多摩爺の「時のつれづれ(如月の30)」
虐待してると疑われた伝統行事(大草原のうさぎ追い)
祝日の昨日、朝メシ食べながらワイドショーを見ていたら、
熊本県阿蘇地方の村で行われていた、伝統行事の「大草原のうさぎ追い」に、
「虐待の疑いあり・・・ ?」との声がネットに上がり、村が釈明する事態になったと伝えていた。
同行事は、チョイ棒と呼ばれる約1メートルの竹の棒を手にした参加者が、
1列に並んで、草原に棲んでる野ウサギを追い立て、網に追い込んで捕まえたあと、
名前を付けて草原に戻してやる、昭和の20年代頃から、この地方で行われていた学校行事だが、
30年ぐらい前に、おそらく村おこしだと思うが・・・ 村が主催する行事にしたらしい。
ところが、その映像が放送されると、
捕まえた野ウサギの足を持って、高く持ち上げた映像が、
虐待にあたるとの批判がでて・・・ 瞬く間に炎上してしまった。
ワイドショーにでていた・・・ 動物愛護の専門家は、
野ウサギは、愛護する対象の動物ではないと言っていたが、
一方で動物病院の先生は、足を掴んで持ち上げたら、そりゃもう虐待だといっている。
「どっちやねん。」と思うものの、愛護対象の動物でないということは、
一般論で、ジビエ料理の対象となる獣類に含まれると思うが、間違っているだろうか?
想定外の批判を受けてしまった村は・・・ 取りあえず、来年は実施しないとの判断に至り、
今後の対応については、さまざまな意見を参考にして、
新たな企画を考えると・・・ 素早い対応で、ホームページに表明している。
野うさぎは、ひ弱で可愛い小動物だから、ペットと同様に扱えというのだろうか?
足を掴んで持ち上げるのではなく、腹に手を回して抱きかかえろとでもいうのだろうか?
申し訳ないが・・・ そんなことしたら、すり抜けて逃げちゃうだろう。
あえて言うなら・・・ 姿形はうさぎだが、野生の猪や鹿と同じ獣(けもの)である。
だからといって、乱暴に扱っても良いなんてことを言うつもりはないが、
ペットとして、家庭で飼ってるうさぎや、
動物園のふれ合いコーナーで飼育しているうさぎと違うことぐらい、普通に分ることである。
その地方に住み、その伝統行事に慣れ親しんだ人たちのなかから、
そのような声があがったのならいざしらず、
テレビを見ていた人たちの・・・ 一時的な感情で、
地方で長く続いた伝統行事が、いとも簡単になくなってしまっても良いのだろうか?
動物愛護法を犯しているわけでもないのに、
地元に住んでいない、どこのだれかも分らぬネット民の声に背中を押されて、
歴史のある行事を・・・ ほぼ即決で「止める。」と決めても良いんだろうか?
これまで長い時間をかけて繋ぎ、守り続けてきた歴史や伝統って、いったいなんだったのだろうか?
それとも、明らかに虐待していたと・・・ あっさり結論づけてしまったのだろうか?
さまざまな声を聞くと言ってたにも拘わらず、
結論を出すのが、あまりにも早すぎるんじゃなかろうか?
この国は民主国家だから、ネットであろうと、なんであろうと、
賛否の声があるのは・・・ 当然のことだと思いもするが、
とはいえ、時流に流されやすく、逆張りの声が大きなうねりになり易いネットの世界で、
そのような声が、必ずしも正しいとは限らないと思うが、如何なものだろうか?
くれぐれも誤解してもらっちゃ困るが、乱暴に扱って良いなんて言ってるのではない。
うさぎの持ち方一つで、それほどまでに神経質にならなきゃならないのだろうか?
また、伝統行事と言いつつ、指摘を受けたらあっさり白旗をあげても良いものだろうか?
