タニボンの「なんでもアナリスト」

「野に放たれた数学(確率・統計)」
世の森羅万象を冗談混じりに解析してみました。

クライマックスシリーズはいらない?確率論で考える。

2010-10-25 00:10:11 | Weblog
2010年のプロ野球、パリーグのクライマックスシリーズは、リーグ3位のロッテが制した。
敗れたソフトバンクは、6回出場(2004~06のプレーオフを含む)して一度も日本シリー
ズに駒を進めることができなかったこととなった。
敗れたソフトバンクの王球団会長は、試合後のインタビューで以下のとおりに語った。
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「勝負の世界は厳しい。向こうは持ち味を出して、こっちは出せなかったということ。例えは悪いけどコイン投げと一緒」と険しい表情で話した。
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「コイン投げと一緒」という表現がユニークだ。
王球団会長の心中を忖度すれば、以下のようなものであろうか。
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①歪みのないコインを投げて、その表・裏を予想するゲームを考えてみる。
このゲームを無数に繰り返せば、表・裏の出現確率は50:50である。(確率論『大数の法
則」)
②ところが、試行回数が少ないと話は違ってくる。たとえば、3回の試行回数で考えてみ
ると、表が3回連続して出現する(または裏が3回連続する)確率は、それぞれ1/8、
合計では1/4となり、出目が極端に偏るということは、まま、あることである。
③これをプロ野球の試合に置き換えて考えてみる。実力差を正確に測るためには、試行回
数を十分に増やすことである。
④2010年のパ・リーグ場合、135試合という十分に多い試行回数(ペナントレース)にお
いて、ソフトバンクはロッテを上回っているのに、少ない試行回数(クライマックスシリーグ)における、たまたまの出目において、優位となったロッテがリーグを代表して日本シリーズにおかしいではないか。
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「コイン投げと一緒」という表現に、王球団会長の、クライマックスシリーズという制度に対するやるせない気持ちが滲んでいる。
プロ野球ファンとて同じで、クライマックスシリーズになにがしさの不条理さを感じない人はいないはずだ。
そこで、興業としては面白いクライマックスシリーズという制度をどうすればよいか、確率論で考えてみた。

現行のクライマックスシリーズのルールは
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1)ファーストステージ
・レギュラーシーズン2位球団と3位球団が、3試合制で対戦する。
・勝利数が多い球団が勝者となり、ファイナルステージへ進出する。
2)ファイナルステージ
・リーグ優勝球団とファーストステージの勝者が、6試合制で対戦する。
・リーグ優勝球団には1勝のアドバンテージが与えられる。
・このアドバンテージによる1勝を含め先に4勝した球団を「クライマックスシリーズ優勝球団」とする。
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このルールにおいて、クライマックスシリーズをコイン投げ、つまり、勝ち(表)・負け(裏)の出現確率は50:50のゲームとして確率計算してみると以下の通りとなる。(※引き分けはないものとした)
【クライマックスシリーズ優勝確率】
・リーグ優勝球団 66%
・2位球団    17%
・3位球団    17%
1位チームに1勝のアドバンテージが与えられている効果が大きく、数学的確率を計算すると66%と2位、3位が勝利する確率(34%)に比べておよそ2倍の優位さがあり、、まずまず上手く、制度設計されているようにも思える。
実際、クライマックスシリーズ 1位通過チームにアドバンテージが設定されるようになった2007年からの優勝チームをみてみると、
・リーグ優勝球団  6回(75%)
・2位、3位チーム 2回(25%)
と、過去のデータをみても、やはりリーグ優勝球団が明確に優位であることが分かる。
※ソフトバンクの不遇さが強調されるが、これは、クライマックスシリーズ導入前のプレーオフ制度(2004~2006)において、リーグ優勝の2回(2004,2005年)での不通過が含まれるため、印象としてそう感じるのであろう。(この場合、リーグ優勝球団が通過する確率は50%に過ぎない)

