この神社 明治時代に 近隣6社を合祀して『七郷神社』と改称したとの事だが
神社の国家管理の為に 時の政府が推進した神社の合併策によるものなのだろうか
神社合祀の目的は その数を減らし 残った神社に経費を集中させることによって
一定基準以上の設備・財産を備えさせ威厳を保たせ 継続的経営を確立させるこ事に
あったようだ 一見、善政のようだが・・・・・。
その結果、大正初期には全国20万社あった神社の7万社が廃され取り壊されたと聞く
この官僚的合理主義に基づいた合祀政策で「おらが村の鎮守様」は居住地から離れ
氏子が参拝に行くことも「祭り」にも参加できない 地域もできたと推測される
ここ戸塚村周辺の居住者が そうした憂き目にあったか否か聞いてはいないが
恐らく 一時的には 寂しい思いがしたのではないだろうか
どこか 今の世情に似ているような気がするのは 考えすぎだろうか
そうした思いで観ると 狛犬の顔も どこか怒っているかに見える
ななさとじんじゃ 埼玉県川口市戸塚3丁目