時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

リメンバー 東京1964

2020年01月24日 | 時のつれづれ・睦月 

多摩爺の「時のつれづれ(睦月の4)」
リメンバー 東京1964

「東京オリンピック2020」の開会式(7月24日)まで、いよいよ、いよいよ半年になった。
何度かあったチケットの抽選に外れまくり、
あとは無料で観戦できるマラソンと競歩を楽しみにするしかないのか?

なんて思ってたら、マラソンと競歩はIOCと国際陸連の我儘というかゴリ押しで札幌市開催となり、
生観戦はもう無理だと思うと・・・ いささか熱が冷めてしまった気がしないでもない。

まっ、いろいろあるけど・・・ いまさら、愚痴を言っても仕方ないので、
いまや白黒からセピア色になりつつある、
56年前(当時は小学校4年生)の「東京オリンピック1964」について、
私の記憶が確かならという前提で、思い出を断片的に手繰り寄せるとともに、
ネットで調べた情報を少しばかり加味して、あのころの情景をほんの少し思い浮かべてみたい。

それは遡ること56年、昭和39年(1964年)の10月10日、土曜日の昼下がりだった。
居間(リビングというお洒落な言葉は、まだ一般化されてなかった)に家族が勢揃いすると、
皆が一様に緊張し、無言になっていた。

それは、息を止めてるんじゃないか(緊張時の無呼吸症候群かも?)と思うぐらい、
瞬き一つしない鋭い視線で、卓袱台の向こうに鎮座する、
我が家の至宝(白黒テレビ)と対峙していた。

昭和の天皇陛下と皇后陛下がロイヤルボックスに座られると、
君が代の演奏が始まり、東京オリンピックの開会式が・・・ 始まった。

オリンピックマーチに合わせて、
オリンピック発祥の国・ギリシャを先頭に各国の選手団の入場が始まる。
赤いブレザーと、白のスラックス・スカートで、
大トリに入場した大選手団は・・・ もちろん開催国の日本だ。

白黒テレビなんで、画面に映し出された色合いは、赤と白じゃなく、黒と白に見えたが、
よもや、NHKのアナウンサーが色を言い間違えることはないので、深く詮索しないことにする。

記憶が確かなら、テレビに映し出される天皇陛下は、
先頭のギリシャから最後の日本までの入場行進を、ご起立されたままで選手団を見守っておられた。

入場行進が終わると、天皇陛下による開会宣言、
その後、挨拶が2~3人続いたあとは・・・ お待ちかねの聖火だ。

ギリシャから運ばれてきた聖火は、沖縄(当時はアメリカ)を含む各県を分かれて回り、
前日に東京で一つになっていた。

聖火台に点火する最終ランナーは、
広島に原爆が落とされた日(昭和20年8月6日)に広島で生まれた坂井さん
これも一つの区切り(忌まわしい戦争との決別)なんだろう。
間違いなく、世界に向けて敗戦国・日本が発する、平和のメッセージになったんじゃなかろうか。

そして、日本選手団の主将を務める小野喬選手(男子体操)が、
出場国の国旗を背にして選手宣誓を行うと
抜けるような青空が広がった東京の上空に、スポーツの祭典を祝って8,000羽の鳩が舞い、
航空自衛隊・浜松基地に所属(現在は松島基地所属)する天才パイロットたち(ブルーインパルスが、
都心上空の青空をキャンパスにして・・・ 鮮やかな五輪を描いた。

胸が熱くなった。
本当に・・・ 胸が熱くなった。
この国の国民であることが、なんだかとっても嬉しくて、とっても誇らしいと思った瞬間でもあった。

西日本の田舎町に住む、ハナタレ小僧だったが・・・ 記憶にしっかりと刻み込まれ、
今なお忘れることはないのだから、それはそれは素晴らしいイベントだったと思う。 

小学校では、毎日のように繰り広げられる競技について、
多くの生徒が身振り手振りで・・・ もの真似を繰り返していた。

そして・・・ もの真似が始まると、だれ彼となく批評や解説が始まり、
口から泡を飛ばしながら、知ったかぶりで講釈を垂れまくる。
おそらく、俄か応援団と俄か評論家が、列島の各地で大活躍してたんじゃなかろうか。

事前に特集を組まれていて、予め情報がインプットされてたからかもしれないが、
NHK大河ドラマ「いだてん」でフォーカスされた、
女子バレーボールの「東洋の魔女」は印象的だった。

鬼の大松(監督)に鍛えられたというか、
しごきぬかれた回転レシーブで
強敵ソビエトの強打をことごとく拾いまくった。

ピチッとしたブルマーに金髪、美貌もパワーも凄い外国勢に対する東洋の魔女は、
いわゆる・・・ 
提灯ブルマー

いまとなってみれば「ダサい。」の一言だが、勝てばそれが絵になるんだからアッパレだろう。
最後は相手のネットタッチだったと思うが、
金メダルの瞬間は、テレビの前で万歳をしていたことを思い出す。

