時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

第3波襲来、さてどうする?

2020年11月16日 | 時のつれづれ・霜月 

多摩爺の「時のつれづれ(霜月の6)」
第3波襲来、さてどうする?

「GoToキャンペーンは、いま直ぐにでも止めるべきだ。」
「政府は、何の対策も打っていない。」
新型コロナウイルスの新規感染者が、列島各地で増え始めている。

第1波(4月)、第2波(8月)に続き、第3波を心配するなか、
ニュース番組では淡々とその事実を伝え、お馴染みの医療関係者が登場して注意喚起を促し、
ワイドショーでは、感染拡大を待ちわびてたかのようなコメントが相次ぎ、
批判の矛先を一斉に政府へ向け始めた。

ここんとこずっと、感染が治まることなく拡大してるんだから、
イラつく気持ちは分からんでもないが、
だからと云って・・・ なにもかも政府が悪いということにはならないだろう。

個人的な思いで申し訳ないが、2週間前のハロウィンで、
あれほどバカ騒ぎしてたんだから・・・ さもありなんである。
寒くなってきたから、緩みが出てきたから、なんて声も多いが、それに拍車をかけたのが、
間違いなくハロウィンと、緩みまくった巷の呑兵衛や呑み助たちであり、
多くはそこから拡大しているのだろう。

悲しいかな、人間という生物は、なにかしら不都合なことが起こると、
平時にはあったはずの理性を欠いてしまい、
必ずと云って良いほど、だれかをスケープゴートに祀り上げて、責任を擦りつけ、
罵詈雑言を浴びせてしまう。

それが個人だったら、名誉棄損で訴えられて、とんでもないしっぺ返しに合うもんだから、
とりあえず・・・ 政府の悪口でも言っとけみたいな、低レベルなコメントが、
彼方此方で飛び交っている。

GoToトラベルを主管する大臣は、現在の感染拡大状況を見れば、
国民の理解を得るのは簡単ではないと前置きし、さらなる感染拡大への懸念については
「国民はそうしたことを賢明に判断しながら利用していると思う。」とコメントした。

すると、間髪入れずに・・・ ネットや、ワイドショーのコメンテーターから、
国民への責任転嫁だとの声が上がった。

「ちょっと、まってくれ!」
大臣の発言の、どこが責任転嫁なのだ?
この国の国民には、自分の頭で考えて、自らの責任で行動する自由を、
いつから放棄してしまったのか?
賢明に判断して、行動を起こしてくれと云ってることの・・・ いったい、どこが責任転嫁なのだ。

私は賢明な判断ができないおバカさんだから、
どうすれば良いのか、お上で示してくれと言いたいのか。
バカも休み休み言えであり、まさに・・・ 「ボーと生きてんじゃねぇよ!」である。

それなら・・・ 君らが政府に求める、具体的な対策っていったいなんだ?
まさか、まさか、行動の自由を制限し、経済を止め、ステイホームの強制を求めているのだろうか?

5月の下旬、非常事態宣言を解除したとき、
政府は・・・ しばらくは、元の状態には戻れないと、ハッキリとした言葉で伝え、
今後は、マスクの着用と、うがいや手洗いの励行、
さらには三密の回避を基本に、新たな生活スタイルの推進を求めた。

だから・・・ まずは、感染しない努力(自助)、
続いては他人を感染させない努力(共助)なのである。

にも拘らず、野党のトップは、自助・共助よりも、公助が優先されるべきだと、
国会で政府に問いただした。
公助があったら・・・ 新規感染者の拡大は、防げるとでも思っているのだろうか?
公助が必要なのは、感染者が拡大して、生活に影響がでてきた場合である。
公助は感染の拡大を防ぐ防衛策ではなく、
感染後に命を繋ぐ防衛策だと思うが、間違っているだろうか?

感染を拡大しないように、努めなくてはいけないのは、
まずは、自分の身を自分で守る自助であり、
続いて・・・ 家庭内で家族に、職場で同僚に感染させないように
努める共助である。
公の力を借りず、まず一人称でできる努力を惜しむことなく、バカにしないで遂行することである。

特措法の改正だって、自由を奪うことを選択するのであれば、感染拡大を止めることはできるが、
生活保障や、休業補償などについて議論するのであれば、
感染拡大は止む得ないというところからスタートする。

もし・・・ 特措法を改正し、自由を奪うのであれば、
ことコロナ対策においては、自助も共助も必要なくなってしまう。
国民が期待する論点は・・・ どっちなんだということを、明確にしておかねばならないだろう。

もっと分かりやすく、例えるとすれば・・・ 自助は、自ら火の用心に気を付けることであり、
共助は、ご近所の人たちと一緒に、火の用心の声掛けをすることであって、
公助は、不幸にして起こってしまった火事を消すため、消防車や消防隊員の力を借りることである。
よって・・・ 火事を防ぐには、自助と共助しかないのだ。

メディアが、そこんとこにフォーカスして、より広く、より深く解説すれば良いのに、
論点をぼかして、味噌と糞を一緒にして、コメンテーターに発言を求めるから、
この国のワイドショーにでてくるコメンテーターからは、トンチンカンなコメントしか返ってこない。

新規感染者が日に日に増えていくのは、だれだって不安である。
なんとかして欲しいと願い、祈るような気持ちになることも良く分かる。
だからこそ、感染拡大の大元は政策ではなく、
個人の行動にあることを、メディアは訴えるべきじゃなかろうか?

