夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

夢見るタンポポおばさんセニアカーで秋の富士山麓を行く

2017-09-20 21:21:44 | 日記・エッセイ・コラム

           夢見るタンポポおばさんセニアカーで秋の富士山麓を行く

散歩道の草花

 

 

ヘクソカズラ(屁糞葛)

私の中では気の毒な名前 可哀想科のNO・1の植物です。

山の家の近くの道端にも彼岸花が沢山咲いています。

花友達の家のミソハギの花

民家の庭先の松葉ボタン

槿の花

秋は薄桃色や藤色、紫色の花や実の植物を良く見かけます。

 

小さな鳥居のある社の桜の木の下に毎年沢山咲くつるぼの花

 

暑い夏が過ぎ去って、ほっと一息入れるのに相応しい落ち着いた優しい色合いです。

 

山の家のモジズリ⇒ネジバナ の花

 家主が不在でも、健気に咲いていました!

               久しぶりにセニアカーで山の家の周りを散歩しました!

暑さ寒さも彼岸まで

 富士山麓にも秋がやって来ました。

 

 

 

 

 

 


アボカドのアボちゃん大きなプランターに引っ越し

2017-09-19 21:48:02 | 日記・エッセイ・コラム

                     アボカドのアボちゃん大きなプランターにお引っ越し

2017年9月17日撮影

夏の間水耕栽培していたアボカドのアボちゃん

夏休みも終わりましたので、観察終了。

  ケビンが、9月11日にトマト等を育てる野菜用の大きなプランターに移植しました!

移植直後のアボちゃん

下の写真は移植して一週間目のアボちゃんです。

 僅か一週間で驚異の成長力ですね!!

上から撮影  葉の上の黒い物は、土の中の黒い物質で、汚れや病気ではありません。

葉っぱの部分が地上に出て来るときに時々くっ付いています。

                 我が家の第四子のアボカドのアボちゃん

只今、新築中の家の植木に使おうと思っています。

他の植木に比べて成長が著しく速くて、直ぐに大きくなるので、人目や夏の厳しい日差しを遮る用途で利用しようと考えています。

今回は葉をこんもり繁らせたいので、一本立ちにせず自然に任せています。

            移植前のアボちゃんの全体像

2017年9月11日  撮影

地上部分よりも根っ子の方が2~3倍元気ですね…

 アボカドを育てて楽しんでみたい方は、2017年6月11日

7月1日、16日、27日、9月7日などに記事がありますので、参考になさって下さいませ!!

    今から始めますと、丁度緑の少ない真冬

  室内を彩る観葉植物になってくれると思います。

先ずはアボカドを食べることから始めましょう!!(誰にも出来てスゴく簡単です~)

 

 

 

 


台風の後の富士山

2017-09-18 20:54:43 | 日記・エッセイ・コラム

                              台風の後の富士山

2017年9月18日 朝の富士山

台風一過、秋空と富士山

右側の山肌に見える白い点々は、山小屋です。

夕方3時過ぎの富士山

 

 

富士市からは富士山がとても良く見えます!

夕方の富士山

夕焼けに少し赤く染まっていました。

         嵐の後の富士山

強風が汚れた空気を吹き飛ばして、空も富士山もとても綺麗です。

登山者に踏み荒らされて汚れた富士山の夏の汚れを洗い流してくれたようです。

        干し柿

渋柿は、皮を剥かれて、串刺しにされて、寒い中で干されて、甘くなる。

何かの本に書いてありました。

        病気で貴重な体験

私の闘病生活も、痛みと苦悩の連続ですが、素晴らしい医療関係者との出会いや交流。

もし健康体だったならば、決して経験出来なかったような体験。

病気でなければ絶対に味わえなかった数々の感動!

 病気は大変な事や嫌な事が多いですが、病気だからこそ経験出来る貴重な体験もあります。

闘病生活で自分も家族も随分変化したと思います。

 普段は分かり難い富士山の山肌の山小屋や小さな窪みが台風の後ではっきり見えるように、

周囲の人たちの心の機微が良く解るようになります。

 例え家族でも、お互いが、相手の気持ちや立場を尊重するようになったことは闘病生活の贈り物だと思っています。

 私自身が病気や闘病生活に感謝しているのは、『人生を一日一日、大切に送るようになったこと』です。

人と別れる時には、何時でもこれで最後と思っています。

これは私の父親が朝元気に出掛けて、昼に倒れ、その夜に亡くなったことに由来しています。

父46歳で急逝。母67歳で闘病18日で死亡等と言う両親を持つと、

四十年間の結婚生活で通算三年半も入院生活を送っている私は大変に恵まれています。

生かされて生きる命を一日一日大切に生きている私です。

 

 

 

 

 


線維筋痛症と共に

2017-09-17 22:05:23 | 日記・エッセイ・コラム

                        線維筋痛症と共に

 

 線維筋痛症友の会 会員証 2007.4.27 発行

会員NO.944

手帳は平成19年10月23日に発行。

(平成22年には脳幹左橋の出血で、級が変更になりました。)

今年で丁度丸10年 線維筋痛症患者として闘病生活を送っています。

 一口に十年一昔と言いますが、私たち夫婦や家族にとって、本当に大変な十年でした。

まさか十年後に生きていて、こんなに元気(??)になっているなんて本人は勿論、誰も予想しなかったと思います。

 