では、なぜ、未だに根強く、クライマックスシリーズ不要論が残るのだろうか。
1)ペナントレースにおいて、明確に下位に位置づけられたチームがゾンビのように復活する気味の悪さ。
2)なおかつ、それが容易に起こりうること。(※実際には、リーグ優勝球団には1勝のアドバンテージが与えられ、それは確率論でみてもかなり有利(66%)であるのだが、ファンにはそれが認知されずにペナントレースの戦いが無意味にみえる)
1)については、ペナントレース至上主義なので、いかんともし難い。(かくいう、私もこれだ)
2)については、クライマックスシリーズという制度設計を見直すことで対処は可能である。
これについて少し考えてみたい。

クライマックスシリーズという制度に求められるのは、「興業としての面白さ」と「レギュラーシーズンの価値の希薄化回避」という、相反する2つの価値のバランスだ。
そのためには、
①2位、3位のチームはあくまでも敗者復活なので、チャレンジャーとしてリーグ優勝球団に挑む形が明確であること。
②リーグ優勝球団には、レギュラーシーズンのでの実績を認め、数字的にも相当に有利であるよう配慮すること。

これらを満たす妙案として、かつて、スポーツキャスターの栗山英樹氏(だったと思う)が報道ステーション内で提案していた「サドンデス方式」が魅力的に思える。(※厳密には「サドンデス」とは、意味が違うようであるが便宜的にそう呼ぶことにした。
サドンデス方式とは、
・下位チームが上位チームを下すためには、負けずに3連勝を必須とする。
・3連勝するまでに1敗でもすれば、上位チームへの挑戦はそこで絶たれる。
・この方式だとクライマックスシリーズで優勝するためには、
3位チームは、6連勝が必須である。(確率1.6%)
2位チームは、3位チームに1勝し、1位チームに3連勝する必要がある。(確率10.9%)
1位チームは、優勝決定戦において1勝でもすればよい。(確率87.5%)

この方式だと下位チームは負けを許されないために、総力戦を強いられ、緊迫した戦いが期待できるし、下位チームのチャレンジが観客にも伝わるだろう。
ちょうど、今年のファイナルステージにおけるロッテのように、ソフトバンクに王手をかけられながらも、そこから3連勝して優勝するような鬼気迫るような逆転劇を見せてくれるのなら、クライマックスシリーズの不条理さも幾分は和らぐというものだ。
ただ、上記のように3連勝を要件とすると、今度は数字的にリーグ優勝球団が余りにも有利になり、興を削ぐことにもなる。
2連勝を要件とすれば、リーグ優勝球団のクライマックスシリーズで優勝確率は75%とまずまずの値だが、下位チームが1勝しただけで王手になるのもどうかとも思う。
このあたりのサジ加減が難しい。

レンタカーの免責補償と行動経済学

2010-10-11 21:55:12 | Weblog
先日、旅行先でレンタカーを借りる機会があった。

レンタカーの店舗において精算をする段階で、「免責補償は入りますか?」と店員に聞かれた。
免責補償とは、私にとっては聞き慣れない言葉なので、その内容を聞くと概ね以下の通りであった。
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①レンタカーの通常料金には、対人無制限、対物1000万円といった、およそ通常で考えられるようなリスクをカバーするような保険料も含まれている。
②ただし、この保険は、5万円を超える部分を補償するものであって、それ以下の場合は全額自己負担、それ以上の場合は5万円を上限に保険加入者が負担しなくてはならないような契約となっている。
③免責補償という制度は、万一の事故の際に支払わなくてはならない、この上限5万円を補償するもので、一日当たり1000円(税抜)の費用で加入することができる。
④レンタカーを利用する人の8割程度は加入するとのことである。
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私は、少し考えて、加入しないことにした。
割高だと考えてそうしたのだが、加入しない旨を意思表示したときに軽い不安感を憶えたのは事実だ。
その後、無事、旅行を終え、帰りの機中で再度この判断が正しかったかを反芻してみたが、やはりこの判断は間違ってはいなかったように思う、「免責補償は要らない」と。
以下、その理由を書いてみる。

