所の社長への復習話が宙に浮いたまま終わっちゃってるのもどうかな? と。最終的にこの話は本筋ではないことが明らかになるのだが、途中まではここに鍵があると思いながら観ていた観客には少々肩透かしの感も。まあ、それがミステリーならではの意外性でもあるのだが)。

 ちなみに主演格の女優さんたちは(私は事前に全然知らなかったのだが)「全国民的美少女コンテスト」でグランプリその他の受賞をしてしまうような20代前半の女子衆。というと斜に構えて「客寄せだろ?」と見る向きもあるかもしれないけど、ノンノン、これがまたなかなかの演じっぷりだったのですよ。

 特に主役格の安川結花の奮闘ぶりはよかったな。あと、劇団旗揚げ以来の参加者というナカヤマミチコが発する凶悪なオーラも印象深かった。

 三坂知絵子も例によってクセのある役回りを演じていたのだけど、これも面白いことに今回はそんな三坂が「割と普通の役」をやっていたと思えるくらいに、周りの配役が「普通」ではなかった。というか、この作品の肝は劇中で三坂が演じる役と××な関係になる役の山川紗弥が放った次の言葉だろう。

「普通に何でもないヤツが一番危ないんだよ」

 これはまったくそう思いますね。「普通やらねーだろ」というフリーライターという立場から「普通の人々」が棲息する企業社会を見てきた私は「普通の人が持つ異常さ」のほうに、むしろ身の毛のよだつような恐ろしさを常に感じております。

 ともあれ、なかなか面白い御芝居を見せていただいたことに拍手! 本日(14日)が千秋楽、しかも新宿駅から歩いて5分のところで午後に2回やってるそうですので、これを読んで関心や興味を覚えたという方々は是非観にいっていただければと。ではでは♪

月蝕歌劇団『「金色夜叉」の逆襲』

2008-03-16 01:38:24 | 演劇の話

 三坂知絵子に引きずり込まれるような感じで公演の度にほぼ毎度足を運んでいる月蝕歌劇団

 今回の作品は3年前に上演されたものの再演だが、岩本的には今回のほうが断然イイ! というか、私がこれまでに観てきた月蝕の舞台(なんだかんだでもう十数本は観てるかな?)の中でも上位の2~3本には入るかなというくらいに楽しみながら最後まで観ることができた。何故だろう? 劇団代表の高取英氏の演出にも馴染んできて、かつ今回は同氏のオリジナル戯曲だったからか? それとも今回の会場が、いつものめっちゃくちゃに狭苦しいザムザ阿佐ヶ谷ではなくて、東池袋駅近くに出来たてホヤホヤかつ実にゆったりとしたメジャー感覚の「あうるすぽっと」だったからなのか。

(もっとも、個人的には阿佐ヶ谷という土地柄も相俟ってアングラ演劇臭プンプンのザムザの雰囲気が結構好きで、それだけに今回の「あうるすぽっと」は場内に入るなり「何だか月蝕に似合わんなあ」といった感想をまず抱いてしまった。実際、公演に先立って行われた恒例の「詩劇ライブ」では、どこかいつもと違う会場の広さや雰囲気に馴染めていないように見えたし)

 どういう作品なのかについては、3年前の前回公演を観た際にもここに書いたので割愛するが、こうした史実と現実、作者と作中人物が時空を超えて交錯しあいながら進んでいくといったメタフィクション的な展開は、10代の頃に筒井康隆作品にどっぷりハマっていた私などにとっては観ながら嬉しくてしょうがないというものなのであった。そのあたりの妙が、今回の作品では3年前よりも際立っていたんだろうか。

