B・マルキールの『ウォール街のランダムウォーカー』といえば、投資教育のバイブル的存在で、今後も読み継がれるであろう古典的名著である。
その本の中で、マルキールは、以下のように結論づけている章がある。
「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」
直感的には、これは正しいと私は思ったが、経済評論家である山崎元さんによるとこれは間違いということらしい(2009年3月19日 読売新聞)。
以下、マルキールの主張と山崎さんの指摘を整理してみた。
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【マルキールの主張】
1)広く分散された株式ポートフォリオに投資していた場合には、1926年から2005年までの期間を通じて年平均10.5%という高いリターンを上げることができる。
2)ただし、投資期間が1年間という短期の場合には、典型的な株式ポートフォリオのリターンは、ある年には52%を超えたかと思えば、ある年には26%以上ものマイナスになっていたりする。
3)ところが、投資期間が25年間という長期にわたる場合には話は全然違ってくる。どの25年間をとるかによって多少の違いはあるかも知れないが、その差は大きくない。仮に1950年以降、株式投資にとって最悪だった25年をとったとしても、年平均リターンは、平均リターンの10.5%より3%低かっただけである。
4)よって、「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」と説く。
【山崎氏の指摘】
1)マルキールのデータを使って、投資の元本を100として簡単な計算をしてみる。
①株式に投資した場合の1年後の運用資産額は
・最大額は、152.62(+52.62%)
・最少額は、73.53(△26.47%)
その差は79.09
②次に、投資の元本を100として、株式に投資した場合の25年後の運用資産額は
・最大額は、5332(年率リターン=17.24%)
・最小額は、 675(年率リターン= 7.94%)
2)投資した結果の資産額のバラツキが時間と共に拡大していることは明らかである。投資家にとって最終的に問題なのは「資産額(の評価の差)」であり、期間を通じて平均した「年率リターンの上下のぶれ」ではない。
3)ついでに言うと、80年間のデータを持ってきても、「25年」という期間は、重なりのない独立なデータは3つと少々分しか存在しないから、その統計的信頼性は不十分だ。「株式投資の方が債券投資よりもほぼ必ずリターンが高いことがデータによって証明されている」と言うのは無理だ。
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・山崎氏が3)で指摘するように、「「25年」という期間は、重なりのない独立なデータは3つと少々分しか存在しないから、その統計的信頼性は不十分だ。」という意見には同意するが、アメリカの証券市場そのものの歴史が浅いので仕方のない面もある。
その他は、説得力のある議論だと思う。
・むしろ気になったのは、山崎氏の指摘である。
1)「投資した結果の資産額のバラツキが時間と共に拡大していることは明らかである。」としているが、こんなことはマルキールとて先刻承知のことだろう。
というのも、例えば、マルキールが導き出した年率リターンの最大値(17.24%)については、25年後の最大総資産額(5332)から割り戻すことでしか求められないからだ。
2)一般に、人は「複利の効果」を過小評価する傾向があり、複数の資産運用の計算では、年率リターン初期の値が僅かの差であっても時間のタームが長くなればなるほどに、資産額の取りうる値の幅(レンジ)はハサミの刃のように大きく広がっていくことを見落とされがちである。
このことを逆に言えば、長期運用後に大きな差のある複数の資産運用でも、年率リターンに割り戻すと年率リターンの差は、思いの外小さくなる。
3)マルキールが言いたかったのは、長期における株式投資は(あくまでも80年間という期間の実証研究での話ではあるが)最小値においてすら、国債が取りうる資産額を上回るという、比較優位であろう。
株式を利回りで表したのは、あくまで国債との比較対照をし易くしただけ(国債は利回りで表記されるため)で、その値の幅が長期間になると縮小するように見えるのは、複利計算が生み出す錯覚に過ぎない。
4)「長期投資でリスクが縮小する」とは、マルキールは別に書いていない。
併記されているグラフでそのような解釈をしたとしたら、それはレンジとリスク(標準偏差)を混同した曲解だろう。
さらに「影響力の大きなマルキール先生の名著に堂々と誤りが載っているのだ。」とやってしまうのは、「投資の権威」に対しての勇み足ではないだろうか。
さて、表題に戻り、「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」という命題についての正否はどうなのだろうか?
