多摩川 健・・リタイアシニアのつれずれ・・時代小説

最近は元禄時代「寺子屋師匠 菊池三之丞 事件控え」全30話書いてます。週2-3回更新で順次 公開予定。

競馬小説 連載1  [INJYUSTICE」  多摩川 健

2019年10月28日 13時47分57秒 | 競馬

   サチカゲ


 この風はどこから吹いて来るのだろう。

 ゴオー、シュウー、ヒュルヒュルル、……長く消え入るまで耳に残る。日高山系の麓付近から上は、鈍い澱んだ冬景色だ。

サチカゲは母に遅れまいと、懸命に走った。

風が仔馬の耳を切って飛ぶ。乾いた空気は鼻面で凍る。

右手のまばらな木立ちの緩斜面を四頭の仲間たちが飛ばしている。

 母が進む左手は急な上りにかかっている。雪肌の所々で泥水が跳ねる。……息が切れる。母の姿が丘の背に消えた。

「ブボー」と息を吐いて、力を振り絞る。やっと丘の上まで来た。

 サチカゲがそこで、舞い散る粉雪の向こうに見た光景は、異様で、体が芯まで固くなるものだった。

粉雪が吹き上げる丘の上には、下から吹き上げる風雪に引き千切れるように、黄色の旗が数十本、天に向かってビリビリとはためいている。

 何と言う光景だろう。

母は今、まさにその旗めがけて、突進を始めた。仔を守ろうと、勇気を奮って疾走する。

サチカゲは母の狂気を見た。恐怖で脚がすくんだ。

母について走る事が出来なかった。

ブルッと震えるサチカゲの眼の先で、母が大きく転がった。

 『ブボー!』

雪煙と一緒に灰色の空に母の鮮血が飛び散った。

母は苦しげにもがいている。サチカゲは恐怖を忘れて母に駆け寄った。

金属の鋭い狩猟用の罠にかかった母の苦しげな息が、大きな鼻孔から白く長く吐き出ている。

サチカゲは恐怖と悲しさですくんだ。

 この恐怖の記憶が二年後大事件に発展する事を、誰が想像できたろうか。

日高山系から吹きおり、差し込む風は

“びょうびょう”と、粉雪の山を下っていく。

ぬれて澱んだ空気がこの辺り一面を支配する二歳の真冬だった。



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