夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

ようかんパン

2018-12-26 23:12:55 | グルメ

 ようかんパン

懐かしの味

富士ブランド認定

 

ようかんぱんだ  三兄弟

楽しめる

 

 

 FUJI  NO KUNI

パンなのに、ようかんみたいに美味しいあんこのコーティングが表面にいっぱい塗ってある!?

  ドーナツ状のあんパン◎

ドーナツ状のパンの中にも、饅頭みたいにあんこが沢山入っています!!

真ん中の穴の中には生クリームがタップリ入ったようかんパン◎

  初めてようかんパンを作った時代には、チョコレートが高級品で手に入らなかったので、チョコレートの代用品として

漉し餡を薄くのばした水羊羹みたいに美味しいあんこを、パンの皮に塗ったようです◎

 ようかんパンは、 アイデア商品のはしり◎

 ようかんコーティング生クリーム入りあんパンと言ったところでしょうか♪

 味は勿論とっても美味しいです!!

甘くてほっぺが落ちそうですが、大人は糖尿病にならないように、一つだけにした方が良いと思います。

 

近年はチョコレートよりも晒し餡の方が高価になったようで、

チョコレートでコーティングしたパンは色々見かけます。

  ようかんみたいなあんこをコーティングしているあんパンは珍しいのでしょうか?

懐かしの味

 富士ブランド認定となっています!!

あまり沢山作れない?または作らない?らしくて、富士市や沼津市の

一般のお店では見たことがありませんでした。

ですから、富士の隣の沼津出身の私たち夫婦は、ようかんパンは懐かしの味ではありません!

正確に言うと富士市の人たちの懐かしの味。

 正しく  『富士ブランド』ですね!!

  私は、外来診察時、富士市立中央病院の売店で見つけた時に購入する位です。

   年末なので、故郷に帰省する人たちの為に、特別にスーパーに並んでいたのかも知れません?

もしかすると私たちが市立病院の売店以外売っているお店を知らないだけかも?

 

 

 

 

 

 


クリスマスは父親の命日です。

2018-12-25 21:47:39 | 日記・エッセイ・コラム

            クリスマスは父親の命日です。

日本人にとっても、普通クリスマスの思い出は楽しいものが多いと思います。

がクリスマスは、私の辛い日々が始まった日です。

 

  昭和41年12月25日

Гおい、まぁどうしょう…」

その日の朝迄元気だった頼りの跡取り息子46才を突然失った祖母の悲痛な叫び声が今でも耳に焼き付いています!

朝元気に、ボランティアで道路の舗装工事に独りで出掛けて行った父は、昼過ぎに脳出血を起こして、その夜には急逝しました。

当時、

祖母67才。母43才。

私は13才。

 

 江戸時代後期に建設された旧家の上がり端。

土間に夥しく並んだ様々な履き物。

すすり泣きや大きな泣き声が聞こえる母屋から、

弔問客にお茶を出そうと、突っ掛けを履いて竈屋に行った時、

黒い扉の大きな引き戸の棚に

町の食料品店に嫁いでいた従姉がお土産に持って来てくれた

アイスクリームで出来たクリスマスケーキが溶けてドロドロになっていたのが、

忘れられないクリスマスの思い出です!!

 

 

 


楽しいクリスマスをお過ごし下さいませ!!

2018-12-24 19:58:19 | 日記・エッセイ・コラム

   

今日はクリスマスイブ

 

父親が13才で亡くなった二年後、私がまだ高校1年生だった頃、

  アスファルトに舗装されていない根方街道の泥んこ凸凹道を、オンボロバスに乗って、

街に出て、駅からまた違うバスに乗り換えて、海辺に在る女子高校に通学していた時..

下校時は千本海岸沿いに在る校舎から、市内の繁華街を色々とウィンドウショッピングしながら

バス発着所になっている百貨店迄歩くのが、唯一の息抜きの時間でした!

 

 誰かと一緒に歩く訳でも無く、

校則で、通学時の外食や飲食は禁止。

母から預かった夕食の材料費以外、お小遣いを持てる余裕も無く、

薄暗くなって行く街中に流れるジングルベル等の賑やかな音楽や

デパートのショウウインドウに飾られた素敵な赤いコートや

暖かそうなファー着きのブーツなどを横目に、

  "マッチ売りの少女“ になった私は、

食堂から漂って来る暖かくて美味しそうな食べ物の匂いに励まされ

 バス発着所のデパート地下の食品店で肉などを買い、

家に帰って平凡な日本のメニューの夕食の支度。

    私とクリスマス

家はキリスト教徒ではありませんし、

普通の生活をしている一般的な家庭ではクリスマスを祝う習慣など無い時代でした。

 子供会でクリスマス会などと言って、お汁粉会をしてくれていた程度です。

12月25日は、父親の命日なので、

一周忌。

三回忌。と法事続き。

クリスマスソングよりも僧侶の読経の思い出の多い12月25日です!!

