武蔵と大和はほぼ同じ船のはずである。しかし大和の方がずっと絵になるらしく、映画になるのは決まって大和の方である。「ピラミッド、万里の長城、武蔵」、は世界の三大愚行だとか、三大無用の長物だとか昔は言っていた。誰がいいだしたのだろう?ピラミッドは公共事業であったという説があるから無用ではなかろう。万里の長城は、民を酷使したことにより秦を内部から崩壊させた。だが、その後ずっと作られいるから秦時代はともかく、中国史全体においては無用ではなかったはずだ。
結局武蔵だけが本当の無用の長物ということになる。
そして大和も同じである。
大和の出撃は愚行以外の何物でもなく、それを命じた軍令部は愚人集団としか僕には思えない。反対はしたものの、結局出撃に応じた伊藤長官もどうであろうか。身を捨てて抗議をし、乗組員を守る責任があったはずである。伊藤長官が美しく散るのは勝手だが、あんなに多くの人間を巻き込む必要は全くない。伊藤長官も長く軍令部という愚人集団にいたわけだから、それは望んでも無駄なことではあるが。
天皇が「海軍にもう船はないのか」と言ったことがきっかけだという「伝説」がある。どこまでが伝説でどこからが史実かは知らないが、軍令部が大和を沈めるための口実として使った感じが強くする。天皇をかばう気はないが、この言葉と水上特攻が直接結びつくとは思えない。故意にむすびつけた人間集団がいるのだ。
「大和に生き恥をかかせない」。その為だけに2500人の人間が死んだ。愚かである。
彼らの死は本当に無駄な犬死であった。そう考えなくてはいけないと思う。
家族を守るとか祖国を守るとかそんな安っぽい感動ものにしてはいけない。祖国を守る攻撃力など飛行機を持たない大和には全くなかった。だから「祖国を守るため」というのは完全な嘘である。「家族のため」というなら、アメリカ兵も同じである。また海軍の愚かな南方作戦の巻き添えになって死んだアジアの多くの民間人にも家族はいる。
大東亜戦争に関して、家族がどうだ、とか、家族には最後まで優しかったとか、そういう安っぽいお涙ちょうだい的文章、映画、漫画が最近とみに多いようだ。家族を思ったからどうだというのだろう。馬鹿馬鹿しい。
虐殺されたアジア人の家族はどうなるんだろう。米軍の家族は。日本の家族だけが「家族」ではない。
たとえば東条英機が家族に優しかったら何だというのだ?普通のことである。しかし、彼の行った愚行とその結果起こった大量の死は普通のことではない。レベルの全く違う問題である。
さて。
大和ほど役にたたなかった船はない。犬死量産船と言ってよい。
戦闘は皆無と言ってよいほど行っていない。
レイテ戦ではおとり作戦で小沢艦隊を沈めながら、そしてその為に多数の人間を犠牲にしながら、大和はレイテに突入せずに途中で引き返した。小沢艦隊乗組員はただ死んだだけである。
最後はただ沈むためだけに出撃した。
「家族愛」とか「祖国の誇りを守る」とかいう言葉が安っぽく量産されている。
そういう愚かな思考は戦争から時がたつほど強まっていくようだ。
大和の最期には何の意味もない。乗組員の死は全くの犬死である。
そう考えることが大東亜戦争で死んだ、アジア人、日本人、アメリカ人、オーストラリア人、その他の死者、に対する最善の「供養」となる。
僕はそう「考えるべきだ」と思う。家族愛とか祖国愛とか空虚な言葉で現実の死、生身の人間の死を意味づける行為の愚かさに、僕らはもう気づいてもいいのではなかろうか。
米軍が本土に上陸し、沖縄の人や民間人、東京大空襲、広島・長崎の原爆投下。これだけでどれだけの人達が死んでいったのだろうか。これらは非戦闘員である民間人を大量虐殺した世界最大の戦争犯罪です。
米軍にこれだけの非人道的、精神的、身体的な犯罪をされて黙って見ていろというのだろうか。
戦艦大和の乗り組み員だって、神風特攻隊の人達も自分の家族が傷つかれたくない、殺されたくないと想い死での旅へと旅立って行ったのではないか?
何もせずに指をくわえて見ていろと言うのだろうか?
ただ単に彼らが犬死にするために死んでいったと思っているのか?
特攻で戦死していった方々はそんな犬死にのために死んでいったんじゃない。彼らだって戦争は続けるべきではないと考えていた。これだけの戦況が悪化し戦争には勝てそうにもない。しかし、彼らはあえて特攻を受け入れた。
それは何故か?
アメリカはインディアン、ハワイの原住民などアメリカに反発する勇敢な者は容赦ない行いを行った。闘う者だけでなく、非戦闘員である民間人を大量虐殺し今のハワイを手に入れた。あのアメリカに占領され、無条件降伏をされ、日本が分割統治されればどうなると思いますか?同じことをされたでしょう。
彼らは自分たちがこの特攻を行う事により、その気概と精神を受け継いで未来の日本を奴隷的植民地の民にならないよう、戦後日本再生を望んで死んでいった。
そして少しでも敵を追いつめれば、よりよい条件で講和を結ぶ事ができると考えた。アメリカは日本の無条件降伏を望んでいた、しかし、
つまり私たちのために彼らは死んだのです。
彼らだって無謀な作戦であると考えていた。しかし、今の現状を変えられるのであればと想い、死んで行かれました。
そしてどうせ負けるなら全力を尽くして、敵国の人間に日本人の存在を脳裏に植え付けて敗れなければ、負けた意味がないのです。
犬死と考えるのではなく、彼らの想いを受け取ってください。
http://nandakorea.sakura.ne.jp/media/sinjituwadokoni.swf
戦艦大和や神風特攻隊の出撃を決めたのかきちんと踏まえたほうがいいと指摘されてるのですよ。
的外れです。
ついでにいくつか。
>彼らは犬死ではない
(なぜなら)
>彼らは無謀な作戦であると考えていた(から)
>今の現状を変えられるのであれば(と考えていたから)
無謀な作戦に身を投じることを犬死と言うのです。
犬死を犬死として認めない発想が、人に犬死をさせることを正当化する発想をつくるのです。戦争を指示する者と参加させられる者とが違うという事実を隠蔽するのです。
>負けるなら全力を尽くす
戦争は運動会ではない。
最後に、語られている内容と「hahaha」というハンドルネームが全くズレていることをなんとも思わない欺瞞性を自覚していただきたい。
ナチスドイツも配色濃くなって戦艦を持て余してましたが、日本海軍のような愚かな作戦は考えもしなかった。ヒトラーでさえ無駄死にを強いることは考えていなかった。