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『ミッシング』吉田恵輔

2024-05-20 23:25:00 | 映画鑑賞
鑑賞日時:5/19㈰ 8:55~
鑑賞場所:TOHOシネマズ新宿

 『流浪の月』(2022年)の更紗(広瀬すず)は文(松坂桃李)と共に辛い社会から抜けだし、まさに「流浪」を選ぶことで救われることになるだろう。逆に『哀愁しんでれら』(2021年)の小春(土屋太鳳)は夫の大悟(田中圭)と共に社会に復讐するがごとき秩序破壊に向かった。今回鑑賞した『ミッシング』の沙織里(石原さとみ)は、はたして救われるのだろうか?
 冒頭からすでに尋常ではない疲れ切った表情で、失踪した幼い娘の捜索チラシを配る沙織里と夫の豊(青木崇高)。石原さとみの演技が、今までにない迫力と凄まじさを際立たせている(賞賛)。さらに強調したいのは、痛々しくも心を失くしていく妻に対して、責められながらも辛抱強く寄り添ってゆく夫には、青木崇高以外では演じられなかったのではないかというくらいの感動を呼ぶ好演を見せている。 
  『流浪の月』 や 『哀愁しんでれら』 と違い、男と女あるいは夫婦の存在はあくまで社会の内側(一般性)での生き様を前提としている。それは自局上層部からの度重なる煽りの報道の指示に不信感を募らせていくローカルTV局記者砂田(中村倫也)への沙織里が縋りつくような信望の姿と、豊のSNSでの誹謗中傷に対する告訴への行動で明らかだ。だからこそ、社会の内側だからこそ沙織里は壊れていく。観客はその残酷さに心が引き裂かれるような映画体験をするだろう。
 『空白』(2021年)の主題と絡めながらでもいいかもしれない。昨今問題となっているSNS炎上→告訴のニュースをあれこれ聞いて思うのは、我々観客が体験する映画内世界では今回こうだけど、日常生きている現実世界は実はもっと愚かで悲惨なのではないか?石原さとみの演技はなんら過剰ではなくリアリティを見事に表現しているのではないか。ただでさえ娘が不在の苦しい日常を生き続けねばならない母親の役なのだから。


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