最近、私が服用している薬 1日分を小袋に入れて管理しています。

現在、痛み止めは、サインバルタを服用しています。

 私が医者に線維筋痛症と診断されたのは、平成19年4月20日でした。

疼痛は、

平成10年2月の交通事故の後からずーっと続いていました。

 線維筋痛症と診断されてからよりも、それ以前の方が余程大変だったように思います。

  心無い人々の無知と無理解で、交通事故の保険金詐欺や、嘘つき、怠け者みたいな酷い扱いを受けて来ました。

  思い返すのも辛くて悲しい日々でしたので、正直病名が判って、ほっとしたことを覚えています。

 詳しい経過等は、夢見るタンポポおばさん、線維筋痛症で検索すると沢山出て来ますので、

現在原因不明の痛みに悩んでいらして、もしかして私もと思われる方は検索して見て下さいませ!!

  2015年4月20日にも記事があります。

私がブログを始めようと思ったのも、私の経験を通して、一人でも多くの人々にこんな厄介な病気があって、

それでも明るく、夢と希望を持って生きているおばさんがいるよと知って欲しかったからです。

そして私のブログの写真や文章を読んで、悩みを抱えている人が一人でも、肩の荷を少しの間だけでも降ろして、

笑顔で、元気になってくれたらいいなぁと思っています。

 悩みの無い人はいないそうです。

悩み事は、例え人には理解されなくても、ヒトには些細な事でも、当人にとっては本当に辛くて大変なものですね………

                          諦めない!!

 Г先生この痛さのまま生きて行くなんてとても無理です。もう殺して頂けませんか!!…」

こんな私の無理難題にも優しく対応して下さった主治医の神経内科医川上正人先生。

川上正人先生を始め御世話になっている数多くの先生方。

 夫を始め優しい息子や家族。

  ※(今は、)力強い味方に支えられて、闘病生活を送っている私です。

                                                                      

 ※

毎日新聞の『男の気持ち』に夫の文章が掲載されました所、

親切心からだと思いますが、

         『溺れるものは藁をも掴む』の諺の溺れる者と判断されたらしくて、

疼痛を取り除きたいと言う人の弱みに付け込んだ

?????の治療法を勧められたり、

霊障を取り除く祈祷とか、聞いたこともない宗教団体への参加とか

何か、カモみたいになって悩まされた事もありました。

効果のある人にはあるかもしれませんが、私には無理です……

    私の線維筋痛症については、ずっと記録を残してありますので、少しずつ記事にして行きたいと考えています。

                           痛みは痛み

  何もしていなくても痛いのですから、

何かしていて痛い方がマシと考えて生活しています。

正に、痛みと共にですね…

 

 

 

 

 

 

 

 

 


線維筋痛症の私

2017-09-16 22:03:36 | 日記・エッセイ・コラム

                線維筋痛症の私

先日、レディーガガさんが難病の『線維筋痛症』の闘病の為に休養すると発表。

連日マスコミで報道されているようですね…

 同じ線維筋痛症患者として、この病気がみんなに広く知られて、

病気や患者に対する理解が進むようにと祈らずにはいられません。

 やっと辿り着いた専門医に

『線維筋痛症』と診断されて、

あれやこれやと調べると、

 原因不明で、治療法の無い難病等と解ると

大抵の患者さんは、

絶望的…

お先真っ暗…

夢も希望も何にもない。

在るのは連日連夜身体中あちらこちら移動する烈しい痛み…

表現する言葉も見つからない程の倦怠感と疲労感。

 仕事から疲れ果てて、家の玄関に辿り着くと、

Г御飯を食べるよりも横になりたい!」と言うのが何時の頃からか、私の口癖になっていました……

       散歩道のつるぼ  花言葉  1、『我慢強い』

   我慢強い性格があだになった私

私の場合

幼い頃からの無理や、周囲の無理解が、病気を酷くさせてしまったようです。

 どんなに痛くても家事や育児は勿論仕事もしていました。

両親共に早くに亡くしていますし、姉妹も娘もいない私は何時も全力投球。

ゆっくり休んだり、人に頼ったりと言うことが出来ませんでした。

仕事で 頑張っている夫にも、心配をかけまいと、烈しい痛みに悩んでいるとは言いませんでした。

  明け方、疼痛に耐えかねて自然に出た私の唸り声を聞いた夫がビックリして、「どうした!?」

Г実は、私痛くて息も出来ない…。」

それから私たちのドクターショッピング擬きが始まりました。

  当時は未だ医療関係者にも、線維筋痛症は良く理解されていないようでした。

Г身体中割れたガラスの破片が駆け巡っている感じ」    血管の中

「灼け火箸を当てられたような焼け付く痛み」  皮膚

Г頭を強く締め付けられたみたいな痛さ」  頭痛

Г針の山を歩いているように痛くて歩けない」 足の裏

Г音が痛い」

Г風が痛い」

「痛くて爪も髪も切れない」

『触ると痛い』

何時も何時も泣いていたように思います。

つるぼの花

花言葉2『誰よりも強い味方』

  Гこんなに酷い痛みでこれから先、一生生きて行かなくてはならないのだ」と思うと

辛くて悲しくて

出て来るのは、涙と溜め息だけの毎日が、何年も続きました……      続く

 

誠に勝手ですが、

 台風の接近中で今日も痛くて、もう座っているのが限界です。

途中ですが、終わります。