タニボンの「なんでもアナリスト」

「野に放たれた数学(確率・統計)」
世の森羅万象を冗談混じりに解析してみました。

斉藤佑樹と菊池雄星、メンタル面から成功の可能性を探る

2011-01-15 00:56:20 | Weblog
ハンカチ王子こと、斉藤佑樹投手が先日、日ハムのドラフト1位として正式に入団した。
ドラフトの競合数などから推察すると、西武ドラフト1位の大石のほうが評価が高いようだが、プロの投手としての成功の可能性はいかがなものなのだろうか?
スポーツの世界で成功するためには、「心」「技」「体」の3要素が必要だと言われているが、ここでは「心」に焦点を当てて探ってみたい。

斉藤佑樹の「心」に注目した理由は、彼が、全く疑いようもないほどの好青年だからだ。この点については誰も異論はあるまい。
同様の「いい人」キャラで思い出すのは、昨年、6球団が競合した菊池雄星(西武ライオンズ)だ。左腕から繰り出す150km/hの速球から、新人王の最有力候補だったが、肩の故障から2010年度の1軍登板はなくて成績が振るわなかっただけでなく、大久保コーチが原因とされる暴力沙汰に巻き込まれるなど、散々な1年となってしまったようだ。

斉藤佑樹と菊池雄星の両者ともに共通しているのは、野球選手引退後の将来に教育者になることを夢見ていることで、菊池雄星にいたっては、現在も合宿所で勉強をするほどの入れ込みようだ。
カネだの名誉だの世俗的な欲ではなく、教育者を志すあたりに時代の流れを感じずにはいられないが、はたして、勝負の世界で「いい人」は通用するのだろうか?

昔気質の投手を熟知する、楽天の元監督・野村克也氏は、大成した投手の性格として、著書『負けに不思議の負けなし』(朝日文庫)のなかで以下のように述べている。
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・投手には個性派が多い。野手はポジションの関係から、仲間に迷惑をかけまいとする協調路線をとる人間が多い。これに対し、投手はどうしてもお山の大将気分が抜けない。大投手になれば余計にその色は強く出る。

・投手族というのはおおむね自分が一番と思いこんでいる。お山の大将でいるのが普通だ。またそれぐらいでないと相手をのんでかかれない。
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野村氏は、現役・監督時代をとおして、投手族を扱うのに余程、苦労したのだろうか、著書にこうした記述をよくみかける。
一方、この二人には、こうしたアクの強さは微塵も感じられない。

ところで、スポーツ選手のメンタルの力をなんとか数値化できないものなのだろうか、その答えは、プラグマティックの国、アメリカのスポーツ研究にみることができる。
『一球の心理学』(マイク・スタドラー ダイヤモンド社)の中で、ワシントン大学の心理学教授ローランド・スミスの研究が引用されている。
この研究成果が、実に興味深かったので、以下、紹介したい。
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スミスは、91年にアストロズ傘下のシングルA、ダブルAの選手104人(投手57人、野手47人)を対象にテストを受けさせ、スポーツにおけるメンタルの要素(心)、身体的スキル要素(技・体)とそのパーフォーマンスとの関連を調べた。

1)身体的スキル(技・体)の測定
身体的スキルは、打者の場合はバットスイングの速さや強さ、投手の場合は球速や変化球の質を監督やコーチによる第三者の目で評価した、OAE(Overall Average Evaluation)と呼ばれる指数で表した。

2)メンタルの要素(心)の測定
メンタルの要素(心)の測定は、ACSI-28(Athletic Coping Skills Inventory-28)という、7つの性格的項目(困難への対応、プレッシャー状態での頑張り、達成動機、集中、感情のコントロール、自信、指導可能性)にそれぞれ4つの質問の計28問の簡単な自己回答型の質問様式を作り、測定した。
ちなみに、自己回答型の質問様式は以下のような簡単なものだ(英文サイトから、28問中の一部を引用・翻訳)
※4段階(0~3)で回答する。
①[困難への対応]
  私は、状況が悪くなっても逃げ出したりせず、冷静に対処できます。
②[プレッシャー状態での頑張り]
  私は、ゲームがプレッシャーのかかる状況であればあるほど、その状況を楽しめます。
③[達成動機]
  私は、練習ごとに目標を設定します。
④[集中]
  私は、スポーツをしているとき、他のことに気を散らすことなく集中することができます。 
⑤[感情のコントロール]
  私は、不利な状況であっても、不安な気持ちに打ち勝つことができます。
⑥[自信]
  私は、自分がうまくやれると確信しています。
⑦[指導可能性]
  私は、コーチから叱責を受けたとき、反論をせずにそれに従います。

3)選手のパフォーマンス
ACSI-28によりメンタルの強さを、OAEによって身体的スキルを指数化し、そのアウトプットとしての選手のパフォーマンスを選手の成績(打者の場合は打率、投手の場合は防御率)で評価し、その関連を調べた。

【測定結果と考察】
1)バッターの場合:打率のバラツキは、OAE(身体的スキル)によるものが21%、ACSI-28(メンタルスキル)によるものが20%で予測可能。
2)ピッチャーの場合:防御率のバラツキは、OAE(身体的スキル)によるものが3%、ACSI-28(メンタルスキル)によるものが38%で予測可能。
3)このように、野球のパフォーマンスに占めるメンタルスキルの要素は大きく、特に投手においてその傾向は顕著である。
野球選手として必要なメンタルスキルは、
・野手の場合は、自信、達成動機、感情のコントロール
・投手の場合は、自信、達成動機、プレッシャー状態での頑張り
であり、特に投手の場合、野手よりも気力も強く、積極性も少し高いという傾向がみられる。
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また、別の学者の研究によると、[指導可能性]という一般社会においては、高いほうが望ましいとされる項目ですら、選手として大成するには大して必要ないとしており、また、これが重要なのだが、「性格というものは変えられるものではない」と結んでいる。