その2点が・・・ なんとなく釈然としないでいる。
面倒くさい爺さんの戯言で・・・ 恐縮だが、
どこに、どんな落とし穴が待ち受けているのか、それが分らないネットの世界では、
他人の顔色を窺うことも、小火を大火にしないことも、大事なことではあるが、
年寄りには、なんともはや息苦しくて、小難しい世の中になったように思えてならない。
批判があることを承知で、あえて言わせてもらったが、
あくまでも個人的な思いであって、
本件に対してコメントを頂戴しても議論するつもりはないので、
申し訳ないが、了解いただければありがたい。
追伸
これは全くの戯言だが・・・ ネットにそんなことを書き込む暇があったら、
地方の伝統行事に、イチャモン付けるより前に、
「♪ うさぎ追いし かの山 」で有名な、文部省の唱歌「故郷(ふるさと)」は、
うさぎの虐待を助長してるんじゃないかと・・・ 問い合わせてみたら、如何なものだろうか?
地方の伝統行事も難しい時代になってきました。
仰るとおりで、昔は平気だったことが、いまでは虐待になったり、差別になったりしますから、
細心の注意と、最大の配慮が必要だと思います。
年寄りには世知辛い世の中ですが、これも一つの進化だと思って、付いていくしかないでしょう。
なお、入院生活は大変でしょうが、無理せず少しぐらいは我が儘に、頑張ってくださいね。
野生動物とは、常に対峙している状態です。
共感していただける方がいて、ホッとひと安心です。
個人的には、役場がちょっと神経質になりすぎたかなと思っています。
下山してPTAの皆さんがウサギ汁を作ってくれて「旨い!旨い!・・・」と言って食べたいい思い出です。実際は豚汁だったようです。何百人の児童に1~2匹のうさぎではそうなりますね。
2005年頃阿蘇の外輪山で4年間過ごしたことがありました。原野に立つ町民住宅でしたが、鹿や猪がいつも身近な存在でした。早朝から一時間ほどランニングや魚釣りをして仕事にいっていました。その4年間でウサギの巣を確認したのは1回のみです。少なくなっていました。地元の人に話を聞くと「鹿と猪は取っても取っても減らないが、ウサギはほとんど見ないな~」ということでした。狐は単独でよく歩いていました。ジョギングという感じです。狸は道路の側溝から顔を出しますが、都会の丸い顔でなく、ブンブク茶釜の絵本にあるようなほっぺに白いとんがりのあるものでした。「さすが阿蘇!」でした。
県南でも阿蘇でも兎狩りはなくなりました。
まさに人に歴史あり、町に歴史ありですね。
情景を思い浮かべることができるような、懐かしくてホッコリするようなお話でした。
今後とも宜しくお願いいたします。
仰る通りでと思います。
通ずる事ですが一部のクレイマーに指摘されると何故にこれだけ弱虫になってしまう
僕は古くからの文化は大事にしたいと思うんです
それより僕の嫌いなプロレスやボクシングの方が残酷で嫌いなんですが・・・
まぁ好きな方も多くおられるのでそれは別問題として
一部の反対者に負けるべきでないと思います。
それこそ僕の今日の記事でのコオロギよりウサギを
食料と捉えた方が自然です。
共感と賛意をもって読ませていただきました。
ネットで「虐待ではないか」と批判され、町の伝統行事として地域住民に親しまれ、育ててきた人々の意思を無視したような役場の在り方に、憤りさえ感じます。
行政の在り方として、主体性を持ち住民の心をくみ取り育てていく姿勢が必要かと思われます。来年は中止を打ち出した行政側の反応に、沈黙し意見表明できない「住民」にも主体性のなさを感じてしまいます。
良識ある多摩爺様の意見が反映されることを、せつに望んでおります。
(フォロワー登録させていただきました)
少し前だったと思いますが、ロケットマンの居る半島では、
食糧難の対策に、成長の早いうさぎを飼育しているとのニュースを見たことがありました。
この国では、けっこうハードルが高いと思いますが、
一方では、そんな時代になってほしくないなと思いもします。
フォローしていただき、ありがとうございました。
仰るとおりです。
ネットという顔が見えない世界では、さまざまな意見が飛び交っているようです。
「そうだよな。」と思うことと、「そりゃ違うだろ。」ってことが混在したまま、目の前を通り過ぎているように思います。
いまの時代は情報過多なので、その取捨選択が大変ですが、
年寄りは、年寄りなりに・・・ 「こう思う。」と発信できればと思っています。
コメントを頂戴し、ありがとうございました。