 あるいは三坂が「今回は何をやり出すか」ということに、再演ゆえかあまり気を取られずに観られたということなんだろうか(笑)。なにしろこの人は、舞台に出るたびに素っ裸になるわボコスカに殴られ蹴られはするわ、あげくに去年の「花と蛇」では半裸状態でロープでのSM縛りをされたあげくにクレーンで壇上高くまで吊るされて観客の大喝采を浴びるという荒業を披露したという突破者的舞台女優なのである(ここ参照)。もっとも、振付も担当したという今回は、かなり自身の前面への露出は抑制しながら、後輩の女優たちを上手くリードする役回りに徹しているようにも見えた(のが、それはそれでもったいなかったかも)。

 ともあれ今回の公演は今日3月16日(日)14:30からの回が千秋楽。

 以上を午前中に読んで興味関心を覚え、上手い具合に午後には予定がなくて東池袋まで行けるという方々は、岩本に騙されたとでも思いながらでもいいので観に行ってくださいまし。ではでは!

本当は怖いグリム童話を演じる場所で何が起きていたのか

2007-05-20 03:01:42 | 演劇の話
「りえぞう」さんこと鈴木理栄さんが役者としてパペレッタ(人形芝居や音楽が中心の演劇)に出演するというので、昨日(19日)の午後、会場となった下北沢駅前の東京都民教会まで行ってきた。演目は御馴染みグリム童話の「赤ずきんと狼のお話」。作家の久田恵さんが主宰する「花げし舎」による公演で、りえさんは以前から本職のライター業のかたわら、この劇団の活動に参加している。

 下北沢といえば断るまでもなく自主制作の映画や演劇の本場。門外漢な私でもこれまで結構ちょくちょくやってきているわけだが、今回の会場・都民教会のある西口には今までほとんど足を踏み入れたことがなかった。まるで一昔前の大学の学生会館のように狭くて入り組んだ下北沢駅構内で迷子になりかけながらも何とか脱出し、西口から5分ほど歩いてあっけなくたどり着いた都民教会は、あの「シモキタ」の駅前にこんな瀟洒な教会があったのかという感じの小奇麗な建物だった。

 信徒さんと思しき小さな女の子たちが入口から出てきて、来客に「こんにちわ!」と笑顔であいさつする。“劇場”となる礼拝堂の中にも既に親子連れの客が結構きていて、高い天井に幼い嬌声が響きわたっていた。どういうわけか最近は何やかんやで教会という場所に妙に御縁のある私なのだが、今だにこういう環境にはえらく場違いな自分をそのつど感じて肩身が狭いのなんの(汗)。

 りえさんはもともとクリスチャン系大学の出身で(自ら「転びバテレンだ」などと自虐的に言ったりしているけれども)、若い頃から演劇やダンスに打ち込んできたとのことだが、私が公演を観に来たのはこれが初めて。今回は久々の舞台ということでライター仲間たちにも案内がかかっていて、他にも客席には盟友である青山敬子さんや天藤湘子さんも顔を見せていた。それにしても、この二人は開演前の待ち時間にも客席でヤクザ記事満載の実話系雑誌を広げていたりするなど、場違い度数は私のはるかに上を行っていたかもしれない(笑)。ともあれ、気がついて声をかけようとするまもなく、いよいよ公演がスタート。

 もちろん「赤ずきん」もグリム童話も子供の頃から何度となく接してはきたけれど、なにせ久々なので正確なストーリーは今やほとんど忘れてしまった。「お話おばさん」として進行役を務めるりえさんの語りを聞きながら「ふむふむ……あ、そうそう、そうだった」と、徐々に思い出してゆく。

 それにしても、りえさんの演技は堂に入っていた。もともと滑らかなアルトの声できれいに語る人なので、こういうのをやったら上手いだろうなとは思っていたのだけど、正直なところ予想した以上で、さすがという感じであった。とても普段から平野悠さんや鈴木邦男さんたちと一緒にロフトプラスワンあたりでワハワハ騒いでいるのと同一人物には見えない(笑)。