スミスらのこうした研究結果は、先述した楽天の元監督・野村克也氏の「大成した投手像」と奇妙に一致はしないだろうか。
つまり、投手として傑出するためには、突出したメンタルの強さ(自信、達成動機、プレッシャー状態での頑張り)が必要となるが、その反面、選手として必要な強烈な個性が日常生活においてアクの強さにつながる・・・・「大投手、好人物にあらず」といった傾向がみられるのだ。
夏の甲子園準決勝、中京大中京戦で、自らの背筋痛を押して途中登板するも打ち込まれ、試合後に号泣した菊池雄星の自己犠牲。早稲田大学野球部第100代主将に就任し、「今日何を持っているかを確信しました…それは仲間です」と言ってのける斉藤佑樹の協調性。
こういった性格は、投手ではなく、内野手のそれではないだろうか。
そういった意味では、菊池雄星と斉藤佑樹の将来性に疑問符をつけざるを得ない。

もっとも、今回紹介した、野村元監督の名投手像にせよ、スミスの研究にせよ、現在から過去を振り返った統計的なものの見方に過ぎない。
はたして、菊池雄星や斉藤佑樹はこれまでの通説どおり、いい人では大成しないのだろうか、あるいは、豊かな時代の「プロ野球人 2.0」としての新たな定説を創り出すのであろうか、興味は尽きない。



クライマックスシリーズはいらない?確率論で考える。

2010-10-25 00:10:11 | Weblog
2010年のプロ野球、パリーグのクライマックスシリーズは、リーグ3位のロッテが制した。
敗れたソフトバンクは、6回出場(2004~06のプレーオフを含む)して一度も日本シリー
ズに駒を進めることができなかったこととなった。
敗れたソフトバンクの王球団会長は、試合後のインタビューで以下のとおりに語った。
=======================================
「勝負の世界は厳しい。向こうは持ち味を出して、こっちは出せなかったということ。例えは悪いけどコイン投げと一緒」と険しい表情で話した。
=======================================

「コイン投げと一緒」という表現がユニークだ。
王球団会長の心中を忖度すれば、以下のようなものであろうか。
---------------------------------------
①歪みのないコインを投げて、その表・裏を予想するゲームを考えてみる。
このゲームを無数に繰り返せば、表・裏の出現確率は50:50である。(確率論『大数の法
則」)
②ところが、試行回数が少ないと話は違ってくる。たとえば、3回の試行回数で考えてみ
ると、表が3回連続して出現する(または裏が3回連続する)確率は、それぞれ1/8、
合計では1/4となり、出目が極端に偏るということは、まま、あることである。
③これをプロ野球の試合に置き換えて考えてみる。実力差を正確に測るためには、試行回
数を十分に増やすことである。
④2010年のパ・リーグ場合、135試合という十分に多い試行回数(ペナントレース)にお
いて、ソフトバンクはロッテを上回っているのに、少ない試行回数(クライマックスシリーグ)における、たまたまの出目において、優位となったロッテがリーグを代表して日本シリーズにおかしいではないか。
---------------------------------------
「コイン投げと一緒」という表現に、王球団会長の、クライマックスシリーズという制度に対するやるせない気持ちが滲んでいる。
プロ野球ファンとて同じで、クライマックスシリーズになにがしさの不条理さを感じない人はいないはずだ。
そこで、興業としては面白いクライマックスシリーズという制度をどうすればよいか、確率論で考えてみた。

現行のクライマックスシリーズのルールは
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1)ファーストステージ
・レギュラーシーズン2位球団と3位球団が、3試合制で対戦する。
・勝利数が多い球団が勝者となり、ファイナルステージへ進出する。
2)ファイナルステージ
・リーグ優勝球団とファーストステージの勝者が、6試合制で対戦する。
・リーグ優勝球団には1勝のアドバンテージが与えられる。
・このアドバンテージによる1勝を含め先に4勝した球団を「クライマックスシリーズ優勝球団」とする。
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このルールにおいて、クライマックスシリーズをコイン投げ、つまり、勝ち(表)・負け(裏)の出現確率は50:50のゲームとして確率計算してみると以下の通りとなる。(※引き分けはないものとした)
【クライマックスシリーズ優勝確率】
・リーグ優勝球団 66%
・2位球団    17%
・3位球団    17%
1位チームに1勝のアドバンテージが与えられている効果が大きく、数学的確率を計算すると66%と2位、3位が勝利する確率(34%)に比べておよそ2倍の優位さがあり、、まずまず上手く、制度設計されているようにも思える。
実際、クライマックスシリーズ 1位通過チームにアドバンテージが設定されるようになった2007年からの優勝チームをみてみると、
・リーグ優勝球団  6回(75%)
・2位、3位チーム 2回(25%)
と、過去のデータをみても、やはりリーグ優勝球団が明確に優位であることが分かる。
※ソフトバンクの不遇さが強調されるが、これは、クライマックスシリーズ導入前のプレーオフ制度(2004~2006)において、リーグ優勝の2回(2004,2005年)での不通過が含まれるため、印象としてそう感じるのであろう。(この場合、リーグ優勝球団が通過する確率は50%に過ぎない)

では、なぜ、未だに根強く、クライマックスシリーズ不要論が残るのだろうか。
1)ペナントレースにおいて、明確に下位に位置づけられたチームがゾンビのように復活する気味の悪さ。
2)なおかつ、それが容易に起こりうること。(※実際には、リーグ優勝球団には1勝のアドバンテージが与えられ、それは確率論でみてもかなり有利(66%)であるのだが、ファンにはそれが認知されずにペナントレースの戦いが無意味にみえる)
1)については、ペナントレース至上主義なので、いかんともし難い。(かくいう、私もこれだ)
2)については、クライマックスシリーズという制度設計を見直すことで対処は可能である。
これについて少し考えてみたい。