1)期待値がマイナスの賭けであること
保険というものの商品の性質を考えれば、全ての保険は期待値がマイナスの賭け、つまりは加入すれば、平均的には損をする商品であることは自明である。
自己啓発書の古典的名著『道は開ける』(創元社 デール・カーネギー著)のなかで、著者は保険の性質というものをに皮肉をこめて以下のように書いている。
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世界で最も著名な保険会社-ロンドンのロイド船舶協会-は、まれにしか起こらない出来事を気に病むという人間の性質を利用して莫大な富を築き上げた。ロイド協会は、一般人が心配している災難など起きないであろうという見通しに基づいて賭けをしているわけだ。ところが、彼らはそれを賭けと呼ばずに保険と名づけている。けれども、実は平均値の法則に基づいた賭けなのだ。この巨大な保険会社は二百年にわたって発展を続けてきたが、人間の性質が変わらない限り、さらに五百年は安泰を誇るであろう、靴や船舶や封ロウなどの、一般人が想像するほど多くは起きない災難に対して、平均値の法則によって、保険を引き受けることで。
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平均的には損をする賭けで、トクをする参加者というのは、確信犯的な人物か、事故率が相当に高い危険人物かである。
いづれにせよ、普通の人間には当てはまらない話である。

2)保険の趣旨に合致しないこと
もっとも、保険の期待値がマイナスであるからといって、全ての保険が否定されるものではないだろう。
リスクというものは、リスクの「出現確率」とリスクが出現したときの「ことの重大さ」とで勘案すべきものである。
リスクの「出現確率」は低くとも、ひとたびそれが発生した場合に個人の生活が破綻する「ことの重大さ」がある場合においては、保険の存在意義はある。
レンタカーを利用する上での最悪の事態は、対人事故において数億円の賠償を請求されるようなケースだろうが、この場合においても、通常の保険においてその補償のほとんどがカバーされ、免責補償が補償してくれる金額はたかだか5万円に過ぎない。
個人において、5万円の出費は、確かに「痛い出費」には違いないが、「個人の生活が破綻する」というほどのものではない。
保険業界においては、保険によって交通事故の損害が補償されることにより、加入者の注意が散漫になり、かえって事故の発生確率が高まることが知られている。(モラルハザード)
むしろ、モラルハザードの防止の観点からみても、この程度の「痛み」は残しておく必要があるのではないだろうか。

3)割高であること
ところで、一日当たり1000円の保険料で最大5万円の保障という価格設定はどうなのであろうか。
私たちにとって、日割りの保険というものに馴染みがないため、この価格が高いのか安いのかについて、今ひとつピンとこない。
そこで、やや強引だが、日割りの保険を年間(365日)に置き換えて考えてみよう。
そうすると、36万5千円の保険料で、最大限5万円の保障(1回当たり)となり、相当な割高であることが判る。元を取る?ためには相当な事故数が必要になるだろう。
(※実際は、年間の契約だとリース契約となりこんな金額にはならないが、考え方のヒントにはなるだろう。)

以上、冷静に考えれば考えるほどに不合理に思える免責補償に、レンタカー利用者の80%もの人が加入する、その理由は何であろうか。
かくいう、私自身も加入を断ることにためらいを感じたので、その心理を探ってみれば、
①レンタカーを借りる状況というのは、旅先など、利用者にとって未知の土地であることが多く、心理的に不安な状態であること。
②支払いは、レンタカー代と合算して行われることになり、レンタカー代本体(5千円~1万円/日)に較べると保険料(千円/日)は微々たるものに感じること。
③これに加入すれば、万一の事故が発生した場合にも、追加で1円も払わなくてもいいという安心感。

行動経済学の理論を借用して、これらをみれば、
②については、レンタカー代本体がアンカーとなった「アンカリング」
③については、「確実性効果」
という人間の心理上のバイアス(歪み)を巧みに利用したテクニックが利用されているようにも思えるがどうなのだろうか。