 人形劇のほうも赤ずきんや狼の操作がなかなか高度かつビビッドだったため、結構最後まで楽しめた。ちなみに狼の声を演じた男性は誰だろうなと思って後から上記のサイトを確認したら、何とカメラマンの福田文昭さん(ロッキード法廷での田中角栄を写した一枚などで有名)だった。というか福田さんはこの日は主催者側のスタッフとしてカメラ係を担当しており、私のすぐ横から演壇に向かってバシャバシャとさかんにシャッターを切っていた。このように、この日の公演は一見極めて健全でささやかな子供向けパペレッタでありながら、実は客席にも壇上にもかなり濃い目というか錚々たる人たちが揃っていたのであった。

 そんなこともあってか、肝心のお芝居のストーリーについても、何だかやたらとシュールに感じてしまった。まあ、「赤ずきん」そのものが最近では「本当は怖いグリム童話」なんかを通じて認識されはじめているように、実は中世ヨーロッパ的な狂気に満ちたグロテスクな童話であったりするわけなのだが、にしても最後は狼の腹をかっさばいて赤ずきんたちを救出しただけならまだしも、かわりに腹いっぱい石を詰め込んで水の底に沈めたというのだから確かに怖い話である。

 最後にりえさんからの「この話の教訓は何だと思いますか?」との問いかけに、指名された客席のお母さん(?)が「大人の言うことを(子供は)よく聞きましょうね、ということだと思います」と答えて拍手を浴びていたけど、私だったら「『世の中は不条理にできている』ということ以外にないでしょう」とか答えていただろう。もとより、だからりえさんもこっちを間違っても指名しなかったんだろうけれども。

 終演後、ロビーでりえさんたちに挨拶と記念撮影(↓)。「も~、ほんとに仕事はほったらかしてお金になんないことやっちゃって大変なのよ」とか苦笑しつつも結構楽しそうだった。青山さんは何やらカバンから真新しい本の束を取り出す。最近りえさんと一緒に手がけた書籍で、今日みんながここに集まるついでに、2人のサインを添えて配るためにわざわざ持参したというのだった。タイトルは『グアンタナモ収容所で何が起きているのか 暴かれるアメリカの「反テロ」戦争』(アムネスティ・インターナショナル日本 編、合同出版刊)。さっそくペンをとってサインにかかるりえさんだったが、さっきまで「赤ずきん」の「お話おばさん」をやっとった人が衣装もそのままこういう本にサインする光景というのもまた凄い。



 帰りは青山さんや天藤さんと一緒にシモキタの駅前の喫茶店に寄り、この2人以外からでは滅多に聞けそうもないようなディープ話などを聞く。天藤さんにはずいぶん久々にお会いしたけど、最近は著書やテレビへのインタビュー出演など本当に目覚しい活躍ぶりだ(上記サイト参照)。もっとも、この日に直接伺った刺青の世界の話などはメチャクチャ興味深いものの、メディアではたぶん今後もあまり取り上げられないだろうなという内容で、たとえばこういう話もアワプラなどの独立系メディアでやっていく価値はあるんじゃないかな……などと思った次第。そんなこんなで楽しい人形芝居を観終わった後に、本当に怖い本やら土産話を抱えて帰ってきた一日なのであった。

花と蛇

2007-02-03 02:03:11 | 演劇の話
 といったら最近では杉本彩主演の映画が週刊誌のグラビアを賑わすはスポーツ紙の見出しをデカデカ飾るわといった一大センセーションを巻き起こしたのが記憶に新しいが、何とこれを月蝕歌劇団が演劇化したというので、1日(木)夜に都内・下北沢の本多劇場まで足を運ぶことにした。


 いや、個人的にはですね、SMの世界ってのには正直あんましついてけないんだけど(汗)、一応事前に主演女優からも案内をもらってたし、この劇団には珍しく大き目な劇場で、しかも友人がせっかくの主演だというのだから無下にするわけにもいかないなと思ったのだ。まあ、この人の場合は今さら壇上で脱ごうが暴れようが観るほうも驚かなくなっているところはあるのだけれども、それにしても壊れ方に年々気合いが入ってきているようだ。