クライマックスシリーズという制度に求められるのは、「興業としての面白さ」と「レギュラーシーズンの価値の希薄化回避」という、相反する2つの価値のバランスだ。
そのためには、
①2位、3位のチームはあくまでも敗者復活なので、チャレンジャーとしてリーグ優勝球団に挑む形が明確であること。
②リーグ優勝球団には、レギュラーシーズンのでの実績を認め、数字的にも相当に有利であるよう配慮すること。

これらを満たす妙案として、かつて、スポーツキャスターの栗山英樹氏(だったと思う)が報道ステーション内で提案していた「サドンデス方式」が魅力的に思える。(※厳密には「サドンデス」とは、意味が違うようであるが便宜的にそう呼ぶことにした。
サドンデス方式とは、
・下位チームが上位チームを下すためには、負けずに3連勝を必須とする。
・3連勝するまでに1敗でもすれば、上位チームへの挑戦はそこで絶たれる。
・この方式だとクライマックスシリーズで優勝するためには、
3位チームは、6連勝が必須である。(確率1.6%)
2位チームは、3位チームに1勝し、1位チームに3連勝する必要がある。(確率10.9%)
1位チームは、優勝決定戦において1勝でもすればよい。(確率87.5%)

この方式だと下位チームは負けを許されないために、総力戦を強いられ、緊迫した戦いが期待できるし、下位チームのチャレンジが観客にも伝わるだろう。
ちょうど、今年のファイナルステージにおけるロッテのように、ソフトバンクに王手をかけられながらも、そこから3連勝して優勝するような鬼気迫るような逆転劇を見せてくれるのなら、クライマックスシリーズの不条理さも幾分は和らぐというものだ。
ただ、上記のように3連勝を要件とすると、今度は数字的にリーグ優勝球団が余りにも有利になり、興を削ぐことにもなる。
2連勝を要件とすれば、リーグ優勝球団のクライマックスシリーズで優勝確率は75%とまずまずの値だが、下位チームが1勝しただけで王手になるのもどうかとも思う。
このあたりのサジ加減が難しい。

レンタカーの免責補償と行動経済学

2010-10-11 21:55:12 | Weblog
先日、旅行先でレンタカーを借りる機会があった。

レンタカーの店舗において精算をする段階で、「免責補償は入りますか?」と店員に聞かれた。
免責補償とは、私にとっては聞き慣れない言葉なので、その内容を聞くと概ね以下の通りであった。
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①レンタカーの通常料金には、対人無制限、対物1000万円といった、およそ通常で考えられるようなリスクをカバーするような保険料も含まれている。
②ただし、この保険は、5万円を超える部分を補償するものであって、それ以下の場合は全額自己負担、それ以上の場合は5万円を上限に保険加入者が負担しなくてはならないような契約となっている。
③免責補償という制度は、万一の事故の際に支払わなくてはならない、この上限5万円を補償するもので、一日当たり1000円(税抜)の費用で加入することができる。
④レンタカーを利用する人の8割程度は加入するとのことである。
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私は、少し考えて、加入しないことにした。
割高だと考えてそうしたのだが、加入しない旨を意思表示したときに軽い不安感を憶えたのは事実だ。
その後、無事、旅行を終え、帰りの機中で再度この判断が正しかったかを反芻してみたが、やはりこの判断は間違ってはいなかったように思う、「免責補償は要らない」と。
以下、その理由を書いてみる。

1)期待値がマイナスの賭けであること
保険というものの商品の性質を考えれば、全ての保険は期待値がマイナスの賭け、つまりは加入すれば、平均的には損をする商品であることは自明である。
自己啓発書の古典的名著『道は開ける』(創元社 デール・カーネギー著)のなかで、著者は保険の性質というものをに皮肉をこめて以下のように書いている。
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世界で最も著名な保険会社-ロンドンのロイド船舶協会-は、まれにしか起こらない出来事を気に病むという人間の性質を利用して莫大な富を築き上げた。ロイド協会は、一般人が心配している災難など起きないであろうという見通しに基づいて賭けをしているわけだ。ところが、彼らはそれを賭けと呼ばずに保険と名づけている。けれども、実は平均値の法則に基づいた賭けなのだ。この巨大な保険会社は二百年にわたって発展を続けてきたが、人間の性質が変わらない限り、さらに五百年は安泰を誇るであろう、靴や船舶や封ロウなどの、一般人が想像するほど多くは起きない災難に対して、平均値の法則によって、保険を引き受けることで。
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平均的には損をする賭けで、トクをする参加者というのは、確信犯的な人物か、事故率が相当に高い危険人物かである。
いづれにせよ、普通の人間には当てはまらない話である。

2)保険の趣旨に合致しないこと
もっとも、保険の期待値がマイナスであるからといって、全ての保険が否定されるものではないだろう。
リスクというものは、リスクの「出現確率」とリスクが出現したときの「ことの重大さ」とで勘案すべきものである。
リスクの「出現確率」は低くとも、ひとたびそれが発生した場合に個人の生活が破綻する「ことの重大さ」がある場合においては、保険の存在意義はある。
レンタカーを利用する上での最悪の事態は、対人事故において数億円の賠償を請求されるようなケースだろうが、この場合においても、通常の保険においてその補償のほとんどがカバーされ、免責補償が補償してくれる金額はたかだか5万円に過ぎない。
個人において、5万円の出費は、確かに「痛い出費」には違いないが、「個人の生活が破綻する」というほどのものではない。
保険業界においては、保険によって交通事故の損害が補償されることにより、加入者の注意が散漫になり、かえって事故の発生確率が高まることが知られている。(モラルハザード)
むしろ、モラルハザードの防止の観点からみても、この程度の「痛み」は残しておく必要があるのではないだろうか。

3)割高であること
ところで、一日当たり1000円の保険料で最大5万円の保障という価格設定はどうなのであろうか。
私たちにとって、日割りの保険というものに馴染みがないため、この価格が高いのか安いのかについて、今ひとつピンとこない。
そこで、やや強引だが、日割りの保険を年間(365日)に置き換えて考えてみよう。
そうすると、36万5千円の保険料で、最大限5万円の保障(1回当たり)となり、相当な割高であることが判る。元を取る?ためには相当な事故数が必要になるだろう。
(※実際は、年間の契約だとリース契約となりこんな金額にはならないが、考え方のヒントにはなるだろう。)

