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風来坊の忘備録

晴歩・雨読 日々の雑感 不定期便

浦和 萬蔵寺

2020-10-21 17:05:48 | 日記

この荒れた石仏群に すっかり惚れてしまった そうだ・これなんだよ・・・と

もう少し整備された 墓苑も本堂横にあることはあるのだが 我が気にいりはこちら

お寺さんにとって迷惑千万な事だろうが 我が憧れの石仏群はなんといってもこちら

 
本堂?を正面から見る          裏手には荒廃した石仏群が・・・。

 

恐らく無縁となってしまた墓に 石仏だけが残されて始末もならずこんな具合にか

こんな石仏が好きで 探し歩いていたのだから 我ながら〈悪趣味〉といえる

写真映えの良さそうなのを(今の言葉で言えばインスタ映え?)いくつか 披露する

 
 

さわやかな秋の陽ざしの中、朽ち果てそうな石仏を見て廻る姿はやはり〈変〉か 

   うらわ まんぞうじ  埼玉,さいたま市南区辻2丁目     

 

 

 


ラチコの墓

2020-10-20 20:13:29 | 日記

ラッキー転じてラッチー 雌の犬なので ラチコ この名でいつしか10年以上も

家族の一員として皆に愛され 一緒に暮らした 妻は特に愛情を注いでいたようだ

妻が亡くなり すっかり元気をなくしたラチコは好きだった散歩も嫌がるようになり

気力とともに脚力の衰えが激しかったのだろう 最後は途中まで乳母車に乗せて散歩

 

12月の寒い夜 毛布にくるまった状態であの世に まるで妻の後を追うようにして

 

せめて妻と一緒の墓に葬ってやろうと寺と折衝したが受け入れられず 庭の片隅に

冬は陽ざしのもと、夏は涼風を求め いつもそこにいた海棠の根元に 即席の

粗末な 墓のようなものを造り土葬。。。。。 

思えばそこは 妻の病室の前、海棠は妻が嫁入りに際し持参した花 不思議な縁だ

 

散歩で立ち寄った 市内の寺に ペットの霊を弔う《畜霊合祀塚》の存在を知った

いまさらの墓移しもなるまい そこは仏間から妻も見守っている 静かに眠るがよい

 

毎年 晩秋から冬にかけてのこの時期 思い出されて しんみりさせられる

 

 

 

 


KANNON HOUSE

2020-10-19 19:52:27 | 日記

琵琶湖北岸・湖北地方は・戦国時代には賤ケ岳の合戦等 幾たびものいくさが

繰り返され そのさなか仏像を戦火から守るため村人たちは、土中に埋めたり

田んぼに隠したりとし、この地に栄えた仏教文化・ホトケたちを守ったという

今、人たちは ウチのホトケさん ウチの観音さんと呼び、絶対的な存在で

「良いことはすべて、観音さんのおかげ、 悪いことは自分のせい」と思って

暮らしている人が 多いと聞く

 

そんな琵琶湖・長浜のホトケさんを 一点づつ 東京・上野 不忍池畔で展示 

閲覧してくれていた得難い場所 私はしばしばここを訪れ 小一時間も見とれて

過ごした それも 今月いっぱいで閉館という この空白の時間をいかに過ごすか

思案に暮れているところだ コロナ禍での10か月振りの訪れが 見納めとなった

 

訪問時は 長浜・総持寺・の「千手観音立像」丸顔で柔和な表情の面相 丸みを帯び

痩身とも言える体躯 きわめて浅い衣文様が この時代(平安後期)の特徴という

あわせて42本の それぞれ繊細な手 も見事だ

 

 

 

幾多の戦火を経て 今、こうした姿を見せてくれているが どのような困難な歴史を

経てきたのだろうか そんなことをも考えさせてくれる 貴重な《場所》を失うのは

悲しく残念だ これからは湖北の桜の季節にでも ホトケさんに会いにいこうかしら

 

  

 


川口 勾玉巡り

2020-10-16 21:13:51 | 日記

川口市内の神社35社 内、中核をなす9社を線で結ぶと『勾玉』の形になり

あたかも『市』を囲み守護しているがごとく鎮座している らしい

参拝者は九社を巡拝することで 勾玉を形作ることになり「生命の浄化・再生」が

九社のご加護で 得られるとのこと

 

私、自身は その大半を参拝 しているが 未だ「浄化・再生」の実感はない

まだ参拝していない 二社を 早く、心を込めて参拝せよとの事か

 勾玉とは 神代より祭祀具または装身具としても重要視されており、八咫鏡 草薙剣

 とともに 三種の神器 の内の1つにも挙げられる

 

 三種の内 勾玉は慈悲を象徴しているとの事だ 何とか巡拝を済ませ その慈悲に

 あやかりたいものだ・・・・が、徳の薄い我が身では 無理な相談か

 


万年寺

2020-10-15 20:21:55 | 日記

万年寺は 見沼代用水の工事を指揮した井澤弥惣兵衛の碑があることでも知られる

 

弥惣兵衛は 八代将軍徳川吉宗に招かれ、幕府勘定方に着任し、享保12年から

埼玉県に広がる見沼の開発に着手 利根川の水を下中条(行田市)から引き入れ、

距離60kmにおよぶ見沼代用水路を掘り進め 着手から半年という驚異的な短期間

で掘りあげたと伝わっている その際、ここ万年寺に工事事務所を置いたらしい

今に残る 国、史跡の閘門式運河・見沼通船堀りも その事跡の一つ との事だ

 

そんな万年寺を 訪れしばしその功績を偲ぶつもりが 思わぬ降雨で長居はならず

早々に引き上げた 雨はすぐに止んだので 少し早まったかの思いも

      まんねんじ(または ばんねんじ) さいたま市見沼区片柳