 月蝕歌劇団については以前にも観劇記を書いているので、ご存じない向きにはここを御参照いただきたいが、しかしまあ毎度毎度賑やかなことをやってくれる劇団である。そのせいか、今回も団鬼六(この日は客席に顔を見せていた)によるSM文学の古典(といっても私は原作も映画も未読・未見なんですが)の世界を、この劇団ならではのテイストの中でなかなか上手く消化しきっていたんじゃないかという気はした。高取英氏(私の2つ前の席に座ってビデオカメラで芝居を記録してた)の脚本・演出ではおなじみの、過去と現在、リアルと幻想が入り乱れながらだんだん混じり合っていくという展開も、いつもながら楽しい。

 んで主演女優だが、予想通り冒頭から壇上でさんざん縛られ脱がされ叩かれ蹴飛ばされ陵辱されたあげく、しまいには半裸の赤襦袢&赤褌姿のまま、緊縛師・有末剛氏によってSM縛りをされた状態で照明用のクレーンにより頭上高く吊るし上げられ、さらに有末氏によって鞭で叩かれながら身悶えるという徹底ぶりだった(たはは……^_^;)。

 まったく知り合いが大勢の観客の面前でこういう目に遭う(というか自分から積極的にそういうことをやる)のを見るというのも変な気分だが、分野は違えど同じ表現者としては、そこまでとことんやろうというその姿勢には率直に敬意と応援の思いを表したいところだ。

 ともあれ、この『花と蛇』、4日(日)が千秋楽なので、以上を読んで関心を持たれた方は、ぜひ下北沢まで観にいってみてくださいませ。ただ、私が観にいった初日も平日の割には客席がほぼ満席だったから、はたして土日にふらりと行って入れるかな? まあでも、おすすめのお芝居です。ではでは!

ニブロール『3年2組』

2005-07-19 01:27:19 | 演劇の話
 新たにオープンした「吉祥寺シアター」(http://www.musashino-culture.or.jp/theatre/index.html)のこけら落としイベントとして行われたこの公演、かなり人気を博しているようなので、無事に入れるかなと気になっていたところ、例によって出演者の三坂知絵子(http://www.studio-2-neo.com/)に頼んで何とか千秋楽に観に行くことができた。しかも当日は、あの遊園地再生事業団(http://www.u-ench.com/)主宰の宮沢章夫さんが参加するアフタートークもあるというではないか。

 というわけで喜び勇んで観に行ったところが、これがまた予想以上になかなか面白かった。

「ニブロール」(http://www.nibroll.com/)は振付家の矢内原美邦(やないはら・みくに)さんが代表を務めるダンスカンパニーで、私が公演を観に行くのは昨年の、やはり三坂が出演していた「NOTES」に次いで二度目。前回は基本的にダンスショーとしての色彩が強かったが、今回は基本的に「演劇」としての体裁をとっており、出演者も全員が役者(しかも三坂を含めて多くが宮沢さんの「トーキョー/不在/ハムレット」の出演者とダブっていた。同作品では矢内原さんがダンス部分の振り付けを手がけていたのだ)。「3年2組」の8人の生徒たちと担任教師が、在学中に埋めたタイムカプセルをめぐって時空を超えた攻防を展開する――といったようなストーリーもある。

 ただし、登場人物たちの台詞からはきちんとした対話や物語の流れなどを読み取ることができない。というのも、とにかくこの作品では各登場人物たちが時間あたりにして通常の3倍くらいあるんじゃないかという猛烈なスピードと分量の台詞を吐きまくるのだ。しかも矢内原さんの振り付けによるダンスというのが、まったく壇上狭しとばかり役者たちが縦横無尽に飛びまわっては、互いの身体をぶつけ合うというものなので、いちいち頭で筋を咀嚼しながら観ようなどと思ったら最後、とてもついていけなくなるのだ。