以上、冷静に考えれば考えるほどに不合理に思える免責補償に、レンタカー利用者の80%もの人が加入する、その理由は何であろうか。
かくいう、私自身も加入を断ることにためらいを感じたので、その心理を探ってみれば、
①レンタカーを借りる状況というのは、旅先など、利用者にとって未知の土地であることが多く、心理的に不安な状態であること。
②支払いは、レンタカー代と合算して行われることになり、レンタカー代本体(5千円~1万円/日)に較べると保険料(千円/日)は微々たるものに感じること。
③これに加入すれば、万一の事故が発生した場合にも、追加で1円も払わなくてもいいという安心感。

行動経済学の理論を借用して、これらをみれば、
②については、レンタカー代本体がアンカーとなった「アンカリング」
③については、「確実性効果」
という人間の心理上のバイアス(歪み)を巧みに利用したテクニックが利用されているようにも思えるがどうなのだろうか。

ノート・オン・ノート

2010-07-26 00:08:04 | Weblog
最近、書店のビジネス書コーナーを賑わすのが、「ノート術」関連の本だ。

代表的なものには、
①入試、資格試験を目的としたもの ex)『東大合格生のノートはかならず美しい 』
②何かを創造することを目的とした知的生産術 ex)『情報は1冊のノートにまとめなさい』
今後の日本の労働環境を考えれば、「何をどこまでやればよいかはっきりした仕事」である定型の仕事から、「これをやれば絶対OKという基準が明確ではない仕事」である非定型な仕事へとシフトするであろうから、注目されるのは②のほうだろう。

知的生産を目的としたノート術に関しては、『経済セミナー』誌上で経済学者・伊藤元重さんが、経済評論家・勝間和代さんとの対談の中で興味深いことを述べていた。
以下、引用する。

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それから、今、私が勉強方法としてとても大事にしているのは、チャールズ・キンドルバーガーという、もう亡くなってしまった方ですが、彼に教えてもらったことです。
彼は、40歳くらいまで国際経済学を専門にしていましたが、その後突然転換して歴史を学びだし、80代の後半でも厚い本を何冊も書いていました。
スイスの会議でご一緒した際、どうしたらこんな本を書けるのかと聞いたら、彼は「簡単だ」と言うのです。朝から晩まで本を読み、気に入ったところに線を引き、欄外にメモをする。読み終わったらその本を横に置いて、今度は自分が線を引いたところを一生懸命タイプで打ってノートを作る。ノートがある程度たまったら、また自分のノートに線を引いて、欄外に書いてノート・オン・ノートを作る。ノート・オン・ノート・オン・ノートができると本が1冊書ける、と言うのです。
私はそこまではしていないのですが、ときどき、本を読んだときに線を引き、そのあと手帳に自分の手で書くということをしています。手で書いたものはなんとなく頭の中に残りますし、自分の手で書いてみると、難しい本でもスッと理解できることがあります。
勝間さんもそうでしょうけれども、とくにわれわれのようにものを書くのが仕事の一部だとすると、この作業は言わばその準備段階です。人の書いたもので、気に入ったところを実際に書いてみる。それはアナログのほうがいいと思います。これはものを書くのが仕事ではない人でもそうだろうと思います。
『経済セミナー』NO.653 2010 4・5月号 「経済学NEW門」
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伊藤元重さんのこのノート術で思い出したのは、初版は今から24年も前の古典的名著『思考の整理学』(ちくま文庫・外山滋比古 著)で筆者がほとんど同じようなノート術を、「手帳とノート」「メタ・ノート」として紹介していたことだ。
以下、要約を記す。
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1)メモ
手帳を持ち歩き、ヒントの記入に使う。何かを思いついたら、その場ですぐ書き留めておく。※枕元であれば、とりあえず紙と鉛筆を置いておく。
①スペースの都合から、細い字で、要点のみ簡潔に書く。
②一つの項が終わったら、線を引いて区切る。
③参照に便利になるように、頭のところに通し番号、日付を打つ。また、欄外に見出しのようなものをつけておくとなおよい。

2)ノート
メモの段階でアイデアは小休止をし、しばらく寝させておく。
ある程度時間のたったところで、見返してみる。
見返して、つまらないと感じたものについては惜しげもなく捨てる。見返して面白いと感じたものについては、別の場所に移す。
これがノートである。
①一つのテーマには、1ページをあて、頭には見だしと通し番号を書く。
②次にメモにあったことを箇条書きにして書き入れる。
③関連のある新聞や雑誌の切り抜きがあれば、②の下に貼る。
④日付とメモのときの通し番号を最下欄に追記する。

3)メタ・ノート
ノートにある思考をさらにもう一度、他へ移してやる。
こうすることにより、情報のうち、不要なものは捨て、芽のあるものについては、活気づかせることになる。
①一つのテーマには、2ページをあて、頭には見だしと通し番号を書く。タイトルの横にはメタ・ノートに転記した日付を、タイトルも下にはcfとして、ノートの中の参照番号を書く。
②次にノートにあったことを箇条書きにして書き入れる。
③メタ・ノートにする段階で気づいたことは、行間に追記する。
④メタ・ノートにした内容は個人にとっては相当に重要なものであるが、毎日覗いてはいけない。しばらく放置することで発酵する。

ちなみに、著者の外山さんは、以下の分量を書き上げるらしい。
1)メモ(手帳)1年に1冊(1000~1500項目)
2)ノート 20年間で31冊
3)メタ・ノート 20年間で22冊
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時代も空間も異なる二人の賢人が、同じような知的生産術を用いていることが興味深い。

IT技術の発展は、全ての情報をデジタル化してしまうが、個人レベルで日々接する雑多な情報を咀嚼・熟成して記憶の整理をする過程においては、未だ、アナログ的な手書きの「ノート術」が有効であると思う。
ノートをとるという作業は、必要な情報はいつでも引き出すことができる(プル型)の現代の環境においては、単に何かを記録するという脳の外部補助記憶装置としての役割からアイデアを孵化させるインキュベーター(孵卵器)として役割を変えつつあるのだろう。

降水確率30%なら傘はいらない?