5月7日に記したブログ「あえて三密とは言わない。」で、三密(密閉・密集・密接)ではなく、
密集の「集」、接近の「近」、密閉の「閉」から、「集近閉=しゅうきんぺい=習近平」として、
注意喚起したらどうだと、私の拘りを述べたことがある。

いたずらに不安を煽るだけなら、右へならへで政策を批判するだけじゃなく、
ちょっとぐらい風刺を効かせて・・・ これからは三密じゃなくて
「集近閉=しゅうきんぺい=習近平」と呼びましょうぐらいの、ボケを一発かましてみたらどうだ。

ハッキリ言えば・・・ 政府に責任転嫁しても、新規感染者は止められないし、
公助で止めることもできない。
新規感染者を止めることができるのは、
野党のトップが方向が違うとして、首相に噛みついた、自助と共助のみである。

「GoToキャンペーン」が感染拡大の原因だという声が、日に日に大きくなってきている。
確かに・・・ それが、切っ掛けの一つであるかもしれないし、否定するものではないが、
これもまた、自助と共助を怠っている者たちが、
誰かをスケープゴートにするという、
責任転嫁の権化である。

本来なら、政策の善意に悪乗りして、自ら緩んだあげくの結果がこれだと
メディアやコメンテーターが、指摘することが正しいはずなのに、
悲しいかな、視点が逆の方向になっている。

医療体制の確保と充実は、当たり前のど真ん中であって、
後回しにしてもいいなんて・・・ 云ってるわけじゃない。
政策に対する視点と論点が、噛み合ってないまま「あぁでもない。こぅでもない。」と言い合っても、
不安を煽るだけで・・・ 無駄な時間を費やすだけである。

我が国は要請するだけで、法的に強制できない国なんだから、いくら営業の自粛をお願いしたって、
テレビ取材を受け、顔出ししてさえ自粛しないという店があるぐらいだから、
要請に応じない店は数多あるだろう。

さらに・・・ ハロウィンを見れば分かるように、
どうしても出かけてしまう、聞き分けがない、情けない人が多すぎるのも現実である。

飲食店にアクリル板の設置を義務化すれば良いと・・・ メディアは訴えている。
けっして間違いではないし、そのとおりだと思うが、一方でアクリル板を設置してない店を取材し、
地域の名店、こだわり食材の名店、学生に優しい大盛の名店などと持ち上げ、
誘引を図ってるのもまた・・・ メディアである。

アクリル板がなくて感染の可能性が高い店なのに・・・ メディアは、なぜそれを注意しない。
アクリル板が設置されてない店は、危険だから行かないようなしよう、
なぜ、それをメディアは黙っているのか?
これはダブルスタンダードというより、自作自演のマッチポンプ(放火と消火)じゃないのか?

だから・・・ (自助)自分の身は自分で守り、
(共助)新たな生活スタイルを励行し、家族や他人に迷惑をかけない。
(公助)不幸にも感染したら、早期に医者の管理下のもとで行動を控える。

これが、ワクチンができるまでの、コロナ禍を凌ぎきる・・・ 唯一の方法であり、
政府を批判し、責任転嫁することが正しいと思ってる人たちへ、
このことを嫌と云うほど知らしめることこそが、
メディアに課せられた役割だと思うが・・・ どうだろう?

政策を批判することに、情熱をもつ暇があるなら、
積極的に国民の心に訴えかける声を発するべきではなかろうか。

東日本大震災の直後を・・・ 
思いだしてほしい。
テレビを付けたら、いつも放映されていたのは「公益社団法人ACジャパン」のCMだった。
童謡詩人・金子みすゞの「こだまでしょうか」が棒読みされていただけだったが、
あれほど心に刺さり、脳みその隅々までこびり付くように・・・ 訴えてくるようなCMはなかった。

あの時のことを思いだせば・・・ コロナ禍であっても、
人心を落ち着かせ、行動に働きかけるメッセージが、きっとあると思うがどうだろう?
メディアは、こういった心に訴えかけるメッセージを探し、
放映する努力(スポンサー探し)を・・・ 惜しまないでほしい。

私の人生は、ハロウィンで騒いでた若い人たちの半分も残ってないが、
楽しみを・・・ 1年や2年先送りしても構わないぐらい、心の余裕は有り余っている。

政治家や行政のトップが何か言えば、
メディアは、すぐに「矛盾してる。」との批判の声を拾ってくる。

私から言わせれば、だから自由であり、
自ら考え、行動することができる自由があると考え・・・ 節度を重んじる。
責任転嫁の批判こそが、自由の放棄であり・・・ 節度の無視なんじゃなかろうか?

学術会議問題などで、独裁だとか、自由の侵害などと、
声高に叫ぶ政党や評論家、コメンテーターたちが、
ことコロナ対策については・・・ 面白いことに、挙って自由を制限しろと云い、
非常事態宣言が解除されたときには、
「政策が良かったのではなく、国民が賢かったのだ。」と一斉に云ったにも拘わらず、
それが、いまでは・・・ 緩んでる国民が賢明ではないと云わず、政策が悪いと声高に繰り返す。

あまりにも見事過ぎる「ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う。」のダブルスタンダードに、
開いた口が塞がらない。
メディアは政府の批判をしているだけで、いたずらに不安を煽ってるだけではなかろうか。

この国は、途上国なんかではない。
成熟した自由の国・日本に住んでるんだから、あなた任せじゃ・・・ 面白くないだろう。

感染拡大を阻止する、とどのつまり(究極の対策)は・・・ 自助と共助しかない。
厭味になるぐらい執拗に、そのことを訴求すべきだと思うがどうだろう?


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