 とはいえ、そこにもやはり一貫したテーマがあるには違いない。これは前回の「NOTES」を観ての感想と共通するが、青年期を前にした少年・少女たちが無自覚的に放っている鮮烈な美しさと、それと表裏一体の危うさというものが、役者たちの声や肉体のぶつかり合いを通して実に見事に描かれていると思えた。

 確か前回の舞台でも、子供服に身を包みながらノートに何やら書き込む三坂が「何を書いてるの?」と聞かれ、「今!」と叫ぶシーンがあったの、今でも結構印象深く覚えている。

 子供という存在、その一瞬一瞬ごとに物凄く眩い輝きを放っていながら、本人は最後までそれに気づくことなく、逆に「成長」という過程を通じて絶えずその美しい一瞬を失い続けていくという、とてもはかなく、あやうい存在だ。また、そのあやうさが時に周囲を巻き込む形での凄絶な悲劇をもたらしてしまうということも、前回そして今回の劇中でも暗示されていたように思う。アフタートークに出てきた宮沢さんも「観ながら先日の山口の事件のことを思い出していた」と語っていた。

 そのアフタートークでも、まず最初に「セリフが聞き取れないことの是非」が話題になっていた。セリフの絶対量が少なかった「NOTES」とは違って、この作品では矢内原さんが「役者さんに覚えてもらうのが大変だった」というほどセリフの量が膨大に多い。それでいながら、あまりにびゅわーっとまくしたてられるため正確に聞き取ることが誰にもほぼ不可能という代物なのであった。確かに、「それではたして『セリフ』としての本来の機能を果たしているのか?」といった疑問は出てくるところだろう。

 ただ私自身の感想で言えば、確かにとても明確には聞き取れなかったものの、基本的には劇中でのセリフをすべて「意味」のあるものとして聞いていた。

 何というか、過剰に放たれるセリフが「言語」としての輪郭を失い、ある種の音楽というか音響効果になっていくのと同時に、個々の言葉の持つ「意味」も互いに溶解のうえ交じり合っていき、そのさらに向こう側の地平において異化された「何か」を表現している――という感じに見えたのだ(って、何だか上手く言えないのだが……う~ん、やっぱり畑違いの分野を論評するのって難しいな。これじゃド素人丸出しの感想じゃないか)。

 ただ、これは文章を書くという行為においてもそうなのだけど、単純に言葉によって何らかの「意味」を表現するのではなく、言葉というものが持つ字面やら響きやらでもって、何か視覚的ないしは聴覚的なインパクトを持った表現を構築するという手法はありうるし、現に私のようなもの書きでも頭のどこかで絶えずそういうことを意識しているところはある。ようするに線や絵の具ではなく活字で何かの事象を表現しようとする「活字画家」とでも言うんだろうか。たとえばルポルタージュの記事を書く場合などは、頭の中が結構そういうモードに入っているような印象が個人的な経験からもある。

 そうした意味でも今回の作品は、文章という自分の表現手段にも何か取り込めるものがあるんじゃないかなという感じも抱きつつ、最後まで楽しく観ることができた次第だ。あと、もうひとつ感心したのが音響と照明、舞台装置を駆使した演出の見事さだ。もっとも、この作品の場合はスクリーンにうつされる映像以外には紙ふぶきとドライアイス、壇上に置かれた数脚の折りたたみ椅子ぐらいしか道具類がないのだけど、限られたそれらを表現面で実に効果的に使っているものだなと思った。これは新たにオープンした劇場ならでは(さすが市町村では全国で第3位の財政力を持つという武蔵野市)できたという部分もあっただろう。

 最後に三坂のお芝居については、観るたびにああいう難しそうな役にだんだん上手くハマってこなせるようになっているようで何より。彼女の場合は以前から千秋楽近くになるといかにも声がきつそうだったのだけど、やはり千秋楽に観た今回はしっかり声も出ていてセリフの通りもよかった。もはや「大女優」に近づきつつあるのかな。