2010-04-19 00:07:24 | Weblog
朝、出かけの時のニュースで、「本日の降水確率が30%」だったとしたら、みなさんは傘をお持ちになるだろうか?
もちろん、「傘を持つ、持たない」の判断はその個人の置かれた立場によって大きく変わってくるだろう。

「傘を持つ、持たない」という意志決定を経済学的アプローチで単純化すれば、以下の3つの要素に集約される。
①傘を持つことによる効用(満足度:雨に濡れず快適)
②傘を持つことによる不効用(不満足度:傘が荷物になり不便)
③リスクテイキング(傘を持たずに、雨に降られる危険?を省みない態度)

③のリスクテイキングについては、行動経済学の論文『傘とワークシェアリング』(大竹文雄氏、厚生労働省統計通信第12号掲載)では、「傘を持って出かける降水確率」という数値が、危険回避度の指標として機能することを紹介している。
これによると、危険を恐れないリスクテイカーほど、傘を持たない傾向があるらしく、実例として大企業の雇用者と自営業者とでは、自営業者のほうが「より傘を持たない」傾向があるとのことである。
私自身の周りの自営業者を見渡してみても、実感として「なるほど」と思わせる部分がある。

ちなみに気象庁のHPによると、降水確率は以下のように決められている。
----------------------------------------
・降水確率は指定された時間帯の間に1ミリ以上の降水の降る確率と定義されている。
・降水確率が70パーセントというのは「70パーセントの予報が100回出されたとき、およそ70回は1ミリ以上の降水がある」ということを意味する。
----------------------------------------
では、個人レベルにおいて「傘を持つ、持たない」の意志決定をする際に、天気予報の降水確率をどのように利用すればよいのだろうか。
私は、以下に述べる2点の根拠から、

「降水確率30%なら傘はいらない」としたい。

根拠1)降水確率の統計上の歪み

降水確率の定義からすれば、「降水確率」と「事後における降水割合」とについて数多くのデータを取れば同じ値に収斂しそうに思えるが、実際はそうはなっていない。

これについて、かつて日本経済新聞社日経プラスワンで興味深いデータが紹介されていたので、以下、引用してみる。
------------------------------ー
【降水確率と実際の降雨】日本経済新聞社日経プラスワン

降水確率  実際の降雨   差
10%    0.1%   + 9.9%
20%    1.6%   + 9.9%
30%    6.7%   +23.3%
40%    16.5%   +23.5%
50%    44 %   + 6.0%
60%    64.4%   △ 4.4%
70%    76.8%   △ 6.8%
80%    87.9%   △ 7.9%
90%    93.9%   △ 3.9%
100%   97.9%   + 2.1%
------------------------------ー
降水確率が低い領域(40%以下)において、天気予報の降水確率は過大に見積もる傾向がある。
天気予報の降水確率を利用する側においては、降水確率が低い領域においては、天気予報の降水確率を大幅に割り引いて考える必要がありそうだ。

また、降水確率の定義は、あくまで「1mm以上の雨が降る確率」としている。
降水確率の低い領域の雨には、ごく短時間の少量の雨までを多くカウントしていることは想像に難くない。
これだと「傘を持つことによる不効用>傘を持つことによる効用」となることは明らかである。

根拠2)人間の認知上の歪み

行動経済学におけるプロスペクト理論において、トヴァスキーは平均的な人間の主観的確率が、
「確率が大きい領域(概ね0.3以上)では、過小に評価され、逆に確率が小さな領域(概ね0.3以下)では、過大に評価される。」
といったように歪んでいるとした。

これを天気予報の降水確率を受け取る個人の心理に当てはめれば、
①降水確率が大きい領域(30%以上)では、雨が降ることを過小に見積もる。
②逆に降水確率が小さな領域(30%以下)では、過大に見積もる。

2010プロ野球全選手写真名鑑にみる、マタイ効果

2010-02-09 22:07:19 | Weblog
『2010プロ野球全選手写真名鑑』(ベースボールマガジン社)が昨日発売された。

プロ野球選手といえば、今も昔も子供たちの憧れる花形の職業である。
選ばれしプロ野球選手になるうえで、誕生月といったものはどの程度影響するのであろうか。

写真名鑑中の「まるわかりランキング」という企画で、全選手の誕生月を扱った項があったので、「プロ野球界における誕生月による差」を検証してみた。

DATECHECK#4の誕生月ごとの棒グラフをみると以下のとおりとなっている。

1月 63人
2月 35人
3月 37人
4月 91人
5月 85人
6月 102人
7月 103人
8月 60人
9月 76人
10月 73人
11月 71人
12月 68人

四半期ベースにまとめてみると、
・1~3月 138人
・4~6月 278人
・7~8月 239人
・9~12月 212人

生まれ月が4~6月のプロ野球選手が278人いたのに対し、早生まれの1~3月の選手は138人と半分以下である。(※併記されている2005年時のデータを検証してもほぼ同様の結果となった)

「生まれ月によって差がつく」ということはいえそうだ。

これは、多くの人が野球を始めることの多い小学校の低学年では、「生まれ月の差」が体格差を生み、それが競技力の差を生み出す。
「生まれ月の差」による体格差は、成人に近くなるとほとんど問題にならなくなるが、幼児期の原体験(成功体験や劣等感等)がその後の本人の自信等に影響をあたえるためと考えられている。

こうした現象は、プロ野球以外の世界でも多方面で確認されている。
その他の例としては、大竹文雄編『こんなに使える経済学』では、以下の事例を紹介している。
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1)日本の中学2年生9500人の数学、理科の偏差値の集計
・1~3月生まれ 48.7% 
・4~6月生まれ 50.4%

