時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

ゼロコロナに禁句のおもてなし

2022年02月06日 | スポーツ観戦

多摩爺の「スポーツ観戦(その26)」
ゼロコロナに禁句のおもてなし(北京2022)

北京国際空港に降り立った選手や関係者は・・・ さぞかし驚いたことだろう。
予め情報を得ていて、分っていたことなんだろうが、
防護服を身に纏い、ゴーグル、マスク、フェイスシールドで覆面をした、
表情の見えない空港関係者が待ち受け、問答無用でPCR検査会場へ誘導するのだから、
とてもじゃないが・・・ 「おもてなし」どころの騒ぎではないだろう。

この国は、本当に我々を歓迎してくれるのだろうか?
そんな思いを抱きつつ、我が目を疑ってしまったアスリートが溢れていたことだろう。

東京2020のバブル方式が完璧だったのかといえば、そうではなかったかもしれないが、
大会を通して大きなアクシデントはなかったし、不満がでたという話もなく、
満点ではないものの、十分に合格点だったと思う。

そんなバブル方式だったが、ボランティアとの間で心温まるエピソードがあったり、
バスで会場に向かう選手達に、沿道から声援を送る人々との交流があったりして、
この国が得意とする「おもてなし」を基調とした、一期一会の思い出づくりに、
献身的に汗を掻いてくれた人々へ向けて・・・ 数多くの感謝の声があった。

しかし、それもこれも・・・ 大陸の視点で捉えたら
きっと、ゆるゆるであって、あまあまに見えていたのだろう。

まず、断っておかねばならないが、
私は4年に一度の行われる、スポーツの祭典「オリンピック」は、
ウイズコロナであろうと、ゼロコロナであろうと、開催できるものなら開催すべきと思っており、
中国共産党は大嫌いの極みにあるが、スポーツと政治を混同してはいけないことぐらい、
そこら辺りで屯している爺さんだが・・・ 理解してるつもりだ。

昨年末、相次いで西側諸国が、政治的ボイコットを表明し、首脳を開会式に送ることはなかったが、
そもそも、首脳同士が人権問題でもなんでも・・・ 会談すべき課題があるなら、
アポイントや警備の手間が省けることから、行って会って話し合えば良いだけであり、
いま行って会って話すことが、誤ったメッセージを世界に発信すると判断したということは、
聞く耳持たない大陸の首脳を相手に、会談する価値がないとの辛辣なメッセージだと思う。

捉え方は人それぞれだが、外交も一つのビジネスではなかろうか?
ビジネスだと捉えれば、そこに利害が絡むのは必然である。
にも拘わらず、首脳が来るものだと、決めつけていること自体が上から目線であって、
ビジネスにメンツを持ち込んだら、このようになるのは成り行きであって既定路線である。

事の発端が人権問題だから、中国当局に問題があることは、当たり前のど真ん中だが、
そもそも論で言えば、平和の祭典を掲げているIOCが、
人権とスポーツの関わりをどう捉え、なぜ中国での開催を支持したのか?

さらには雪が降らない都市に、人工で雪を降らせてまでして、
冬のスポーツを行うことを・・・ IOCは、いったいどのように捉えているのだろうか?

いまじゃすっかり頬被りして、他人事のような発言を繰り返しているが、
忘れちゃいけないのは、中国は2年前に新型コロナウイルスを世界に拡散させた当事国である。
その当事国の幇間となりさがったIOCが、人権問題を口にすることなど、
世界はハナから期待などしていないし、IOC会長の言動や行動には呆れてものが言えない。

一部の室内競技を除けば、ウインタースポーツの醍醐味は、
大自然の中で、切磋琢磨し競う姿に感動し、喝采を送るものだと思っていたが、
中国当局は、その視点を大きく覆して、お金さえかければ、できないことはないことを認めさせ、
IOCという責任組織は、ふんぞり返って・・・ もの申すことを許してしまった。

最先端の技術と、巧みな演出で、国家の威信と名誉をかけて行われた開会式は、
東京2020の開会式が、はるかに霞んで見えるほど、それはそれは素晴らしいものだった。
ただ思うに・・・ 懸命な演技を見せてくれたメンバーの笑顔が、
思想教育で作られた、金太郎飴のように見えたのは・・・ 私だけではあるまい。

穿った見方と言われるかもしれないが、
運営の随所に見え隠れする、思想教育によって作られた笑顔が不気味で堪らない。

中国が掲げるゼロコロナ政策は、ボランティアを通した交流すら厳禁だというのだから、
これはもう、表情を持たない冷たいロボットが、
サポートではなく、簡潔な指示を下していることと同じであって、
そこに暖かみがあるとは思えず、ボランティアに感謝を告げる言葉すら失ってしまうだろう。

表情を隠したロボットの指示に従って移動し、競技することだけを求められたアスリートたちは、
中国式の完全バブルのなかで、はたしてオリンピックを楽しむことができるのだろうか?

人の関わりをなくして、ロボットや、機械化されたオートメーションシステムを駆使して、
選手達に食事を提供している、選手村の風景がメディアに公開されていたが、
暖かい食事であるはずなのに、人手を介すことなく・・・ おもてなしを省いた料理を提供して、
したり顔してるんだから、この国の上から目線には、限りがないのだろう。

他国のことなんで、どうでも良いことかもしれないが、
この国に「見栄(みえ)」という言葉は、とっても大きな意味を持っているようだが、
「おもてなし」という言葉は、全くもって不要であり禁句扱いのようだ。
金太郎飴に垣間見えた、裏の顔の正体は・・・ まさにこれだったのかもしれない。

愚痴や嫌みを言ってばかりだと、性格が悪くなるので、これぐらいにしておくが、
日本代表選手には、勝っても負けても、自分らしく全力を尽くし、
メダルに、自己ベストに・・・ チャレンジしてほしいと願ってやまない。

ガンバレ! ニッポン


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