男子体操は圧巻だった。
エースの遠藤選手や、安定度抜群の鶴見選手を中心に、各種目のスペシャリストが揃っており、
今風に云うなら・・・ 銀河系集団といっても過言じゃなかった。
繰り出す華麗な技に固唾を飲み、失敗するなんて全く頭になかったのが、今なお記憶に残っている。

跳馬は、自らの名を技に冠した「山下飛び」の山下選手、
「鬼に金棒、小野に鉄棒」と言われた小野選手
体操競技の難易度は、今じゃGやHまで進んだが・・・ 当時の最高難度はC
テレビから聞こえてくるのは・・・ ウルトラC
この心地よい響きに、小学生ながら酔いしれていたことを思い出す。

悔しかったのは、日本のお家芸ともいわれる柔道(無差別級)じゃなかろうか。
まさか、神永選手が外国人(オランダのヘーシンク選手)に負けるとは・・・ 信じられない?
こればっかりは、本当に信じられなかった。
学校から帰る途中、お節介な友人のお母さんが「神永、負けたよ。」って教えてくれたんだが、
一緒に下校していた皆の顔色が曇り、落胆したことは今でもハッキリと覚えている。

後から聞いた話によると、神永選手は直前に左膝を痛めていたらしい。
それでもって神永は身長179㎝・体重102㎏、相手のヘーシンク選手は196㎝・120㎏だから
この体格差で膝を痛めていたら勝てるわけがない。
立派な銀メダルなんだが・・・ それでも、負けると思ってなかったから、
申し訳ないが悔しかった記憶しかない。

レスリングや、重量挙げの選手の活躍もアッパレだった。
一人ひとりのお名前は、既に記憶から無くなってしまったが、殆んどの階級でメダルを取ったか、
それに近い大活躍だったと記憶している。

また、男子体操の金メダルの陰に隠れてしまったが、女子体操は銅メダル
女子バレーボールの金メダルに対して、男子バレーボールが銅メダルだったのも・・・ 素晴らしい。

その一方で、メダルラッシュの期待に応えられなかったのが水泳だったんじゃなかろうか。
最後の最後、男子800m自由形リレーで銅メダルを取っただけ、
しかし、この時の苦戦を糧に、
後のオリンピックで復活を遂げたのが「フジヤマのトビウオ」の後継者たちだ。

期待に応えられなかった、関係者の悔しさは幾ばくのものか計り知れないが、
その後の育成力には大拍手を送らねばならない。

また、絶対に忘れてはならないのは、マラソン銅メダルの円谷選手だ。
初マラソンから僅かに7か月、しかも・・・ マラソン経験は3度だけだった。
メダル候補に挙がってたのは君原選手や寺澤選手で、円谷選手はほとんど注目されてなかった。

それもそのはず、陸上競技初日に10,000mを走り6位に入賞してたんだから、
皆が
トラックの選手だと思っていた。
その円谷選手が約42キロを走って、2位で陸上競技場に戻って来たんだから、驚いたのなんのって、
結果は、後ろから猛然と追いかけてきた外国人選手に抜かれて銅メダルになってしまったが、
テレビのアナウンサーとともに「円谷、ガンバレ!」と声援を送っていたことを思い出す。

今になって振り返れば、1964年の東京大会で陸上競技場に日の丸を掲げたのは円谷選手ただ一人
27歳という若さで、不幸な最期を選ばざる得なかった選手だが、
この功績だけは絶対に忘れてはならない。

番外編でもう一つ、東京オリンピックでの記憶を述べると、
当時私が通っていた小学校には白黒テレビが1台だけあり、
その1台を講堂の壇上に置き、クラス毎に授業中1時間だけオリンピックを見ることが許されていた。

担任の先生がくじを引き、私のクラス4年2組に割り当てられた時間に、NHKが放映してたのは、
なんと・・・ 日本対ルーマニア(だったような)の水球の試合だったと思う。

テレビは、今のような50インチや60インチの大型じゃなく、20インチぐらいだったと思う。
それを離れたところから見るので、正直言えば何をやってるのか殆んど見えていない。
それでも点が入ったり、誰かが拍手をすれば、回りも合せて反応するという妙な連帯感があった。

日本が勝てばいいんだろうが・・・ ボコボコにやられてたような記憶しか残っていない。
オリンピック観戦という社会科の勉強だと先生は言ってたが、
体育座りでの1コマ(40分)は拷問でしかなかった。

56年前の記憶は、その程度だが・・・ 2020年大会は、いったいどんな大会になるのだろうか?
少なくとも参加国・地域は、1964年大会の93よりは多くなることは間違いないだろう。

1964年大会では、南アフリカが人種問題で参加できず、
北朝鮮やインドネシアも政治的理由で参加していない。

台湾との関係でIOCを脱退していた中国に至っては、
期間中に核実験を行うなど我儘し放題
一方で東西ドイツは、統一チームで臨むなど、政治とスポーツを切り離して参加していたんだから、
時代が変われば、スポーツの捉え方も違ってくるから興味深い。

さて、能書きはこれぐらいにしておこう。
東京オリンピックまで・・・ あと6か月、まだまだ準備が必要なんだろうが、
後世に語り伝えたいような、素晴らしい大会であってほしいと願う。

ガンバレ! ニッポン


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