2)小学4年生の約5000人の理科、算数の偏差値の集計
・1~3月生まれ 49.0% 
・4~6月生まれ 51.2%

3)4年制大学卒業者の比率
(総務省就業構造基本調査の対象100万人の匿名標本から25~60歳の男女26万人分を抽出:男性(カッコ内は女性))
・1~3月生まれ 25.3%( 8.6%) 
・4~6月生まれ 27.8%(10.2%)
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こうした実質的な年齢の違いで成績に差がつく現象は、最近は自己啓発書(『天才! 成功する人々の法則』マルコム・グラッドウェル著 勝間和代訳)などでも「マタイ効果」として紹介され、広く知られるところとなっている。

自己啓発書の永遠のテーマは「やれば、できる」ということだろうが、こうした自己暗示が幼少期のマタイ効果の呪縛を解くことができるのだろうか、実証的な研究が待たれる。

長期投資、マルキールは間違っているのか?

2010-01-18 00:06:36 | Weblog
B・マルキールの『ウォール街のランダムウォーカー』といえば、投資教育のバイブル的存在で、今後も読み継がれるであろう古典的名著である。

その本の中で、マルキールは、以下のように結論づけている章がある。

「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」
 
直感的には、これは正しいと私は思ったが、経済評論家である山崎元さんによるとこれは間違いということらしい(2009年3月19日 読売新聞)。
以下、マルキールの主張と山崎さんの指摘を整理してみた。
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【マルキールの主張】
1)広く分散された株式ポートフォリオに投資していた場合には、1926年から2005年までの期間を通じて年平均10.5%という高いリターンを上げることができる。
2)ただし、投資期間が1年間という短期の場合には、典型的な株式ポートフォリオのリターンは、ある年には52%を超えたかと思えば、ある年には26%以上ものマイナスになっていたりする。
3)ところが、投資期間が25年間という長期にわたる場合には話は全然違ってくる。どの25年間をとるかによって多少の違いはあるかも知れないが、その差は大きくない。仮に1950年以降、株式投資にとって最悪だった25年をとったとしても、年平均リターンは、平均リターンの10.5%より3%低かっただけである。
4)よって、「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」と説く。

【山崎氏の指摘】
1)マルキールのデータを使って、投資の元本を100として簡単な計算をしてみる。
①株式に投資した場合の1年後の運用資産額は
・最大額は、152.62(+52.62%)
・最少額は、73.53(△26.47%)
 その差は79.09
②次に、投資の元本を100として、株式に投資した場合の25年後の運用資産額は
・最大額は、5332(年率リターン=17.24%)
・最小額は、 675(年率リターン= 7.94%)
2)投資した結果の資産額のバラツキが時間と共に拡大していることは明らかである。投資家にとって最終的に問題なのは「資産額(の評価の差)」であり、期間を通じて平均した「年率リターンの上下のぶれ」ではない。
3)ついでに言うと、80年間のデータを持ってきても、「25年」という期間は、重なりのない独立なデータは3つと少々分しか存在しないから、その統計的信頼性は不十分だ。「株式投資の方が債券投資よりもほぼ必ずリターンが高いことがデータによって証明されている」と言うのは無理だ。
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・山崎氏が3)で指摘するように、「「25年」という期間は、重なりのない独立なデータは3つと少々分しか存在しないから、その統計的信頼性は不十分だ。」という意見には同意するが、アメリカの証券市場そのものの歴史が浅いので仕方のない面もある。
その他は、説得力のある議論だと思う。

・むしろ気になったのは、山崎氏の指摘である。

1)「投資した結果の資産額のバラツキが時間と共に拡大していることは明らかである。」としているが、こんなことはマルキールとて先刻承知のことだろう。
というのも、例えば、マルキールが導き出した年率リターンの最大値(17.24%)については、25年後の最大総資産額(5332)から割り戻すことでしか求められないからだ。
2)一般に、人は「複利の効果」を過小評価する傾向があり、複数の資産運用の計算では、年率リターン初期の値が僅かの差であっても時間のタームが長くなればなるほどに、資産額の取りうる値の幅(レンジ)はハサミの刃のように大きく広がっていくことを見落とされがちである。
このことを逆に言えば、長期運用後に大きな差のある複数の資産運用でも、年率リターンに割り戻すと年率リターンの差は、思いの外小さくなる。
3)マルキールが言いたかったのは、長期における株式投資は(あくまでも80年間という期間の実証研究での話ではあるが)最小値においてすら、国債が取りうる資産額を上回るという、比較優位であろう。
株式を利回りで表したのは、あくまで国債との比較対照をし易くしただけ(国債は利回りで表記されるため)で、その値の幅が長期間になると縮小するように見えるのは、複利計算が生み出す錯覚に過ぎない。
4)「長期投資でリスクが縮小する」とは、マルキールは別に書いていない。
併記されているグラフでそのような解釈をしたとしたら、それはレンジとリスク(標準偏差)を混同した曲解だろう。
さらに「影響力の大きなマルキール先生の名著に堂々と誤りが載っているのだ。」とやってしまうのは、「投資の権威」に対しての勇み足ではないだろうか。

さて、表題に戻り、「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」という命題についての正否はどうなのだろうか?

