僕は理論武装と論破が嫌いである。理論武装ができないのは集中力がなく、広く浅く本を読むためである。
論破。昔ロンパールームってあったけど、あのロンパーってどういう意味だろ?
本当に若かった頃は論破に多少の快感も感じた。今は相手を論破してもされても虚しい気分にしかならない。人間は半分以上感情的な部分で生きているから、相手を理論的に論破しても、それは勝利にはならない。相手に恨みが残る。「舞姫」の最後の表現みたいなもんだ。一点の恨み我に残れり。
むしろ最後にわざと降参したほうが、相手の心に言葉が届く場合があるとすら考えている。
ネット右翼という人たちがいる。若い人に多いようだ。でも政治ブログ投票でいつも想像を絶する投票数をもっている(きっとカラクリがあるのだろうが)、まあその人は顔写真ものせていて、僕より年上である。この間は加藤紘一氏の自宅焼き討ちを支持するとか凄いこと書いていた。マジなのか冗談なのか。なんだかマジみたいだ。どんな人生を歩んできたらこういう風になるのか。むしろそっちが気になった。
「支那人」と「共産主義者」が嫌いらしい。あまりよくは読んでいないのだが、本当に嫌いなのはマスコミらしい。というかマスコミが怖いらしい。自分は凄い弱者で、マスコミは強者なんだ。だから弱い自分はブログでこんな「とんでもないこと」書いても許されるんだ。弱いのだから。という論法だった。被害者意識も強い。
こういう方はもう本当に感情が先行してるし、「ガラスのように繊細で壊れやすい心」を持っているから論破なんてしようものなら大変である。まして論破に成功したらもっと大変である。「恨み」だけが残る。
もしどうしても関わるのなら、感情に訴えるのが一番だと思う。でも今のところ関わらなくてもまだ大丈夫だろう。彼らは彼ら自身が思っているように、少数派であるし、これからも多数派にはきっとなれない。
というわけで、僕はコメントにはコメントしない。論争が苦手なのである。恨まれるのも嫌いだし、勝つのも負けるのも嫌いである。もっと言えばブログの例の「コメントありがとう」とかいう「挨拶」も苦手である。苦手だからしたことない。
でも前回のブログに非常に熱心にアドバイスを下さる方がいるので、一応「何か」書かないと失礼だと思った。
えーと、社会民主主義。ぜんぜん念頭になかった。これは降参。
格差社会。考えはあるけど、まとまってないから書けない。
社会主義。何故必然的に暴君のような存在を生んでしまうのか。何故「現実的に崩壊した」という「事実」が存在するのか。資本主義が生んだ悪と社会主義が生んだ悪。どっちもどっちだが、ポルポトやスターリン粛清を考えると社会主義の悪はインパクトが強い。資本主義の悪はボディーブローのように、じわじわ効いてくる。インパクトは弱いが、しつこくてたちが悪い。どっちも欠陥だらけである。
とにかく共産党でも自民党でも「党派」は苦手である。個人的性格だから矯正できない。
以上です。コメントありがとうございました。参考にします。
理論武装と論破は子供の頃からの悪いクセですから,どうしようもないですね。(^^;) 小4の時に夏休みの自由研究に数学の論文を書いたら,県立博物館へ連れられて,これは600年以上昔にアラビアで発見されたんだよ,自分で見つけたのならすごいよとほめられてから,完全に頭に乗ってしまいまして(笑) 幼稚園の頃から本の虫で心配した祖父が剣道を教えてくれた位です(祖父も漢文を教えてくれたけど)。
まぁ,こういう変人がいるってことで,これからも宜しく。m(__)m
師匠が迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。また、関係のぬるいコメントをたくさんつけて申し訳ございませんでした。
どうもネットウヨの連中って,自分が「悪い」と思うと「キレて」,自分が「一番賢くて」他人が「失敗するとうれしくて」という,非常に甘えん坊というか,竹刀で根性を叩き直したくなる感じがします。んで,コンピュータの上では元気なのに,リアルになると「役に立たない」,だから上司から見ると「何だこいつら」てなことになるのかな。
まぁ,私は少なくとも「ネットウヨ」ではなくて,その逆の「ネットウヨに攻撃されるオジサン」ですから,安心して下さい。使ってるワープロも「一太郎」ですから(笑)
そうそう,三太郎さんの「というわけで、僕はコメントにはコメントしない。論争が苦手なのである。恨まれるのも嫌いだし、勝つのも負けるのも嫌いである。もっと言えばブログの例の「コメントありがとう」とかいう「挨拶」も苦手である。苦手だからしたことない。」は気にしてないから。私が単に口が多いだけ。まぁ,いろいろ書いたことは,ヨーロッパの多様性を考える上で大切な概念ですから,頭のすみにでも置いておくと良いかなって思います。文科系の人にこういうと失礼かも知れないけど。m(__)m
# 動物を殺すのが仕事だったもんで。