①株式投資とは企業の生産活動に資本を提供する行為なので、これにより「平均的には」プラスの期待リターンを得ることができる。
②「平均的には」プラスの期待リターンを得ることができるといっても、場合によっては、単年度ベースのリターンがマイナスとなりうることもある。
マイナスになるリスクに挑む資本の報酬こそが、株式投資が持つリスクプレミアム(5~6%といわれる)の原資である。
③マイナスになるリスクは調査期間を長くとれば、大数の法則により、かなり低減できるものと考えられる。
④とはいうものの、例えば、2008年のリーマンショック以降の相場暴落の事例を持ち出すという野暮なことをすれば、これは簡単に反証されてしまうのだ。
⑤このため、「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」という命題は「蓋然的には正しい」としておきたい。
ところで、『ウォール街のランダムウォーカー』だが、日本語版の初版は1999年で、現在、書店に並んでいるのは2007年に改訂された第9版である。
この両者を注意して読み比べてみると、内容が時代に合わなくなってきているからなのか、最新のものは注釈等が増えており、整合を保つために取り繕うことに苦心している様子がうかがえる。
資産運用という、生きた経済を扱うテーマにおいては、本のサブタイトルにある「不滅の真理」というものは存在しないのかもしれない。
ウォール街のランダム・ウォーカー 株式投資の不滅の真理
その本の中で、マルキールは、以下のように結論づけている章がある。
「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」
直感的には、これは正しいと私は思ったが、経済評論家である山崎元さんによるとこれは間違いということらしい(2009年3月19日 読売新聞)。
以下、マルキールの主張と山崎さんの指摘を整理してみた。
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【マルキールの主張】
1)広く分散された株式ポートフォリオに投資していた場合には、1926年から2005年までの期間を通じて年平均10.5%という高いリターンを上げることができる。
2)ただし、投資期間が1年間という短期の場合には、典型的な株式ポートフォリオのリターンは、ある年には52%を超えたかと思えば、ある年には26%以上ものマイナスになっていたりする。
3)ところが、投資期間が25年間という長期にわたる場合には話は全然違ってくる。どの25年間をとるかによって多少の違いはあるかも知れないが、その差は大きくない。仮に1950年以降、株式投資にとって最悪だった25年をとったとしても、年平均リターンは、平均リターンの10.5%より3%低かっただけである。
4)よって、「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」と説く。
【山崎氏の指摘】
1)マルキールのデータを使って、投資の元本を100として簡単な計算をしてみる。
①株式に投資した場合の1年後の運用資産額は
・最大額は、152.62(+52.62%)
・最少額は、73.53(△26.47%)
その差は79.09
②次に、投資の元本を100として、株式に投資した場合の25年後の運用資産額は
・最大額は、5332(年率リターン=17.24%)
・最小額は、 675(年率リターン= 7.94%)
2)投資した結果の資産額のバラツキが時間と共に拡大していることは明らかである。投資家にとって最終的に問題なのは「資産額(の評価の差)」であり、期間を通じて平均した「年率リターンの上下のぶれ」ではない。
3)ついでに言うと、80年間のデータを持ってきても、「25年」という期間は、重なりのない独立なデータは3つと少々分しか存在しないから、その統計的信頼性は不十分だ。「株式投資の方が債券投資よりもほぼ必ずリターンが高いことがデータによって証明されている」と言うのは無理だ。
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・山崎氏が3)で指摘するように、「「25年」という期間は、重なりのない独立なデータは3つと少々分しか存在しないから、その統計的信頼性は不十分だ。」という意見には同意するが、アメリカの証券市場そのものの歴史が浅いので仕方のない面もある。
その他は、説得力のある議論だと思う。
・むしろ気になったのは、山崎氏の指摘である。
1)「投資した結果の資産額のバラツキが時間と共に拡大していることは明らかである。」としているが、こんなことはマルキールとて先刻承知のことだろう。
というのも、例えば、マルキールが導き出した年率リターンの最大値(17.24%)については、25年後の最大総資産額(5332)から割り戻すことでしか求められないからだ。
2)一般に、人は「複利の効果」を過小評価する傾向があり、複数の資産運用の計算では、年率リターン初期の値が僅かの差であっても時間のタームが長くなればなるほどに、資産額の取りうる値の幅(レンジ)はハサミの刃のように大きく広がっていくことを見落とされがちである。
このことを逆に言えば、長期運用後に大きな差のある複数の資産運用でも、年率リターンに割り戻すと年率リターンの差は、思いの外小さくなる。
3)マルキールが言いたかったのは、長期における株式投資は(あくまでも80年間という期間の実証研究での話ではあるが)最小値においてすら、国債が取りうる資産額を上回るという、比較優位であろう。
株式を利回りで表したのは、あくまで国債との比較対照をし易くしただけ(国債は利回りで表記されるため)で、その値の幅が長期間になると縮小するように見えるのは、複利計算が生み出す錯覚に過ぎない。
4)「長期投資でリスクが縮小する」とは、マルキールは別に書いていない。
併記されているグラフでそのような解釈をしたとしたら、それはレンジとリスク(標準偏差)を混同した曲解だろう。
さらに「影響力の大きなマルキール先生の名著に堂々と誤りが載っているのだ。」とやってしまうのは、「投資の権威」に対しての勇み足ではないだろうか。
さて、表題に戻り、「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」という命題についての正否はどうなのだろうか?
①株式投資とは企業の生産活動に資本を提供する行為なので、これにより「平均的には」プラスの期待リターンを得ることができる。
②「平均的には」プラスの期待リターンを得ることができるといっても、場合によっては、単年度ベースのリターンがマイナスとなりうることもある。
マイナスになるリスクに挑む資本の報酬こそが、株式投資が持つリスクプレミアム(5~6%といわれる)の原資である。
③マイナスになるリスクは調査期間を長くとれば、大数の法則により、かなり低減できるものと考えられる。
④とはいうものの、例えば、2008年のリーマンショック以降の相場暴落の事例を持ち出すという野暮なことをすれば、これは簡単に反証されてしまうのだ。
⑤このため、「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」という命題は「蓋然的には正しい」としておきたい。
ところで、『ウォール街のランダムウォーカー』だが、日本語版の初版は1999年で、現在、書店に並んでいるのは2007年に改訂された第9版である。
この両者を注意して読み比べてみると、内容が時代に合わなくなってきているからなのか、最新のものは注釈等が増えており、整合を保つために取り繕うことに苦心している様子がうかがえる。
資産運用という、生きた経済を扱うテーマにおいては、本のサブタイトルにある「不滅の真理」というものは存在しないのかもしれない。
ウォール街のランダム・ウォーカー 株式投資の不滅の真理