①株式投資とは企業の生産活動に資本を提供する行為なので、これにより「平均的には」プラスの期待リターンを得ることができる。
②「平均的には」プラスの期待リターンを得ることができるといっても、場合によっては、単年度ベースのリターンがマイナスとなりうることもある。
マイナスになるリスクに挑む資本の報酬こそが、株式投資が持つリスクプレミアム(5~6%といわれる)の原資である。
③マイナスになるリスクは調査期間を長くとれば、大数の法則により、かなり低減できるものと考えられる。
④とはいうものの、例えば、2008年のリーマンショック以降の相場暴落の事例を持ち出すという野暮なことをすれば、これは簡単に反証されてしまうのだ。
⑤このため、「投資対象を保有し続けられる期間が長ければ長いほど、ポートフォリオに占める株式の割合を高めるべきなのだ」という命題は「蓋然的には正しい」としておきたい。

ところで、『ウォール街のランダムウォーカー』だが、日本語版の初版は1999年で、現在、書店に並んでいるのは2007年に改訂された第9版である。
この両者を注意して読み比べてみると、内容が時代に合わなくなってきているからなのか、最新のものは注釈等が増えており、整合を保つために取り繕うことに苦心している様子がうかがえる。
資産運用という、生きた経済を扱うテーマにおいては、本のサブタイトルにある「不滅の真理」というものは存在しないのかもしれない。

ウォール街のランダム・ウォーカー 株式投資の不滅の真理




楽天・野村監督は名監督か?経済学的思考で考える。

2009-10-26 00:02:59 | Weblog
10月24日の敗戦をもって、プロ野球楽天球団の2009年のシーズンは終わった。 野村さんは、現時点で他の球団からのオファーがないことや高齢であることからして、プロ野球界での監督人生は今シーズン限りで終えるものと思われる。
はたして、野村監督は一流の監督だったのだろうか?統計的手法で評価してみたい。

プロ野球の監督に求められる役割は、大別すると以下の3点である。
①チームの指揮官として、ゲームの采配をふるうこと
②選手の発掘、育成
③集客力

この3つの要素のうち、ここでは、①の「チームの指揮官として、ゲームの采配をふるうこと」に絞って考えてみた。
監督能力を計る指標としては、拙ブログ内で度々、引用している、大竹文雄の監督効果式(※『経済学思考のセンス』より)を利用する。
監督効果式について、おさらいの意味で説明すると以下の通り
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1)一般に、野球の勝敗に監督の采配が影響する部分を推定することは難しい。
なぜなら、よい成績を納めたチームといえども、その原因が、選手が良かったからなのか、監督が良かったからなのか、もしくはその他の要因(例えばファンの声援等)なのかを特定することは困難であるからだ。
2)監督効果式では、とりあえず、勝利というものについては、選手の能力により決まるものと仮説を立てた。
3)選手の能力を「打率」「ホームラン」「防御率」の3要素に絞り、過去の勝率データと照らしあわせたところ、以下の式が導かれた。
ln(チーム勝率)=-0.853+1.305ln(打率)+0.108ln(本塁打)-0.737ln(防御率)+(監督効果)
4)これによると、各チームの上記の3要素が判れば、この式で概ねの順位が推定できる。大竹氏の論文によると精度は高いとのこと。 5)決定式で推定される残差を監督の能力とした。たとえば、決定式で5位と推定されるチームが3位になったとするとこの差(2位分)が監督効果とした。
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今回、私は野村監督が楽天を率いるようになってからの2006年~2009年までの実績を調べてみた。 まず、躍進を遂げた今シーズンをみてみる。予測式から導かれる推定順位と実際の順位は以下の通り。

   推定順位    実際順位
1位 日ハム     日ハム
2位 ソフトバンク  楽天
3位 西武      ソフトバンク
4位 楽天      西武
5位 オリックス   ロッテ
6位 ロッテ     オリックス

推定順位が4位なのに対し、実際の順位は2位と監督効果による順位引き上げ効果はあるように見える。(※この順位予測式と実際の順位との差が2以上あるのは珍しい。)
ちなみに、セリーグの推定式の結果は以下の通りである。(順位予測式が実順位とかなり近いことがみてとれる)

   推定順位    実際順位
1位 巨人      巨人
2位 中日      中日
3位 阪神      ヤクルト
4位 ヤクルト    阪神
5位 広島      広島
6位 横浜      横浜

こうした結果をみれば、なるほど野村監督の手腕を評価することができる。

NHKの番組(10月17日放送『追跡!AtoZ』)でも、今シーズンの昨年より選手の成績が悪いにも関わらず、今シーズンの順位がジャンプアップしたことを評価するような論調で取り上げられていた。
昨シーズンと今シーズンの楽天選手の成績を比較すると、確かに今シーズンのほうが悪い。

・08本塁打 94 (リーグ5位) → 09本塁打 108(リーグ6位)
・08打率  0.274(リーグ1位) → 09打率  0.267(リーグ3位)
・08防御率 3.89(リーグ3位) → 09防御率 4.01(リーグ3位)

しかし、逆の見方はできないだろうか?実は、昨年の4位という順位が不本意であるという見方だ。
そこで、2006~2008年の監督効果を調べてみたところ、以下の通りであった。  

    推定順位   実際順位  引き上げ効果
2008年  2位     4位    -2位
2007年  6位     4位    +2位
2006年  6位     6位     0位

やはり、2008年はの成績は不本意と言わざるをえない。もちろん、2009年は上出来だし、こうなると野村監督の采配の手腕の実力はどうもはっきりとしない。
楽天監督以前の過去のデータは調べきれなかったので、『経済学的思考のセンス』の論文のランキングをみても、ベスト20には入っていない。もしかすると勝率を引き下げるぐらいの監督なのかもしれない。(著者の大竹氏は、勝率を下げる監督のランキングは載せていない)

ただ、冒頭にあげた名監督の条件のうち、③の「集客力」という面では、紛れもなく名監督だったと思う。試合後の毒舌を交えたインタビューはいつも傑作だった。このあたりは、いくら結果を出しても日の目をみない現役時代の苦い経験が影響しているのだろうか、現役時代に花形プレーヤーだった原監督や王前監督のつまらない優等生発言とは対象的だった。(一方、球団は企業の広告塔でもあるので、そういった毒舌キャラクターが自らが追われる一因になったのだろう。)