 

素敵なクリスマスの思い出も無く、青春時代を終わり、

結婚して、子供たちが保育園に通うようになって初めて子供たちの為に

七夕と同じ様な年中行事として行うようになりました。

 

大抵の人は、クリスマスは子供の頃の楽しい思い出として心に残っていることと思います。

サンタクロースさんから、全ての子供たちにプレゼントが届きますように!!

クリスマスに寂しい思いをしている子供たちがいませんように!!

皆様楽しいクリスマスをお過ごし下さいませ!!

 

 

 

 

 


父逝きて 五十二年の 時が過ぎ

2018-12-23 20:51:37 | 日記・エッセイ・コラム

    父逝きて 五十二年の 月日経つ

12月25日は私の父親の命日です。

昭和41年の12月25日に脳出血のために、46才で急逝しました。

 私は13才。

中学二年生でした。

私の父親の写真

昭和16~8年位に撮影された物だと思います。

それ以後は、海軍の水兵です。

 

 あの衝撃的な一日から半世紀以上の時が流れて、生前の父親のことを知っている人たちもみんな高齢者になりました。

少女だった私も65才。孫二人が来春からは中学生になります。

 明後日が命日ですが、仕事の関係で氷雨の降る生憎の天気でしたが、

ケビンに故郷のお墓に墓参りに連れて行って貰いました。

 

三人の兄たちは、皆お墓の近くに住んでいるのですが、墓参りの気配も無くて

私が秋のお彼岸に供えた造花が冷たい雨に濡れていました。

古いのを片付け、新年を迎えるのに相応しい新しい花をお供えして来ました。

 

  兄弟が、近くに住んでいれば、何かと頼りになる。

御先祖様の墓守をしてくれる。

実家の兄や兄嫁さんたちの手助けになると思って分家したのかと思っていました。

が実情は全然違っているようです。

故郷の変わり行く景色

2018年12月23日(日)  ららぽーと建設中 沼津市郊外

  昭和41年当時は一面の水田でした!!

 

  自分の住んでいる家の掃除や片づけもキチンとしない、

と言うよりもハッキリ言って、出来ないような女性たちが、

顔も知らない、会ったこともない、大正生まれの夫の父親のお墓参りなんてする訳が無いですよね。

顔を知っている、夫の母親だって同じです。

徒歩2分と徒歩5分の土地に住んでいても、故人を悼む気持ちが無ければ、

墓参りなんて……

 育ちと言うのは、本当に恐ろしいものだと思います。

 

命を繋いでくれた御先祖様に対する感謝の気持ち。

仏様に手を合わせる心。

 身近な親の背中を見て、次の世代に繋がって行くのだと思っています。

  暮れで忙しいのに冷たい雨の中、私の故郷の父親のお墓参りに連れて行ってくれたケビンに感謝しています!!

 

 

 

 

 

 


百里を行く者は、九十里を半ばとす

2018-12-22 21:31:29 | 日記・エッセイ・コラム

                     百里を行く者は、九十里を半ばとす

 年末になると、

中国 戦国時代の史書Г戦国策」に由来する

『百里を行く者は、九十里を半ばとす』 と言う言葉を肝にめいじています。

              最後迄気を緩めずに努力をしなければならない。

何事も仕上がり近くが肝心で、最後ほど難関だから九分のところで気を引き締め直せと言う意味でしょうか。

人の一生も一日一日の積み重ねですし、一年365日の積み重ねですから、

人生の最期をキチンと終える為には、終わり方が肝心と言う事でしょうか?

 

  『晩節を汚す』と言う言葉

折角今まで頑張って、それなりの成果を上げて来たのに、

人生の後半になって、

金銭欲権力欲に目が眩んで、退き際を間違えている輩達の多いこと。

 

ゴーン然り。

金銭。権力。女性。欲望の塊。

2020東京オリンピック 関連の森さんを始め

各種スポーツ関係のお偉方。

 

教えの内容や意味合いは違いますが、本当にそうだなぁと納得するのが、

徒然草109段

高名の木のぼり

高名の木のぼりの教えです!!

     軒長(のきたけ)ばかりの高さになって、

「あやまちすな。心して降りよ」

 

        『過ちはやすきところになりて必ずつかまつる』

 高い所や枝の細い場所では、自分で十分に危険なことを意識して気を使って気を付けているが、

飛び降りても降りられる位の高さになると気が緩んで、怪我をしたりする

 蹴鞠でも、難しい玉を返した後で簡単なのを返し損ねる。

  試験で、難しい問題は解けたのに、簡単な問題でケアレスミスとかすると、かなり落ち込みますね……

   難しい手術そのものは成功したのに、ガーゼをお腹に置き忘れたとか言うニュースに接すると、

人間の愚行は、兼行法師の時代と同じだなぁと思ってしまいます。

 コンピューターを始め各種電子機器の進歩で、もっと悪くなっているかも知れませんね。