ところで、野村監督の退任を惜しむ声は多いが、はたして「引き際」としてはどうだったのだろうか?
私は、まずまずのタイミングではないかと考えます。なぜなら
①留任するなら、今年以上(1位)の成績が求められる。
②だが、前出のとおり、今シーズンの成績はやや"出来過ぎ"のところがあり、これ以上を望むことは難しい。
③人の印象は、「最後の印象」で決まることが多い。(※行動経済学でも「ピークエンド効果」として知られている)惜しまれる今がピークではないかと思うのです。

一球の心理学―勝敗を分ける微妙なアヤを読み解く

絵空事としてのベーシック・インカム

2009-08-16 23:01:12 | Weblog
最近、ベーシック・インカムに関する議論が一部で取り上げられている。
主たる論者は、経済評論家の山崎元さんやライブドア社元社長の堀江貴文さんらである。
ベーシック・インカムとは、「全ての人が生活に必要な所得を無条件で得る権利」ということらしいが、はたしてこのような夢物語が成立するのか?思考遊戯として少し考えてみたい。

まず、ベーシック・インカムとは何か、その定義を明らかにする必要があるだろう。
現時点でベーシック・インカムについて真正面から取り上げた本は数少ない。
ここでは『ベーシック・インカム入門』山森亮著・光文社新書から引用する。
※この本は、引用されている学説等が難解で、浅学・無教養の私には読破するのに骨が折れた・・・
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ベーシック・インカムとは、
1)個人に対して、どのような状況におかれているかに関わりなく無条件に給付される。
2)ベーシック・インカム給付は課税されず、それ以外の所得は全て課税される。
3)給付水準は、尊厳をもって生きること、生活上の真の選択を行使することを保証することが望ましい。

その特徴として、
1)現物ではなく金銭で給付される。
2)毎月ないし毎週といった定期的な支払いの形をとる。
3)国家または他の政治共同体(地方自治体など)によって支払われる。
4)世帯や世帯主になどではなく、個々人に支払われる。
5)資力調査なしに支払われる。
6)稼働能力調査なしに支払われる。

その魅力として
A)現行制度ほど複雑ではなく単純性が高い。
B)現存の税制や社会保障システムから生じる「貧困の罠」や「失業の罠」が除去される。
C)自動的に支払われるので、給付から漏れるという問題や受給に当たって恥辱感を感じるという問題がなくなる。
D)家庭内で働いてはいるが個人としての所得がない人々のような、支払い労働に従事していない人を含む全ての人に、独立した所得を与える。
E)(生活保護のような)選別主義的なアプローチは相対的貧困を除去するのに失敗してきた。児童手当やベーシック・インカムのような普遍主義的なアプローチのほうが効果的かもしれない。
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ベーシック・インカムの概要をつかむうえでは、以上で十分かと思う。
結論からいうと、私には、ベーシック・インカム論は、特定の条件の国には成立するのかもしれないが、こと日本という国においては、全く実現可能性のない「机上の空論」に思える。

その根拠を列記してみる。

1)財源
ベーシック・インカムが想定する支給額は、一体どれぐらいなのだろうか。
上記の定義によると「給付水準は、尊厳をもって生きること、生活上の真の選択を行使することを保証することが望ましい。」ということなので、「その最低限度の生活を保障するとともに自立を助長する」とされている現行の生活保護水準と考えるのが自然だろう。
ちなみに上記の本の中では、以下のように仮定している。
・毎月1日にすべての成人の銀行口座に国から10万、子供には7万。
・この計算でいくと、
 ①二人の子持ちのシングルマザー
  10×1+7×2=24万円/月
 ②夫婦二人と子供二人のモデルケース
  10×2+7×2=34万円/月
・参考までに生活保護の水準は[wikipediaより引用]
 ①単身世帯 31歳  東京都特別区内在住(1級地の1)
  137,400円(月額最大)
 ②母子世帯(30歳、4歳、2歳) 東京都特別区内在住(1級地の1)
  177,900円(月額最大)

これに必要な財源を計算するのは簡単だ。人頭税ならぬ人頭給付金なので、
必要財源(年間)=(15歳以上人口×10万+15歳未満人口×7万円)×12ヶ月実際に計算してみると
15歳未満人口→ 17,147,000人
15歳以上人口→110,467,000人なので [政府統計:平成21年2月1日]

必要財源(年間)=(110,467,000人×10万+17,147,000人×7万円)×12ヶ月
        =146.9兆円

この金額だけをみても、ベーシック・インカム論が破綻していることがわかる。
【参考】平成21年一般会計:83兆円
    消費税を5%増税することによる追加税収:およそ10兆円

2)労働受給ギャップ(労働供給不足)

今後の日本においての労働市場は、
①高齢化の進展による労働人口の減少
②同じく高齢化により、介護、医療分野において、サービス受益者の増
③産業のサービス業化により、生産性の飛躍的な向上はみられない
などの理由により、労働市場においては、ただでさえ、労働需要>労働供給の労働供給不足が起きるものと想定される。
※実際に介護分野においては、インドネシア人の労働移民が一部においておこなわれている。
さらに、ベーシック・インカムを導入は、労働市場における人手不足に拍車をかける。
最低限の所得のある、ハングリー精神を失った労働者にこれまでと同水準の働きを求めるのは無理があるからだ。
※これは、経済学では「労働市場の後方屈曲性」という言葉で説明されている。
結果として、経済活動において、生産量が制限されたり、必要なサービスが受けられない人がでてくる。

世界中で、ベーシック・インカムという制度が成立する可能性がある国は、「人口の少ない資源国」といったところではないだろうか。
この場合でも、単純労働者は、産油国でみられるように移民で賄うしかないだろう。

結局のところ、「ベーシック・インカム論」というものは、耳目を集めるのを目的としたキテレツな経済政策(ヘリコプター・マネーがこれに近い)に過ぎないと思う。
※ある程度、実現可能性がある政策であれば、もう少し多くの学者がフォロワーとしても存在してもよさそうだ。
むしろ、経済評論家の山崎元さんやホリエモンやらがどうしてこの政策を積極的に推するのか?
その深層のほうに関心がある。